悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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4月5日に亡くなった高畑勲監督の作品が大好きです

高畑勲監督がお亡くなりになったという衝撃的なニュースを知りました。

高畑勲監督が死去 盟友・宮崎駿監督ショック コメント出さず「まだその気持ちにはなれない」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

2018年4月5日にお亡くなりになられたようです。

私は去年、高畑勲監督作品「かぐや姫の物語」を子供といっしょに観て、衝撃を受けました。

端的に言うと

むちゃくちゃ感動したのです。

しばらくこの作品に陶酔していました。

まさにその真っ只中に書いた記事がこちら→

ジブリの「かぐや姫の物語」に感動して辛すぎるのに夫にはサッパリピーマン無理解過ぎて話にならないのでここで熱弁します(多少のネタバレあり) - 悩みすぎな私の子育てライフ

いやー、気持ち悪いぐらい熱弁していますね〜(苦笑)

そして長い。

ですが、今でもこの記事で述べている考えは変わっていません。

こちらの記事で「かぐや姫の物語」について以下のように書いています。

この作品は一回観ただけで、何も咀嚼しようとしなければ何も生まれない。

だけど、一度物語全体を観て、客観的に、かぐや姫の人生を宇宙から見るぐらいものすごく客観的に観て考え続けたら、徐々に輝きを増していく。

不思議な輝きを放ってくる。

そして、高畑さんの人間愛に気付く。

「かぐや姫の物語」は、あれがいけないこれがいけない、なんていう話じゃない。

ただただ、すべてをひっくるめて「美しい」と言っている。

ものすごく肯定している。

私はとてつもなくポジティブなメッセージを受け取った。

「かぐや姫の物語」は切ない?辛い?悲しい?

いやいや全然。

私にはそんな感情を吹き飛ばしてくれるほどの「包み込むような肯定的な人間愛」を感じました。

私は高畑勲さんに実際にお会いしたこともなければ、どんな性格な人間なのかも、メディア情報ぐらいでしか知りません。

ですが、高畑勲監督の作品を通して、高畑さんの世の中に対する「想い」を知ることができているのです。

私は小学生の頃「火垂るの墓」を観て、お母さんが包帯にぐるぐる巻きになっているシーンがトラウマになりました。

ですが、トラウマになるほどの力が「火垂るの墓」にはあるということです。

そして、私はこのような戦争映画はものすごく貴重だと思うのです。

特に色々と忘れ去りそうな今の時代。

絶対にいつか私の子供達にも適した時期が来たら観せたいと考えています。

追悼放送で「火垂るの墓」が4月13日(金)の21時から放送されるみたいですね。

金曜ロードシネマクラブ|日本テレビ

是非未視聴の方は観てください。

観た後は「戦争は何が何でも避けるべきだ」と必ず思います。

特に子育て中の親なら。



高畑勲さんが素敵な作品をこの世に遺してくれたことを、心から感謝しています。

宮沢賢治の考え方がわかる作品「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」

私は宮沢賢治が好きです。

なんだか、よくわからないのですが、小学生の頃、「銀河鉄道の夜」の影絵劇を観た時からずっと魅力に感じています。

そして今なお、その魅力に惹かれ続けています。

宮沢賢治はなんだか、普通の人間が見えない世界が見えている気がするのです。

達観している。

自然の摂理を誰よりも理解している。

そして、あまりに常人とは違う世界が見え過ぎて、とても孤独な人間だった。

そんな宮沢賢治の世界観にとてつもなく惹かれるのです。

宮沢賢治の作品には、普通なら見過ごされがちな、普通ならバカにされるような存在だけど「とてつもなく価値ある存在」を取り上げているものが多い気がします。

本当に価値があるものをみんながこんなにも気づいていない、と強く訴えているのです。

最近私は「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」という話を知りました。

あらすじはウィキペディアから引用します。

虔十(けんじゅう)は、おかしくもないのに笑ってばかりいて知恵が足りないと、周囲から馬鹿にされている少年である。

雪の残る早春に、虔十は家の裏手に杉苗を700本を植えることを思いつく。最初兄から土が合わないと反対されるが、父が虔十の初めてのわがままであることに気づいて、やらせてみることになる。翌日虔十が木を植えているのを見て、隣の平二が馬鹿にして止めさせようとするが、兄がやってきたおかげで何事も起きずにすむ。しかし虔十が木を植えたうわさが広まり、近所より冷笑される。

木は5年まで普通に育ったものの、成長がとまり8年経っても9尺(約2.5m)に留まった。百姓の冗談を真に受けた虔十は下枝を刈って、盆栽のような林になってしまう。兄はそれを見て笑ったもののよい薪が出来たと虔十を慰める。しかし、翌日からそこは子供たちの恰好の遊び場になり、虔十はそれを見て満足する。

ある霧の日、再び平二が実害もないのに、自分の畑に影が入るから木を切るように虔十に迫った。平二は虔十に手をあげるが、虔十はそれを断り、林を守りきる。そういうことがあって後、平二も虔十も病気(チフス)で亡くなってしまう。

それから20年間の間に街は急速に発展し、昔の面影はどこにもなくなってしまう。ある日この村を出てアメリカの教授になって帰って来た博士が15年ぶりに帰郷し、地元の小学校でアメリカについての講演をした。講演後、博士は小学校の校長たちと虔十の林に足を向け、この林だけがそのまま残っているのを発見して、子供心に馬鹿にしていた虔十のことを思い出す。そしてこの背の低い虔十の林のおかげで遊び場が提供されていたことや、今の自分があることを悟り、林の重要性に初めて気づく。

