悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

【スポンサーリンク】

共感が「幸せ」「救う」に重要

共感って大事。
「共感」は
「幸せ」
「救済」にとってきっと重要ワードだ。

最も手軽な共感が生理現象に関わること。

一緒に美味しいものを食べる。
一緒に同じ美味しい感情を共有する。

「今日は暑いですねー」の挨拶とかもその例。
「あなたと今、同じことを感じてますよー」っていう手軽にできる共感。

共感は幸せに大きく関わってる。

だから、小さい子は下ネタを言って共感を求めるのかもね。

「うんち!」

なんて一瞬にして誰もが反応するワードなのだから。

誰もができる最も手軽な共感方法かも。

あと、共感は「救済」には不可欠だと。

本当の意味での救済は「共感」しかないと感じる。

うわべだけ、口先だけでの「共感」したフリじゃだめ。

労いの言葉よりも、何よりも悩む精神を救うもの。

それは、「本当にこの人は私の苦しみを分かってくれている」という確信、実感だ。

本当の意味での共感、共鳴。

孤独な苦悩の渦中にいる人を救えるのはそれしかない。

だから、小説なんかは実は多くの人を救っている。

「あーこの気持ち分かるわー」
「こんな気持ちになるのは、私だけじゃなかったんだ…」

これこそ救済だと思う。

だから、自分と同じ様な立場の人と話して、「分かる分かる〜」っていう何気ない立ち話でも、実はそれは人の為になっているんだよ。

その、「分かる分かる〜」って心から言える会話は実は限られた人にしか出来ないのだから。

実はそんな相手はかなり尊いってこと。

だからね…おばちゃん達の井戸端会議は馬鹿にできない!って話。

意図していないのに人を苦しめてしまうことはしょうがない

自分が意図しなくても、人を苦しめていることってあるんだよ。

幾ら、本人が微塵も望んでいない事だったとしても、どうしようもない方向の原因になっちゃったりするんだ。

それを気にしてちゃいけない。

ただ、自分のもっている世界で最善を尽くすのみ。

例えばあるアイドルがさ、心からファンの幸せを願って一生懸命活動してたりする。でも、そのアイドルにハマった既婚者が熱中し過ぎて、配偶者に気持ちが向かなくなってしまったとする。それがきっかけで離婚してしまった場合。

確かに原因はその「アイドル」だ。

だけど、その配偶者がアイドルを責めるのはお門違いってやつだ。

だって、アイドルは悪くないんだもの。

アイドルはアイドルで自分のテリトリーで頑張っている。

「離婚」という不幸はアイドルのテリトリー外で起こったことなんだ。

この世界は確かにつながっていると思う。

でも個人個人は離れ小島のように、遠く離れていたりする。

離れ小島?場合によっては惑星と惑星ぐらい遠いかも。

そう、いくら個人が頑張っても、力が及ばない領域は存在するんだ。

そのアイドルがいくら努力しようが、その夫婦の離婚への歯止めには、どうあがいても力が及ばないのだ。

自分の持っている小さな世界の範囲でしか力は及ばないから。

その離婚はアイドルにとっては全く意図していないが、紛れもない事実になってしまった。

この事実を知らされたアイドルは、責められたアイドルは、罵倒されたアイドルは、傷つかなければいけないのか?

責任を負わなくてはいけないのか?

自殺しなくてはいけないのか?

そんなの、ナンセンスだ。

確かにそのアイドルはその様な不幸を生み出したかもしれない。

でもそれは、……よくよく考えてみると至る所で発生している事だよ。

ただ、気付くか気付かないかってだけ。大きいか大きくないかってだけ。

存在しているだけで、人を苦しめていることはある。
だけど、逆に存在してるだけで、人を幸せにしていることもあるんだよ。

今の世の中は無意識にアイドルを罵倒する様な、自分の怒りの捌け口として的外れな対象を傷つけるナンセンスな行為が蔓延している気がする。SNSがその行為を開放的にしてしまっている。

そんなエネルギーの乱用は悲しいし破滅を生むだけだ。

もちろん、そんな的外れな相手に攻撃する行為は愚かなことだ。

だけど、言われた方もすべてを受け止める必要はないんだよ。

そんな理不尽な攻撃はさらりと受け流すべきであり、その能力はきっと生きる上でこれからさらに必要になってくる気がする。

何が原因で攻撃されるかなんて、分からない。何が原因で恨まれるかなんて分からないし。その原因が自分ではどうしようもないことかもしれない(もちろん対処できる原因も存在するけど)

だから、ただ、ただ、自分の人生に集中して自分の命を精一杯燃やせばいいんだ。

大切なものから目を離さずに。

命の熱い輝きは、何よりも尊い。

詩が書きたいけどできないよ。恥ずかしいから。普通の人間だから。

自分が感じているどうしようもできない世界を表現したい。

でもできない。

誰かと共感したい。

共有したい。

この感情を。

でもできない。

音楽にできたら、なんて素敵なんだろう。

でもできない。

絵にできたらいいのに。

でもできない。

どうやったら、この生命の慟哭を共有できる?

私の生きた証、今の私のこの奇跡のような…あっという間に消え去っていく感情をどうやったら残せる?

分からない。

字で表せたらいいのに。

でもできない。

しかも、それだけじゃあ、到底届かない。

絵と音楽と字と空間を

全部駆使して表せたらいいのに。

でも、時間もエネルギーも能力も私にはない。

日常生活に大部分は流れていくんだよ。

しかも、例え残っていても悲しくそれらは漏洩していくだけ。

だってどうしようもないんだもの。

不器用なんだもの。怠惰なんだもの。

「私は普通の人間だった」

…なんだか笑えるよね。

このあまりにも当たり前すぎる事実を受け入れるには、虚しくて。それが滑稽で。辛くて…

辛い?辛いフリ?

辛い事にした方が希望があるでしょ。

だから辛い事にしておくよ。

それが、普通の人間の私ができる唯一の無駄なあがきだから。

【スポンサーリンク】