悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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暇な時間が耐えれないのは危険?エネルギーと時間があるうちに頭を使え!

思考するヒエヒエです。

私は昔、一人の暇な時間ができるのが怖かった。
まるで自分が一人で何の予定もなく過ごしている時間にみんなが何か他に貴重な事をしていて、どんどん先に行っているんじゃないかって。

でも、子育てして自分の時間があまりなくなると、自分と向き合うことのできる暇な時間ってとても重要な事だということに気付いた。

暇な時間がないと自分の頭をじっくり使えない。

自分の頭をしっかり使うのは実はとても大変なことで、怠けていると、世の中の川の流れに流されるだけみたいになる。

流れに任せるままに流されていたら気付いたら「全く見知らぬ悲惨な場所」に流れ着いてしまっているかもしれない。

そう、自分の頭をちゃんと使うことは、流れる川で、しっかりと自分の力を使って行きたいところへ体を動かして移動するようなものだ。

自分の頭をしっかりつかってしっかり考える事は本当に骨の折れる仕事だ。

だから、殆どの人間はきっと「あーめんどくさい」と思って、流されるままに流されていく。

その方が楽だから。

特に今の世の中複雑になりすぎて、なんとなく流れのままに流される雰囲気がただよっている気がする。

「みーんな流れてるし、私もこのまま流されたままでいっか」みたいな。

私の中のイメージは「ラッコみたいに上をボケーっと見ながら、プカプカ浮いて川でただ流されている」みたいな。

スマホを見ながら流されているのも想像できる。

スマホと自分の世界だけになって、周りの景色なんて全く見えていない。

自分が本当はどこにいるのか、どこに行こうとしているのか全く関心がないのだ。

そして、その川の流れがどんどん強くなっている気がする。

流されていた方が楽なのだ。



でも、もちろんそれはリスクもあることを忘れてはいけない。

朝日新聞のコラム「折々のことば」で書いてあった内容が心に響いた。


部分部分はそれぞれうまく組み合わさっているのだが、それが全体としてどのような絵柄になるのか想像するものがいなくなった。

本当にそう思う。

休みなく忙しく働き、全く自分の頭でしっかり考える機会がなく、少しでも暇ができたら、自分と向き合うのを恐れて(またはめんどくさがって)スマホゲームをしたり、不毛などうでもいい芸能ニュースを読み漁る。

自分は知らないうちに、その様な行動をとるように導かれているのだ。

習慣のように暇ができたらyahoo!ページを開き、特に見る予定がなかった芸能ニュースに指が動く。

自分で選んで行動しているようで、何処かの誰かさんの思惑にはまり、誘導されている。

即ち、「利用される可能性がある」

そう、頭を使わず、ボーっとしていると、そのような事が日常茶飯事に起きているのだ。

受け身な生き方。

こういう日々を送って、ふと流れに身をまかせるのをやめて起き上がって周りを見たら、「全く見知らぬ場所」にたどり着いていて、途方にくれる…。

暇な時間をもっと貴重に使わなければ。
暇を恐れてはいけない。
暇を喜ばないと。
暇なのは贅沢なこと。
暇な時間は自分の頭を使える絶好のチャンス。

周りを見渡せる絶好のチャンス。
自分を培う絶好のチャンス。

暇な時間を受け身の時間につかうのはもったいない。

本を読む。これも気をつけないと受け身になりうる。

スマホゲーム。これは完璧受け身。作り手の餌食にならないように気をつけねば。

頭を使う練習。

脳みそを沢山使う!

インプットは大事だ。でもアウトプットはそれ以上に大事かもしれない。

インプットとアウトプットのバランスに気をつけて。

自分の精神に肉付けを。

自分の精神に肉付けするには「エネルギー」と「時間」が必要なのだ。

労働に追われて時間もエネルギーも不足していたら、精神に肉付けできない。

頭を使う時間がなかったら頭が鈍る。

受け身な生き方が当たり前になり、その様な生き方しかできなくなる。

「受け身である」=「それに支配されている状態」

自分で自分の道を切り開きたいのなら…。

自発的に、積極的に、能動的にどんどん暇な時間で頭を使わなければ。

だから、私は子供には「暇な時間」を耐えれない人間にはなって欲しくない。

暇さえあれば、すぐにスマホで映像を見せたり、ゲームを与えたり、テレビを見せたり、おやつを与えたり、どんどん新しいオモチャを与えたり。

車で移動中、すぐに子供のテレビをつけたり。

それは、自分の頭を使う機会を失わせていることに気づかないといけない。

自分の頭で考えて時間を使う練習をさせないと。

特に子供達は。

そうしなければ、将来受け身な人間を量産する結果になってしまう気がする。

自分の頭をつかって、ストーリーを考える。
遊びを考える。
物を作る。

インプットにばかり集中してしまいがちだが、アウトプットも大事にしないと本当の意味で身につかない。

こちらの記事がとても参考になりました→

www.neomontaka.com



そして、気づいた時には、自分勝手な支配者に知らないうちに利用される…。

そうならないために、しっかり時間があったら自分の頭を使う習慣をつけないと…。

なんて、今後自分自身も、子供にも気をつけようと思ったヒエヒエでした。




あ、最後に重要なこと…

エネルギーと時間がないのに無理に頭を使うことを優先させたら危険。

エネルギー不足なのに無理に走ろうとするのは鬱病の元。

時間とエネルギーがあってこその話し。

どんどん自分磨きができるのは、時間とエネルギーに余裕がある人の特権ということか。

世の中は世知辛い…(´-`)

