悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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世界を広げるにはリスクを負う以外道はないのだから。

欲しいものがあるならリスクを負わないといけない。

リスクを負わないで欲しいものを手に入れるなんて出来ない。

でも、リスクを負っても欲しいものが手に入るとは限らない。

自分が「羨ましい〜ずるい。羨ましい〜ずるい。」と思っている対象はあるか。

そして、自分はそうなる為に一体何をしてるか。

何もしないくせに、指をくわえて文句を言っていないか。

暖かい布団から出れないで、うだうだしていないか?

車に乗りたいなら、まず免許をとらないといけない。

車屋さんに足を運ぶのではない。
自動車教習所に行かなくてはいけない。

まず、そこを間違えてはいけない。

そして車に乗ったら、乗らないよりは事故にあう可能性が高い。

車に乗ったら、乗らないよりお金がかかる。

でも、車に乗れる。

車に乗れたら世界が広がる。

でもリスクも高くなる。

出来る事が増えていくとそれによる恩恵がある分、苦悩もある。

目が見えると綺麗な風景が見れる。

だけど、醜い物も見える。

耳が聞こえると、美しい音楽が聴ける。

だけど、聞きたくない言葉も勝手にはいってくる。

幼児だって出来る事が増える分、それによる苦しさも知る。

言葉が理解できるようになったら、言葉によって嬉しくも、辛くもなる。

ああ、言葉でこんなに傷つくのは、言葉が分かるからだ。

自分の生きる世界が広がるということは、傷つく原因も増えるのだ。

傷つく事を恐れていると前に進めない。

傷つくことは怖い。

言葉で傷つくことを知らない無知な子どもだからこそ、言葉を覚えれる。
前に進める。

無知な子どもは前に進むことしか知らない。

傷つく事を怖れてたら、何もできない。

でも…

大人になったら、子どものように無知ではない。

傷つく辛さを知ってしまっている。

世界が広がるのが億劫だ。

これ以上世界を広げたら、リスクも増える。

そう。自分がその広さで満足しているのならいい。

だけど、もしも嫌なら…。

傷つくことを覚悟して一歩を踏み出すしかない。

寒さを覚悟して布団から出るしかない。

うだうだ無駄に考えることは、ただの時間の無駄使いであることに気づかないといけない。

何も考えずに、布団を蹴り上げて起き上がらない限り何も始まらない。

寒さを覚悟して布団から出ないことには何も始まらない。

世界を広げるにはリスクを負う以外、道はないのだから。

もしかしたら、運命の出会いが、その日にあるかもしれないのだから。

千里の道も一歩から。

2019年からの幼児ポピーの大幅リニューアルに期待!デジタル教材は本当にいいのか?

5歳3歳0歳の育児中のヒエヒエです。
なんと…

2019年4月から幼児ポピーの「あおどり(年長用)」と「あかどり(年中用)」が大きくリニューアルするとのこと!

以下の広告が届きました。

幼児ポピーって?

という方はこちらの過去の記事をどうぞ→
www.hiekashi.com



私が愛用しているコスパ最高の通信の幼児用の教材です。



その私のお気に入りの幼児ポピーが2019年から変わる…。

期待しかないです。

私の3歳の次女は今「きいどり(年少用)」をやっているので、ちょうど2019年の4月からはリニューアルする「あかどり(年中用)」を受講することになります。

5歳の長女は今はポピーをしていませんが、「あかどり」と「あおどり」は経験済み(2学年上をさきどりしたため)

ということで、私はリニューアル前の「あかどり」「あおどり」を知っているわけですので、ダイレクトに比較できるということです。

で、どのようにリニューアルするのか、ですが、

届いた広告に記載しているように色々と変わる点はあるみたいですが、私的に大きいと思った変更点は


・月額980円から1100円になる(それぞれ税込)

・デジタルゲームや動画を活用する内容が追加される。


の2点ですかね。

はい、値上がりはケチな主婦としてコスパにちゃんと反映されるかどうかが気になります。

あ、「きいどり(年少さん用)」と「ももちゃん(2、3歳用)」の値段設定は現状維持(月額980円)みたいですのでお間違えなく!


そして、一番気になるのが「デジタル教材」の導入。

「デジタル教材」に関しては私はほぼノータッチの分野だったので、期待もあり、また不安もある面です。

なぜなら、私はあまり「スマホ」を子どもに関わらせたくないと考えていたからです。

「スマホ」は今の時代、もう必要不可欠な存在になりつつあります。

…が、私には幼児期にはそこまで「スマホに関わらせる」必要性を感じなかったのです。

身近にいつでも手に取れる「スマホ」。どうしても気になってしまうスマホ。

小さいうちから「スマホ」に世界を支配されたくない!…と考えておりました。

幼児にとって寧ろ、悪影響の方が強いのではないかと…。

しかし、今回以下の広告も届きました。

幼児ポピーの名物「脳測定実験」を「新版」幼児ポピーでやったら?!…という報告。

私は専門的な詳細はわかりませんが、幼児ポピー監修の篠原菊紀先生のコメントによると

紙教材は、誌面の端から端まで使ってダイナミックに手を動かしながら取り組める良さがあります。またデジタルでは、指先の細やかな動きの調整ができたり、使用中に短いスパンでトライ&エラーを繰り返すため、同じ時間内で集中して取り組める良さがあります。紙教材とデジタルに取り組んでいるときで、脳の使い方が異なることがわかりました。

