私跡をつけれたと実感できると、私は幸せを感じる。
あー今日も自分を生きれてるって実感する。
逆に、自分が望むような私跡をつけれた実感がないと、陰鬱な気分になる。
生命力が低下する。
やっぱり、人っていうのは、誰かと生きたいんだ。
誰かに自分を影響させたいんだ。
だから、私は自分が好きな文章を書いてブログに残して、スターをもらうと、なんだか安心する。 なんだかもう、子育てだけじゃあ、満足できない。
私は文章を生み出すことで生き生きできる。
文章を生み出せて、誰か一人にでも読んでもらえたら、今日もちゃんと私を生きれたって安心する。
だから私は他人に私を生かしてもらっている。
だから、何かを生み出す立場じゃなくて、それを受け取ってくれる人が、生み出した人を救っている面もあるんだなって。
大好きな創作物を愛するのは、その創作者を救っている面もあるのだな・・・と。
ブログをやってきて気づけた、大きな収穫でした。
私が他人の創作物で、とても感動することは、その創作者を救っている。
このことは、自分が何かを発信する立場にならなければ気づけなかった。
それだけでも、今までブログを続けてきた価値があったと心から思うよ。
だれの耳にも届かない草原で、全力で熱唱しても、自分を無駄に消費するだけ。
その歌声が耳に届く人が存在してこそ、熱唱する私は無駄にならない。
その人に適したステージと観客。
この二つの存在が、その人を大事にしてくれるんだね。
【合わせて読みたい】