愛は金で買えるんじゃない?って事を本気で考えてみる。

子育て真っ最中の主婦のヒエヒエです。

わたくし、最近「愛」について語ることが多いのですが…
www.hiekashi.com
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うん、何愛について熱く語っちゃってんだよって感じですが。

はい。私は熱い主婦です。

熱くて何が悪い( ̄∀ ̄)

と言うわけで、そして今回も懲りずに「愛」について引き続き語る訳ですが、

はい。タイトルに書いてるように


「愛は金で買えるんじゃない?」

って話。


…何て不純な考え!


って、昔の純粋ちゃんな私はプンスカプリプリ怒っていたでしょうね。

ですが、最近本気で思う。

愛はお金で買えるって。

何故、「愛はお金で買える」という考えに肯定的になったか、説明していきます。

まず、私の中の「愛」の定義は「愛=肯定的な関心」とします。

例えば、近所のおばあちゃんがニコニコして挨拶してくれるのも「愛」だという考えです。

アナ雪のオラフが言うように「自分のことより相手を大切に思う事」みたいな限定的な愛の定義ではないので、ご了承下さいね(アナ雪知らない方はすみません)

で、その「愛」がお金で買える例として、「習い事」が分かりやすい例だと思います。

私ごとですが、最近娘にスイミングを始めました。

もちろん、お金を払いますね。

そして、その分しっかり子ども達を指導してくれます。

しっかり、名前とその子の能力の段階も把握してくれます。

そう、しっかり関心を寄せてくれるのです。

よくできたら、思いっきり褒めてくれたり、その子その子に合わせて指導方法を変えたり、とても、とても可愛がってくれます。

何故か?

お金をはらっているからです。

お金を払ってくれる親の子だから熱心に関心を寄せてくれているのです。

ある意味限定的です。

誰でもってわけじゃないのです。

お金を払ってくれる親の子どもだから、ここまでしっかり見てくれているのです(しつこくてすみません)

そう、スイミングの先生はお金を求めている(金の亡者って話では決してないですよ)

親は子どもに関心を持って能力を高めて欲しいと思っている。

「愛=肯定的な関心」をお金で買ってますね。

互いにメリットがあるから成り立つわけです。

そう…

愛はお金で買えるのです!!

え?下衆ですか?
不純ですか?

いやいや、愛をお金で買って何が悪い?って私は思うのです。

例えば、よく金持ちのおじいさんが若い綺麗な女性と結婚したら、周りから「金目的だろ!」って非難されますよね。

でも、私はそれを本気で怒る人はただの嫉妬だと思うのですよね。

きっと本気で怒る人はお金を持っていない、綺麗な女の人に好かれたい、おじさんでしょう。

だって、確かに女の人は金目的かもしれません。でも、それできちんと相手に愛を与えて、相手も満足だとしたら何が悪いというのでしょうか。

互いにWIN-WINじゃないですか。

お金も「愛」の獲得手段の一つです。

「愛」はエネルギーですから、どんな方法でも枯渇するよりましです。

ないと生きていけないのですもの。

「愛」を金で買って何が悪い(何回もいいます)

考えてみたら「サービス業」なんてほとんど「愛」の売買ではないでしょうか。

ディズニーランドのキャストさんが笑顔であそこまで歓迎してくれるのは何故か?

誕生日のシールを貼っていたら祝福してくれるのは何故か?

高いお金払っているからです!

