やっと子ども達の春休みが終わって、落ち着いて、静かな部屋で一人の時間を噛み締める。
久しぶりにこうやってブログを書く。
気付いたら500記事を越えていた。
2016年から書いているからなぁ・・・。
500記事書いたっていっても、特別な熱い感情が込み上がることはない。
ただ、まーよくこんなに何になるか分からない記事たちをくどくどと書く時間があったもんだ、贅沢な環境と夫に感謝だな・・・ってぼんやり思ったぐらい。
こんなに自分の文章を書く時間を確保できたなんて、なんて有閑なんだ・・・私はとことん贅沢な人間だなって思った。
日々が忙しすぎる人は、きっと内省したり文章を書く暇なんてあまりない。
自分を深く深く見つめる時間が確保できるっていうのは私にとってはとても幸せな事だと思う。
さらにそれを文章にして残せる環境があるっていうのは、有難すぎることなのだろう。
私はさんざん、「書く事」についてかっこつけたことを意味付けしてブログで書いてきた気がするけれど、結局、私がこうやって文章を書くのって、私が「強欲な暇人」ってだけの話なのだと思う。
無駄な事を考える暇があるから、その無駄なことを何とか有意義な形にしようと必死に思うのだろう。
芸術の類なんて全部そんなものだと思う。
芸術は他人の犠牲から生じた余裕と余分で生まれるんだ。
きっと現状維持だけでいっぱいいっぱいなら、何も新たに生み出そうなんて思わない。
今日、ぼんやりと家事をしながら無駄に自分の人生について思考を巡らせていたら、無性に文章が書きたくなった。・・・で、十分な時間があったから書いた。
多分、これが全てなんだろうと思う。
忙しい日々が落ち着いて、自分の時間ができると、無駄に自分の過去を振り返って内省してみたりしてしまう。
まるで、自分が壮大な物語の中心にいるような思考回路に耽る。
そういう行為をしてしまうと、その痕跡をやっぱり書き残したくてうずうずしてしまう。
そうやって、やっぱりこのブログに戻って文章を書き始める。
何のため?自分の為。
自分の人生を何とか美しくしたいため。
自分の人生を虚無にしたくない為。
自分を有意義で美しい存在にしたい為。
自分の思考の流れの隅々を、自分の中だけの泡沫のような存在にせず、誰かに繋げて共有したいため。
形にして残しておかないと怖いから。
自分を無駄遣いするのが怖い。
人知れず、私の中で確かに生じた事象が、何にもなることなく虚無となって朽ちることが怖い。
時間はどんどん過ぎていく。流れは止まらない。肉体的な流れも、精神的な流れも。
あの時感じた強烈な感情の高揚も、もう思い出せない。
私は肉体的流れと、精神的流れは、それぞれ別に位置すると思っていた。
だけど、きっとそれは違う。
きっと何かしらリンクしている。
肉体的な衰えは、精神的な衰えとリンクしている。
鏡を見るたびに自分の老化におびえる。
肉体が衰えている・・・。
そんな現実が裸で目の中にダイレクトに飛びこんでくる。
若さを失いたくない。
なんでそう思う?
それは、私の情熱がまだまだ自分が納得する形として残せていないから。
沢山の情熱の起伏が私の中に確かにあった。
もう手の届かない場所に通り過ぎていったものもある。
だけど、今まだはっきりと存在しているものも確かにある。
そして、小さい小さい炎のようになってしまったけれど、まだ確かに燃え続けているものも。
だけど、その熱達は・・・認めたくないけれど、いつかきっと完全に私から失われてしまう。
今はまだ、まだまだ消えないって信じれるけれど、きっとゆっくり、ゆっくり、失われていっている。
そして、「ある」って全く信じれなくなる程、いつか熱は失われてしまうのだろうか。
いつの日かの病室のまっ白なベッドで横たわっていた、虚ろな目のおじいさんの顏。
息だけかすかにしている、もう空っぽになる寸前の表情。
あんなに、昔意気揚々としゃべっていたおじいさんの情熱はもう失われて、蘇ることはなかった。
記憶の中のその表情が私を無性に急き立てる。
こうなる前に今の自分を精いっぱい生きろって。
だから、無駄な事をいっぱい考えられる贅沢な環境と肉体を幸運(?)にも与えられた私は、私の有限なエネルギーを無駄に注ぎ込んだ「無駄な事」を美しく有意義な形に残すしかない。
それが紛う事なき私という人間だから。
私の中の無駄を無駄じゃなくする・・・それこそが・・・私自身を無駄なく最大限有意義に消耗することこそが、私の人生の正解に繋がると思う。
こうやって、また、不器用に自分の無駄な思考をどうにかこうにか美しい形にしようと試みている。そして、また自分の未熟さにうなだれる。
美しさ・・・感動は決して自然には生まれないように思う。
感動は意図されて創造されるものなのだと。
私はきっと、自分の人生で何か一つでも他人に与えられるような感動を芸術という形で生み出したいんだ。
だから、無駄なものをせっせと一生懸命集めて、不器用に、あーでもないこーでもないと組み合わせたりなんかしている。
こんなことをする余裕がいつまでも続いてほしい・・・・と自分勝手に思っています。
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