悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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宇多田ヒカルの『誰にも言わない』を聴いて嫉妬した。

最近、宇多田ヒカルの凄い曲を見つけた。

 

その曲は「誰にも言わない」

 

なんか、この曲凄いよ。

 

本当に凄く美しい。

 

この曲の美しさをたくさんの人に知ってほしい。

 

私は、宇多田ヒカルの凄い曲に出会う度に奮い立たされる。

 

私も彼女みたいな作品を何か1つでも、生きている間にこの世界に残したい。

 

こう、心から思う。

 

そして、本当は言いたくないけれど、彼女に少し嫉妬してしまう。

 

だって、あまりにも美しい作品を生み出すから。

 

私が生み出したい類のものを彼女はバンバン生み出すから。

 

彼女の詩と音楽は、本当に美しいと私は心から思う。

 

私はね、自分が本当に心から認める人には、密かに敵対心を抱く。

 

そして、明らかに自分の前を歩いている人にはそれが嫉妬になる。

 

そして、どうあがいても届かない存在には、敵対心も嫉妬も生じない。

 

そんな人間なんです。

 

私の場合、私が本当に美しいと思う文章や絵をかく人に何だか悔しくなったり、自分を不甲斐なく感じたり、やる気が出たりする。

 

それを通り過ぎると崇拝になるのだろう。

 

私は個人の人間を崇拝しないけれど。

 

私がそんな人間臭い感情を彼らに抱くのは、彼らと私が今、生きているからだ。

私は今生きている彼らには、ライバルのような同志のような感情を抱くからだ。

 

一緒の時代を生きているというだけで、実はとても近い。

 

だけど、死者の場合は違う。

 

今は亡き偉人に嫉妬や敵対心なんて抱かない。

 

死者はもうこの世界の現役のクリエイターにはなれない。

 

死者に対しては教師のように尊敬したり、憧れの存在として崇めたり、彼らの残したものから何かを得るだけだ。

そして、彼らは、ただただ一方的だ。決して死者に質問したり、死者と討論なんてできない。

 

そういう意味では、この世界を一緒にはもう作れない。

 

だけど、今を生きている人間は違う。

 

本当に心から才能を認める生きている人に対してはどうしてもどうしても嫉妬したり敵対心を抱いてしまう。

 

自分と性質が近い相手に程、そう思う。

 

性質が自分とはかけ離れた人には、きっとあまりそう思わない。

 

ただただ相手が崇める存在になった時、それは、もう自分が相手のライバルになれる可能性を自ら棄てた時だ。

 

そう、だから、私は自分と似たような人が生み出した、自分が美しいと認めてしまった何かに出会ってしまったら、やる気が出る。

 

生命力が上がる。そんな気がする。

 

それは、きっと、私が私を諦めていないからだ。

 

今の自分がどんなにスタートラインに近い場所にいても、まだ諦めていないからだ。

 

・・・とにかく、私は宇多田ヒカルが大好きです。

 

 


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