私の中で何かがポンポンポンっと一気につながって生じた文章。
思考の流れのメモ的な詩(?)
***
みんなと違うからって悲しまなくていい。
孤独だからって悲しまなくていい。
違うのはどうしても孤独に繋がるんだ。
複雑になれば、なるほど孤独になる。
多様性が生まれれば孤独が生まれる。
人間はどんな生物よりも、きっと複雑だ。
人間は肉体だけでも、こんなにも複雑な有機体なのだから。
プラス精神もある。
だから、どんな生物よりもきっと孤独を感じる。
だけど、それは光栄な気すらする。
孤独を感じたくなければ、単細胞になればいい。
さらにもっと孤独を感じたくなければ、散り散りになって、分解されて原子になればいい。
それはつまり、死んで土に帰るってこと。
だから・・・ きっと、孤独を感じるのは、生きてる証拠だ。
より孤独を強く感じるのは、より複雑な生命体って証拠だ。
だから、孤独なのは、悲しいことでも、嫌がることでもないと思うよ。
でも、孤独が苦しさに繋がるのは確かにそうだとも思う。
だから、孤独が苦しかったら、部分的に繋がればいい。
部分的に似たような部分があるものと、たくさん繋がればいい。
部分的に沢山たくさん繋がって、たくさんの存在と支え合って生きていけばいい。
きっと同じように繋がりたい孤独な人はどこかに必ずいるから。
大きければ大きいほど、支えは必要だ。
支えがないと、バラバラになっちゃう。
生きるっていうのは、きっと、「孤独」で不安定な状態から何かと「一体」になって安定していく一連の流れなのだと。
孤独だから一体を求めて、一体になって、成長するに従って、また孤独な部分が生じて、不安定になって、また一体をもとめて、支えを得て、そして大きくなって、また孤独になって…を何度も何度も繰り返して、成長しながらエネルギーを発散していく。
そうやって、「自分」という存在を創造していくんだよ。
成長すればするほど、複雑になればなるほど、大きくなればなるほど、他人は自分とかけ離れた存在になる。
だけど、部分的に何かと繋がっていて、自分は支えられていると、自覚している人は、もうそれほど孤独は怖くない。
苦痛じゃない。
自分の孤独が心地良くなる。
だから、アインシュタインもこう言ったんじゃないかな。
私は孤独が好きだ。若い時は苦痛に感じるかもしれないが、年が経つとそれが心地よくなる。
私は真に「孤独な旅人」であり、国や家庭や友人、肉親ですら決して私の心に属したことがないのだ。
未熟な若者は孤独をしばしば苦痛に感じる。
それは、支えが足りないし、支えの求め方もまだ心得ていないのに、成長速度が速いから。
成熟した大人は孤独を心地よく感じる。
それは、自分という安定を備えた芸術作品が完成に近づいているから。
だから、孤独を苦痛に感じるのは、支えが足りないって証拠かもしれないけれど、まだまだ成長途中って証拠でもあるのかもしれない。
【合わせて読みたい】