悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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海の中ってなんであんなに綺麗なんだろう?

 

ずっとチャレンジしたいと思っていた海の中の絵を描いてみた。

海中ってなんであんなに魅力的な色合いなのだろう。

小さい頃に見たクリスチャン・ラッセンの海の絵は無性に印象に残ったのを覚えている。

小学生のころ、夏に遊び行ったプールでぼんやりと水中からよく水面をみていたのを覚えている。

水中にいるとき、なんだか懐かしい感じがするのは、人間もずっと昔は海中で生きていたからなのかな?

 

それがホントかは知らんけど。

 

理由はよくわからないけれど、私は海が好きなようだ。

 

そして、絵を描くのはとてつもなく楽しいのだけれども、それと同時にとてつもなく時間を使ってしまう事実に、私は今よくわからない仄かな罪悪感を感じているのでした。

 

やっぱり、創作活動は色々なものを犠牲にするものなのだなあ。

色々なモノの犠牲の上で生まれたその創作物が有意義なものになるならともかく、そうでない場合は?

 

・・・私は時々よくわからなくなってしまう。

 

・・・でもしょがないよね。描きたいものは描きたいのだから。

 

そして、やっぱり時間をつかって描いたものは無駄にしたくないから、こうやってブログにアップするのだなぁって思う。

 

きっと、私の中の何かに対するあがきなのだろう。

 

もしかしたら、ブログという場があるから、私は絵を描こうと思えるのかも?

 

私が家事やらなんやら・・・をする時間を犠牲にして生み出したこの絵がなにか有意義なモノを生んでくれるかも・・・って、きっと期待しているんだろうな。

 

とりあえず、生きているうちに心からやりたい事はしっかりやって、その行為が無駄になって消えないように、何とか・・・形として残していきたいです。

 

私は自分が死ぬときは、自分を空っぽにして死にたいです。

だから、私はそこに向かって今からコツコツ準備しないとなって思うのです。

 

やりたいことを今からしっかりコツコツとやっていったら、きっと、死ぬ間際文句たれぞうにならずにすむはず。

 

「あーあれもやればよかった、あーこれもすればよかった、まだあれもできてないじゃないか。今までなにやってたんだ・・・。あーもどれるならあの時にもどりたい・・・。」なんて頭の中でぼやきながら死に出会いたくない。

 

だから、少しずつ色々なモノを手放していくために、多少醜い部分を見せてしまうことに繋がろうが、自分を晒していかないといけないんだなって思う。

 

自分の醜い部分を晒す恥は、一生手放せない苦しさとくらべたら、些細なことの様に最近の私は思う。

 

少しずつ、少しずつ、自分を手放していきたい。

 

 

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