博士は「ああ、全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません」と言って、校長にこの林を虔十公園林と命名し、子供たちのために永久に保存することを提案する。その話が広く伝わり、碑が立つと、かつて虔十の林で遊んで立派になった大人たちから多くの手紙や寄付が学校に集まり、虔十の遺された身内は本当に喜んで泣いた。


出典(虔十公園林 - Wikipedia)

知的障がい者(?)の虔十がみんなにバカにされながらも、理解されてなくても、一生懸命大切に育ててきた杉林。

その杉林が、虔十が亡くなった後も、多くの人に幸せをもたらす、かけがえのない存在になる。

幼少期にこの林とともに育った博士の言葉「ああ、全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません

この言葉に宮沢賢治の考えが凝縮されている気がします。

この作品は、宮沢賢治の純粋な優しさ、考え方を知るには、最適だとおもいます。

宮沢賢治は生前、素晴らしい作品を沢山書いているのに、一般的には全く認められなかった。

きっと、とてつもなく孤独だったでしょう。

でも、自分のやっていることが価値あることだと信じ続け、行動し続けた。書き続けた。

1円にもならなくても。


そして、宮沢賢治の作品は時間がたってからどんどん価値が認められました。

そして、宮沢賢治自身、「価値あるもの(行為)は必ずいずれその価値を発揮しだす」という事を証明したのです。

時空を超え、私のような、主婦の心にこうやって響いています。

私は、宮沢賢治の生き方自体が、なんだか切なくなるほど、勇気づけられます。

なんだか変な表現ですが、宮沢賢治の事を考えると「切なくなる」と「勇気付けられる」が同時に私に降りかかってくるのです。

是非、「虔十公園林」読んでみてください。

青空文庫でも読めますよ!

宮沢賢治 虔十公園林

生きていて一番言われて嬉しかった夫の言葉

4歳児と2歳児の育児中のヒエヒエです。

今回は、私が今まで生きてきて言われて一番嬉しかった言葉について書きたいとおもいます。

なかなか、そのような言葉って巡り会えないものです。

そんな言葉を私は夫からもらいました。

その言葉は本当に日常の中でさりげなく言われたのです。

その「さりげなく」が私にとってはとてつもなく嬉しかったのです。

その言葉はまだ子供が生まれる前の寝る前に言われました。

いつものように、電気を消して真っ暗な寝室で寝る前にポツリポツリと会話をしていました。

そして、眠りの世界に行く瞬間まで意識が曖昧になりながらも、会話するのです。


そんな、寝る前の日常の暗い寝室での会話で、その言葉を言われたのです。

「俺は絶対にヒエヒエよりも後に死にたい。」

会話の前後関係は覚えていません。

老後について話していたかもしれません。

そして、そう言われた瞬間、私ははっきりとその言葉の真意がわかりませんでした。

そんな、私を察したのか、夫は続けてこう言いました。

「俺はちゃんとヒエヒエの死ぬ瞬間まで、支えてあげたい。だから、ヒエヒエより早く死んじゃいけない。それが俺の人生の一つの目標だな。」

私は、びっくりしました。
なぜなら私にはそんな発想がなかったから。

自分のことばかりしか考えてなかったから。

そして、その言葉を言われた瞬間に、じんわりと少しずつ幸せな気持ちが広がっていったのを覚えています。

涙も少し出たかもしれません。

その言葉を言われた瞬間から、私はとても強くなった気がするのです。

例え、その言葉が実現しないにしてもそんなの関係ないのです。

ただ、その「言葉を私にくれた」ってだけで、私をこんなにも満たし、強くしてくれたのです。

どんなプレゼントにもこんなに人を幸せな気持ちにすることってなかなか無いと思います。

夫はこんな私にとってとてつもなく嬉しい事を、本当にさりげなく、プレゼントしてくれるのです。

夫にとっては記憶にも残らないほど当たり前の行動として。

その行動が私にとってはとてつもなく嬉しいのです。

私は夫を尊敬しています。

自分で言うのも変ですが、夫は「愛することは、行動だ」ということを、私に教えてくれました。

私は夫に会うまでは、「愛されたい、愛されたい」と、受け身でしかありませんでした。

そして「愛されなくなったらどうしよう…」と愛を受けれなくなることばり気にして不安になっていました。

自分から「愛」を与えるという発想がなかったのです。

今思えば、悲しい人間でした。

ですが、夫に会って、たくさん愛されて「愛すことは、行動なんだ」と気づいたのです。


「愛する」という行動を続ける限り、「愛」は続くのです。

くさい事を言っているようですが、私はそう確信しているのです。

もちろん、「愛する」という行動を続けることは大変ですし、努力が必要です。

愛する人の欠点を愛することのできない者は、真に愛しているとはいえない

ゲーテ

このゲーテの言葉を私は忘れないように心にしまっています。


欠点をも愛おしく思う。

「こーだから好き」「こーだから嫌い」ではなく、全てをひっくるめて愛す。

無条件で愛す。

「愛」ってこういうことなんだ。

その行動が相手をとてつもなく幸せな気持ちにさせる。

そんなことが当たり前にできる人間、母親になりたいです。

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