一度日本独特の美みたいなのを描いてみたかったので、チャレンジしてみた絵。
この絵は去年の12月に描きました。
ブログへの投稿のタイムラグが凄い…。すっかりはてなぶろぐに顏を出さなくなってしまった私です。今は、「Art street」というイラスト投稿のSNSを中心に活動しているのですが、やっぱり1つに集中しちゃうと、片方がおろそかになってしまいますね。私の場合。
うーん、いろんなSNSに顏を出している人は器用だなあと思います。…ていうか、時間どうなってるの?って本気で思います。
と、話を絵にもどしますが、この絵、無茶苦茶頑張ったのですよ。私はディテールを描くのが本当に苦手なのですが、自分の表現したい世界観のために、今まで逃げてきた、部屋を三点透視図法で描くということにチャレンジしてみた作品です。
この絵は、今はもう無きおばあちゃんの家を、私の幼い頃の記憶の中のイメ―ジを脳内で集中して見つめて具現化してみた作品です。
最近、自分の描きたい絵を描くには、とことん自分と向き合う事が何よりも必要で、そのためには、かなりの集中力と孤独に耐える力が必要だという事をより感じます。それはまるで、ひとりで登山してる感じに似てる気がします。頂上目指してひたすら歩くしかない。決してうしろを振り返らずに頂上を見つめるしかない。そんな気がします。だから、楽しいか、といわれたら、よくわからないのですよ。だって登山だって苦しいのは事実じゃないですか。だけど、頂上にたどり着いた快感を合わせた全体の流れをみたら、やっぱり「好き」な人は好きなんですね。私はこの絵を完成させたとき、自分の中の記憶の一部、すなわち私の一部を絵にできたことにとても快感と多幸感を感じました。それはまるで、山登りで頂上にたどり着いた時と似てます。その頂上の標高が低かったとしても、うれしいものはうれしのです。
この絵は、拙くても、他人から見て0点だったとしても、私の一部であることに変わらないのです。
昔の幼い頃に感じた、日本家屋に何か得体のしれないものが潜んでいるような感覚、多感でなんでも受け止めてしまう、繊細で反応し過ぎてしまう心。今ではあまり感じることが出来なくなってしまった奇妙で言葉では表現できないような感覚。振り返ってみたらすべてが幻だったのではないかと感じてしまう、あの頃の感性で得た「何か」こそが、実は今の私の奥深くの大切な部分を形成しているような気がしてなりません。
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