悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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電気のスイッチOFFのように消える自分をイメージする。

自分がまるで、電気のスイッチをパチッと押すように、この世界から消えることを考える。

 

今この瞬間、パチッと自分が消える。

 

電気のスイッチOFF。

 

そんなことを考えたら、なんか、今日を精いっぱい生きようと思える。

 

今、この世界に自分の体をもって存在していることが、とても愛おしく感じる。

 

人間って不思議だ。

 

終わりが見えたとたん、やる気がでる。

 

終わりが見えないと、やる気が出ない。

 

失ったとたん、とてつもなく大切なように思う。

 

失わないと、大切さに気付かない。

 

私は時々、何にもやる気のでない、虚無の方向に傾きそうになる時がしばしばあった。

 

特に若い頃は、しょっちゅうそんな暗い闇の穴に吸い込まれてうずくまっていたように思う。

 

だけど、最近そんな闇の穴に吸い込まれそうになる時、「スイッチOFF」の状況を意識すると、やる気を取り戻せることに気付いた。

 

あまり大きな声で言いたくないが、私は昔、本当に何もかもが限界で、ひたすら孤独で、もう死んでしまおうかと本気で思ったことがある。

 

その時の苦しさを思い出したら、今の私はなんだか何でもできそうな気になってくる。

 

生きてるだけで丸儲けってやつ?

 

あー私は、あの時死んでもおかしくなかった。だから、今生きているのは奇跡だ。

 

そう、思うと、ずっと生きれる気がする。

 

「生」の実感を失いそうになったら「死」を意識する。

 

「死」は私に「生」のエネルギーを与えてくれる。

 

「死」は恐くて、辛くて、苦しくて、暗くて、何だか、嫌だ・・・って悪いイメージだけれども、

 

実は「生」の為にはなくてはならないものなんだ。

 

より生の美しさを表現したいのなら、「死」は欠かせない。

 

だから「火垂るの墓」はあんなにも、「生」をずっしり感じる。

 

「死」という黒色によって「生」という白色をより際立たせることができる。

 

或るものへのありがたさをより強く感じたいのなら、それが失われた時の事をイメージするしかない。

 

人間は良くも悪くもすぐに忘れてしまって慣れてしまう生き物だから。

 

時々、そんな生物である自分をメタ認知して、大事な事の為に思い出して意識することがとても大事だ。

 

別に、いつも「死」をイメージして生きろ!なんて言いたいわけじゃない。

 

時々でいいと思う。

 

「あっ、忘れてきたな」って時に時々で。

 

時々、極端に傾いてしまいそうになった時、ちょっと反対の極端な先をイメージする。

 

それが、生き生きと生き続けるためのコツかもって思ったって話。

 

きっと「永遠の命」の何かがあるとしたら、それはきっと「生」の美しさを一切もっていない存在なのだろう。

 

自分のどん底の状態を知っている人間にしか、自分の最高の状態を知ることはできない。

 

だから、自分が感じてきたすべての経験は自分の人生を豊かにするそれぞれの色になる。

 

私は自分のどん底の時の色を知っている。

 

でも、その色を手に入れたおかげで、私という人間を、より深みのある人間に表現できる可能性も手に入れた。

 

自分のすべての色を愛せるようになりたい。

 

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