「丁寧に生きる」
これ、本当に大事だと最近つくづく感じる。
これからは、丁寧に生きたいよ。
今の私の精神に本当に必要な知識をじっくりと理解して涵養させる。
今の私の身体に本当に必要な食べ物をじっくりと味わって私に涵養させる。
そこらへんの適当なものを適当に取り込むなんて何にもならない。
そんなもの、ただ、無駄にエネルギーを消費して無駄に外部に流れていくだけだ。
今の自分に適したものを適した分だけ取り込むようにしないと。
なんか、最近の世の中、情報も物も大量生産でさ、「あれもこれも取り込め取り込め」って押しつけがましくて、個人が丁寧に生きるのをとことん邪魔しにやってくる。
だから個人個人がしっかり自分の身を守る術を持たないと。
私の身体と精神は私自身が守らないと。
周りの荒れ狂う環境に野ざらしにして、自分を無駄にすり減らしちゃいけない。
自分に必要な情報は自分で厳選して、自分に与えないと。
食生活も自己管理が必要だけれども、これからは、とりこむ情報も自己管理がとても重要になってきているのだろう。
最近、テレビで松岡修造が「脳疲労」についてプレゼンしていた。
細かい内容は忘れたけれど、現代人は常に見ているスマホからの情報で過度に脳が疲れているのだとか。
それの対策として「丁寧に生きる」ことの重要性を説かれていた。
まーこちらの本に書いてあるような内容の行動が重要だよって話だ↓
こちらの本は私が大学生の時に購入してとても感銘を受けたのを覚えている。
まーとにかく、考えすぎで脳が疲れて苦しんでいるあなたは、一つ一つ丁寧に自分の動作に五感に集中させて、雑念から離れ、あれこれ思考が暴走しないようにしなよって話。
殆どこの本の内容を忘れてしまっているようなので、また読み直してみようかな。
何はともあれ、確かに、現代人は無駄に脳を使いすぎるのだろう。
少しでも暇な時間があれば、スマホで脳を刺激する何かを探す。
「隙間時間=スマホ時間」になってしまっている。
本当にこれは、大人も子どもも気を付けなければいけないことだと思う。
どんどん、正直どうでもいい取るに足りないことに脳みそのエネルギーが小まめに消費されていき、本当に大事な事を考えるための脳みそのエネルギーが残されなくなっていっている。
それは脳のエネルギーだけじゃない。時間だってそうだ。本当に大切なことをする時間をどんどん細々した低レベルの信憑性の怪しい薄っぺらい情報や単純で低レベルな娯楽のコンテンツに奪われていく。
だいたいそんなコンテンツはボケーっと短時間みるだけじゃ、大体終わらない。自制心とメタ認知で制御しないと、だらだらとボケーといつまでも見てしまう。見てしまうように作られている。そして塵も積もれば山となる。そう、自分の大部分の脳エネルギーや、時間がそんな塵の山と化してしまうのである。
そして、じっくりゆっくり頭を使うべき本当にすべき大切な事が目の前にあるのに、それに割く時間と脳みそエネルギーが不足しているために、手軽で刺激的な中身スッカスカなコンテンツがどんどんうけるようになる。
それはまるで、手軽にぽいぽい次から次に食べれる刺激的な味のスナック菓子みたいだ。
そしてお腹いっぱいになり本当に体に必要な健康的な食事をとれなくなってしまう。
脳の過労働のため、脳の低エネルギー状態が慢性化して、その状態に対応する低レベルのコンテンツしか処理できなくなってしまっているのだろう。
私、最近TikTokを知ったのですが、本当にこれがはやってるのはヤバくないか・・・って思った。
若者の間で流行しているらしいんだけれど、ツイッターの動画版みたいな感じらしいのだけれど・・・
今のところ正直良さが理解できない(;O;)
まー需要があるから流行っているのだろうけれどさ。
youtubeの玉石混交な情報が今ではあふれかえっていて、こんな莫大な情報から本当に欲しい情報を見つけるのがタイヘーン!だから、短い端的な情報を大量に処理できるコンテンツが必要!って感じなのかしら?
いやーまー最近若者は動画も2倍速でみるっていうし(私も時々やってる)。
動画の重要な部分、または刺激的な部分だけ手っ取り早く沢山知りたい!っていう気持ちも分かります。
でもさ~どんどん若者の脳みそエネルギーが断片的なコラージュの切り抜きのようなコンテンツに消費されていってる・・・って思ったら、なんだかなって感じです。
なんていうか、流れって必要なのですよね。一連の大きな流れを理解しないと感じ取れない大切なものも沢山あるのに。なんだか、そんな一見わかりづらい目には見えない裏に流れる大切な何かを感じ取る感受性を養う機会がどんどん失われつつある気がします。
今の若者はじっくりゆっくり自分が本当にやりたい、やるべき何かに脳エネルギーを割くって相当困難な環境なのではなかろうか・・・と私は勝手に危機感をもっております。私も子育て・・・注意しよう。
『星の王子さま』であるように、「本当に大切なものは目に見えない」のですよ。
その本当に大切なものをしっかり見逃さずに見つけることのできる審美眼は、やはり、意識して鍛えていかないと得られない類のものだと思います。
・・・なんて、偉そうに高みの見物的に色々とグダグダと言ってしまったけれど、決してこれは、他人事ではなく、私自身にとっても本当に気を付けなければならない問題だと心から思います。
とにかく、
「丁寧に生きる」
このことをきちんと意識して日常生活を送りたいと思いました。
丁寧に生きたら、色んなことに気づける。
いつも見過ごしがちな「有難いこと」に気づける。
自分を大切にできる。
本当に大事なものを大切に大切に感じながら生きる。
丁寧に生きよう。
自分の身体も精神も大切にしながら。
自分の身体も精神も雑に扱っちゃだめだ。
年をとって、もう、そろそろ雑に扱ったら、すぐに影響が出ちゃうから。
年季の入った自動車でも、大切に大切にメンテナンスして管理して扱うように心がけるよ。長く長く生き生きと走り続けたいのなら。
もうあまり残ってないかもしれない、有限な自分のエネルギーと時間の使い方をしっかり自己管理しないとなっと思ったのでした。
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