悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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こっそり一生心に刻んでおきたい言葉

私は一応3人の子供を一生懸命育てている専業主婦です。

なんで、いきなり出だしで、こんな事を言い出すのか・・・って感じですね。

いやーなんか、最近子育てと、かけ離れた内容ばかり記事に書いているものだから。

私は最近、リアル生活の「子育て」とはかけ離れた内容をブログには書くようになっている・・・気がする。

なんていうか、ブログの中だけでは、「子育て主婦」というリアル世界とは頭を切り替えたいのです。

「子育て主婦でない母親でない私」も、ちゃんと存在していて、好きなように生きたい(書きたい)・・・というどうしようもない欲望の発散先に今このブログはなっている訳です。

要するに、私なりの息抜きです。

昔は、子育て情報提供系記事も書いていましたが、今は全くそっちはやる気ないです。完全に、「子育てそっちのけ持論展開ブログ」となっている我がブログ。

ですが、私は「母親」であり、「母親」という仕事を本当に毎日全力で頑張っている訳です。

だから、「母親」としての私は、忘れたふりをしていても、今の私を構成するほとんどの部分なのは紛れもない事実。

私は、素直なブログが好きです。ありのままの姿が見える文章が好きです。

だから、私はそんな文章を書きたいのならば、私の「母親」という部分も、蔑ろにしていてはいけないなぁ・・・とフッと思ったのです。

きっと、私はどこかに、ブログでは「専業主婦の私」を隠したいのかもしれません。

ブログを書く間ぐらい「日常の専業主婦の私」から離れて、違う何かになりたいのかも知れません。

ですが、私は決して「専業主婦としての私」を否定的にとらえている訳ではないのです。

寧ろ逆で、私は「毎日一生懸命子育てや家事をしている専業主婦の私」に誇りをもっています。

・・・なんて、少し、私自身のことを今回の記事では語ってみたいのですね。

何故、いきなりそんな事をフッと語ってみたくなったかといいますと、他のブログさんの影響です。

愛読している他の方のブログを読んでると、自分のリアル生活のことまで、しっかり書いていたりして、本当に読んでいて引き込まれる訳です。

そして、そういうリアル生活の内容って結構、ブロガーさんの「人となり」が、より滲み出ていて、すごく・・・ガツンと私の中に文章が入ってくる。

そして、その「人となり」が分かることで、その人の書いた他の記事も、より色々な風景が文章の背後に見えてくる気がするのです。

だから、私もちょっと自分のリアル生活について書いてみようかな・・・なんて思いたった訳ですが・・・やっぱり慣れないことは上手くできないものですね。

なかなか筆が思うように進みません( ;∀;)

とにかく、
「私は毎日動き回る3歳児を追いかけ回しながらの幼稚園の送り迎え、そして週2の子どもの習い事の送り迎えに、合間合間に家事をしているうちに、嘘のようにあっという間に1日が終了〜って感じの日々を送っている」

要約するとこんな感じ(テキトー過ぎ)

子供のために一日の自分のほとんどのエネルギーと時間を捧げている・・・そんな主婦です。

けっこう子育てバリバリ頑張ってます系主婦です。

だからって別に「えー大変ねー」なんて言われたい訳じゃない。
賞賛も別にいい(本当はちょっとコッソリされたいけど)

何故なら、私がやりたくてしていることだから。

私はこんなこと、正直あまり大きな声では言いたくないけれど、「子供の存在に救われている」のだ。

私に「母親」という役割を・・・仕事を与えてくれる。

私は子供の存在のお陰で、生きる理由ができた。

本当にそうなのだ。

私は子供がいなかったら、きっと生きる先が真っ暗で見えなかった。

進む方向が全く見えなかった。

そんな人間だった。

生きるのが下手くそだった。

自分が納得できる「生きる意味」をなかなか見つけれずに、おろおろ歩いていた。

私は他の人からしたらどうでもいいような哲学的なことを無駄に深く考え込んでしまって動けなくなるタイプだったから。

先人たちの名言を好きで読み漁ってるくせに、「一体私がこれを読んで何になるというのだろう」・・・と虚無的な気分に陥ったりもした。

だけど、子供の存在は、「生きる意味」をシンプルに私に提供してくれた。

「子供のために生きればいい」

たったこれだけ。

なんて、簡単な理由だろう。

子どもの精神的・身体的成長のために色々なことを学び、実践して、試行錯誤して、子供と一緒にゆっくり歩んでいく。

決して、「正しい」とか「正しくない」とかは分からない。・・・し、そんな「明確な答え」なんか存在しない。

だけど、試行錯誤しながらやってきた過程はすべて、子どもの「今」にいつかは必ず反映されていく。

こんなにも、「単純な生き甲斐」は他にあるだろうか。

私はきっと「子育てに向いている」そんな誇りももてた。

だから、私は子どもの存在には感謝しかない。

私を母親にしてくれてありがとう・・・と。

・・・なんて、無茶苦茶きれいごとだけを書いてしまったが、もちろん、「あー子育てってなんてしんどいんだ!」とか「一人の時間が欲しい!」とか、しょっちゅう思っている。

私は愚かな人間だから。今、目の前にある有難い事を、どうしても当たり前にあることだと思ってしまい、我儘になってしまう。無い物ねだりになってしまう。

だけど、「子どもの存在に救われている」のは紛れもない事実である。

だから、私は自分の為にも、それを忘れないように、ここに文章として残しておこうと思う。

こんな愚かな私でも、愚かなことを自覚し、意識することで、ブレながらも、きっと真っ直ぐ飛んでいける。大事な「芯」を手放さない限り。

「私は母親という役割を担えて、救われました。子供たち、ありがとう。」

この思いを、私はこれからも決して手放したくない。

こっそりと・・・常にポケットに忍ばせるように・・・これからもずっとこの思いと一緒に生きていきたい。

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