と、広告でコメントされています(一部抜粋)。

うーん、とにかくデジタルと紙教材では脳の使い方が異なる!って理解でいいのでしょうか。

脳の使う部分が違う!より脳力アップを狙える!って訳でしょうか(ダジャレじゃないですよ)。

デジタルはデジタルでいい面もあるってことですね。きっと。

私も「デジタル教育」に関して寛容にならないといけないのでしょうかね…。


…とにかく!どの様に新版幼児ポピーでデジタル教材が活用されるのか楽しみです。

また、広告によると「ウォーミングアップ」ページも新版から追加されるとのこと。

こちらも期待大です。

本当に色々とバージョンアップするみたいですね。

2019年4月からはポピーは幼児用の英語教材「ポピーKids English」も始まりますし(詳しくは以下の記事をどうぞ☆)

www.hiekashi.com


「あおどり」と「あかどり」の内容が大幅に変更されますし…

ますますポピーから目が離せなくなりそうです。

以上!「2019年、幼児ポピーが大きく変わる!」というお知らせでした☆




【オススメ記事】

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些細なことで幸せを感じるには些細なことで苦しまないといけない

思考するヒエヒエです。

最近、芥川龍之介の「侏儒の言葉」の一部が私の頭の中で渦巻いて離れない。

芥川龍之介の「侏儒の言葉」とは…

『侏儒の言葉』(しゅじゅのことば)は、芥川龍之介の箴言集・文学作品。題名の「侏儒」とは体の小さい人、また知識のない人の蔑称。また俳優の異称でもある。

引用サイト:侏儒の言葉 - Wikipedia

芥川龍之介が、どの様に世の中を見ていたのかがわかる様な気がする内容の作品です。

まぁ、その「侏儒の言葉」の私の頭から離れない一部が以下の文章

瑣事

 人生を幸福にする為には、日常の瑣事(さじ)を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦そよぎ、群雀(むらすずめ)の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
 人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。
 人生を幸福にする為には、日常の瑣事さじに苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戦そよぎ、群雀(むらすずめ)の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。

出典:芥川龍之介 侏儒の言葉


瑣事とは

取るに足らないつまらないこと。ささいなこと。小事。

些事/瑣事(さじ)の意味 - goo国語辞書より


…ああ、確かに。

些細な事で苦しむということは些細な事で幸せを感じるということだ。

簡単に幸せになるには、些細なことで幸せになれればいいのだ。

そして簡単に不幸になる。

例えば、毎日体重計に乗るダイエット中の女の子なんていい例?

1キロ体重が増えただけでも墜地獄の苦痛を感じるけれど、1キロ痩せただけでも、天にも昇るような幸せを感じる。

他人にとってはどーでもいい事だけど、本人にとっては大問題。

自分が苦しみを感じる物事で、自分の世界の広さがわかる。

あー今日は雨だ…洗濯物乾かない…嫌だなあ。

地獄の苦痛。

今日はなんていい天気!洗濯物乾く!嬉しいー。

天にも昇る心地。

普通の子育て主婦の世界。

幼稚園の送り迎え。

今日は仲良いママ友と会えなかった…。

苦痛。

今日は仲良いママ友と沢山話せた!

幸福。

明日から月曜日…朝早く起きないと…。

苦痛。

明日は休みだ!朝早く起きなくていい!

幸福。


あーどんどん些細なことで幸せを感じるようになればいい。

その分些細な事で不幸を感じることも増えるけど。

世界一周旅行しないと幸せといえない!

一億円もってないと幸せなんかじゃない!

総理大臣にならないと幸せになれない!

なんて考えだと、そうなるまで、ずーーっと不幸ってことで…

なれなかったら幸せになる事はないってことで。

そう考えたらダイエット中の女の子って意外と幸せなのかもしれない。

少なくとも1キロ減ったら幸せなのだから。

誰も気づかないけど、確かに幸せなんだ。

生きてる世界が小さいって馬鹿にする?

狭いって?

確かに些細な事で幸せを感じるには生きる世界をある意味狭くする事かもしれない。

受験中の大きな夢を追いかける学生に、体重1キロを気にしている暇はきっとない。

些細な事で幸せを感じている暇はきっとない。

でも、些細な事で幸せを感じるようにならないとなかなか幸せになれないと悟ったら…

落ち着いた大人になってしまった、ってことなのかもしれない。

自分の住む世界の範囲を決めてしまったのかもしれない。

幼児の世界は狭い。

だから、些細なことで、笑ったり泣いたりしてる。

シャボン玉を追いかけては笑い、おもちゃの取り合いで泣き叫ぶ。

でもきっと大人よりも幸せなんだろう。

そして大人よりも不幸なんだろう。

狭い世界だって広い世界だっておんなじ世界だ。

人間の世界とありの世界の優劣は誰が決める?

「幸せ」に優劣はある?

どうせ生きるなら、幸せや不幸の多い人生の方が充実してる?

結局「幸せ」は相対的なもので、比較するものがないと成り立たない。

山あり谷ありのボコボコの人生がいいのか。

平らな線のような人生がいいのか。

まだ、未熟な私にはよくわからない。

とにかく、人は心がけ次第でだれでも幸せにはなれるってこと。

いつの日か…朝ご飯が、味噌汁と白ごはんだけで天にも昇るような幸せを感じれるようになりたいものです。

そしたら、毎日簡単に幸せになれるのだから。

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