その愛を必要とする人がいるから仕事が成り立つのです。

ただ、そのような金で買う愛は「金」が切れると終了です。

習い事と同じように、お金をかけなかったら今までのようには愛を与えられないのです。

「お金を払いませんが、今まで通りスイミング通わせて下さい!」「…は?」って話です。

確かにお金で愛は買えます。

だけど、その愛はお金が切れたら終わります。

そう考えると「金の切れ目は縁の切れ目」とは言い得て妙です。

でも、勘違いして欲しくないのは、金に関係ない「愛」ももちろんあって、そっちの「愛」の方が重要だってこと。

その類の愛は「共存」「依存」「協力」「理解」がキーワードな気がします。

互いが互いを「かけがえのない存在」だと思うこと。

この様な「愛」こそが、今の世の中の枯渇気味な「愛」というエネルギーを増幅させる唯一の手段な気がします。

金で買う「愛」は互いにそこまで増幅は出来ない気がします。

金がどんどん消費されていくので、金だけで「愛」を継続的に得るには相当な金持ちしか無理な気がします。

なので、庶民はこの方法はいずれ自分の首を絞める事になりそうです。

よくありますよね、愛人に貢ぎ続けるために会社のお金をつかっちゃったって話。

または、借金してでもホスト通いをやめれないって話。

愛に無知な悲しい人間の悲劇…。

でもね、ここまで極端じゃないにしても、最近の世の中、みんな愛に無知になりつつあると思う。

近所付き合いが希薄になったり、孤立する子育て主婦や老人。

サザエさんの様なご近所さんみんながファミリーみたいな愛に溢れる環境が夢物語になりつつある世の中。

核家族が増え、利己主義に拍車がかかっている今。

さらにスマホ一つでショッピングまで一人で完了できてしまう世の中。

もう一度「サザエさん」の様な世界に価値を見出してみるか?

それとも、金で愛を買うしか手段がない世界に向かうか。

子供たちが年齢関係なく外で集って遊ぶ光景がなくなり、みんなそれぞれ習い事か?それともゲームか?

親はそれぞれ仕事、子供はコンビニ弁当が普通か?

金による「愛」の争奪戦が繰り広げられる世の中になるのか。

所詮金持ちが得する世の中なのか?

それともインターネットで愛を求める世界?(今だいぶそうなっている気がしますが…)

なんだか色々と話がそれてしまいましたが、「愛は金でかえるんじゃない?」って事を深く考えたヒエヒエでした。

周りの目を気にしすぎるのはもうやめる。って話

人生楽しまなきゃ損だ。

年を重ねるにつれそう思う。

昔は時間なんか、いくらでもあって有り余っていらない!ってぐらいな気持ちだった。

でも、私ももう子供が3人もいるいい年こいた大人。

ここ数年で身近に「死」を感じる機会が多かった。

祖父の死。
友人の死。


祖父は老衰での死だった。

死の2日前ぐらいに病院にお見舞いに行った。

意識はあった。

だけど、目をパカーっと開いていて、口は時々動いて、何か言っているけれども、何を言おうとしているのかはわからなかった。

ずっと祖母のてをにぎっていた。

まるで必死に助けを求めてもがいているようだった。

殆ど動いていないけれども。

その様子をみて、なんだか、生きていて必死にどーでもいいことに悩んで気を揉んでいる自分が、すごく贅沢者のように思えた。

祖父にとっては、もう言いたいことを発することもままならない。

普通に話せて歩いて食べて、いこうと思えばアメリカにだって行ける自分がなんだか、すごい大富豪のような気持ちになった。

「金」を沢山持っているって話ではなく「可能性」を沢山もっているって意味で。

今の私はなんでも出来るじゃん。

その時はそう思った。

周りの目を気にしすぎて、したいことをしないのはアホみたいだ。

もう私はどうどうと生きたい。

我慢も必要だけど、我慢しすぎも馬鹿みたいだ。

今夢中になっていることは「今」夢中になっているのだ。

夢中になっているうちに色々すればいい。

もしかしたら、その「熱」はすぐに冷めてしまうものかもしれない。

鉄は熱いうちに打て

この言葉を体に刻みたい。

美味しいものを美味しいと感じるうちに食べる。

食べれる歯がある内に。
食べれる舌がある内に。
食べれる胃がある内に。


やりたい事をやりたい内にやる。

できる内に。

まぁ、後々身を滅ぼす内容は…

本人がそのリスクを負う覚悟があるのならば、私はしてもいいと思う(リスクを負う事を全く予測出来ずにするのは唯の愚か者)

とにかく、もう、うだうだ言い訳をしてしたいことをしないのは馬鹿みたいだ。

将来のため!将来のため!とやりたくない仕事をして金をコツコツ貯めて、全く使わず死んじゃう。

そんな人生に憧れる?

もちろん将来は大事だ。

でも今の方がもっと大事だ。

お婆さんが髪をピンクに染めたっていいじゃない。

妊婦がハイヒール履いたっていいじゃない。

韓流アイドルに夢中になってもいいじゃない。

タバコが好きだっていいじゃない。

自分で責任を取るんだから。
あなたじゃなく、私が取るんだから。

周りのうだうだ言う声なんてどうでもいいじゃない!

あなたはあなた。

私は私。

あなたが満足ならそれが正解。
私が満足ならそれが正解。

それだけ。

あなたはそう思うかもしれないけれど、私は違うんだ、って軽い感じでいいじゃない。

確かに真剣に受け止めないといけない声もある。

でも、自分の事を本当に考えてくれて、愛のある言葉を真剣にくれる人がどれだけいるというのだろう。

そんなの本当に稀な声で、大体が「やっかみ」からだ。



そんな声に惑わされるな!

どうどうと命を燃やしたい。

私の儚い友の死を少しでも無駄にしないためにも。


www.hiekashi.com



生きてるだけで儲けもん。

私は精一杯生きてやる。

これからは後悔しないようにやりたいようにやっていく。



人生の節目の年にこんなことを考えたヒエヒエでした。

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