悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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鬼滅は30代主婦もハマるのは何故か?自分を例にまとめてみた

3人の子育て中の主婦ヒエヒエです。

最近「鬼滅の刃」を見聞きしない日がないぐらいブームですよね。

ショッピングセンターに行っても至る所に「鬼滅」の文字。

ゲームセンターなんて景品の半分くらいが「鬼滅」

どこに行っても緑と黒の柄がなんとなくある。

何故こんなにも「鬼滅の刃」に世の中の人達は夢中なんだ?えっ?どうしちゃったの?みんな?

…と疑問に感じている人達も中にはいると思います。

私もそんな一人だった。

だけど…

気づいたら夢中になっている一人になってた。

……………いやあね…


夢中になる人の気持ちとてもよくわかりますよ!!

…ということで、今回実際に「鬼滅の刃」にはまったので、30代子育て主婦までもが鬼滅の刃にハマる理由を自分の例を参考にまとめてみます。

鬼滅の刃にはまったきっかけは2回放送された「アニメ」

「『鬼滅の刃』って無茶苦茶はやってるけど、何だ?何で流行ってるんだ?」と不思議に感じながら日々を過ごしていました。

だけど、「鬼滅の刃」に触れるきっかけもなく、ずーっと頭の中にクエッションマークを浮かべながら、でも特に何も「鬼滅」に対してアクションするわけでもなく「ふーんそうなんだ」ぐらいだったわけです。

ただ、そんな私の風向きがかわったのが、2週連続で土曜日に地上波で放送された鬼滅のアニメ。

多分10月に公開される『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の客動員のための公開前特別放送だったのでしょう。

「無限列車編」は鬼滅の刃の漫画の7、8巻に当たる内容をアニメ化したものですが、その1巻から6巻の見所部分を抜粋してアニメで放送してくれたわけですね。

私のような全く知らない人も、この2回分のアニメ(1回約2時間)を見たらざっくりと今からなんとなく追いつける!って訳です。

まさに私のような「気になるけど、知る機会がない」みたいな人向けの鬼滅の刃にハマるゲートウェイとなるような放送だったわけです。

そして、見事にその手中に落ちましたよ。私は。

もうね…私は子育て中なので録画してからみたのですが…

ハマりました(2回目)

30代主婦が鬼滅にハマった理由は昔の気持ちを再体験できるから

まずね、私は現在子育て中で、子供中心の毎日で、そんなに私自身が何かに熱くハマる!って事はほぼなくなった日々を送っていた訳です。

でも、そんな主婦の私にだって昔、少年漫画にハマってワクワクドキドキした日々があった訳です。

特に私は男兄弟がいたので、ジャンプの『ナルト』や『ワンピース』『ハンターハンター』などの王道な漫画にはしっかりハマっていました。

あの、登場人物に感情移入して一緒にハラハラドキドキワクワクする感じは本当にこれ以上ないぐらいの娯楽といっても過言ではないです。

弱い主人公が色々な困難を経て強く立派に成長していく過程はなんとも言えない爽快感を感じるものです。

でも、それは「初めて」が結構重要であって、続きが気になって発売された新刊を手にとって読む!その瞬間が格別な訳です。

誰にも邪魔されないように心踊りながらトイレで読んだのはあるあるじゃないでしょうか?(ありますよね?)

それは私にとっては学生時代の遠い昔の懐かしい記憶の一部であり、青春の一部でもあった訳です。

通り過ぎてしまった。過ぎ去ってしまった思い出。

もう、手には届かないものとなってしまったと思っていた。

なのに…

なんと「鬼滅の刃」はその青春を再度体験させてくれる夢のようなことを実現させてくれちゃった訳です。

時間の流れと子育てですっかり忘れていたあの時の気持ちを。

あの、キラキラ輝くようなハラハラドキドキワクワク体験をもう一度!って感じなのです。

「鬼滅の刃」は主人公が試験を経て鬼滅隊になるとこなんて、ほんと「ハンターハンター」や「ナルト」の試験を彷彿とさせました。

だからって全然パクリとかではないのですよ。新しいのに、あの昔の気持ちを再体験させてくれる。

どこか懐かしいのに新しい。

そして、王道ジャンプ漫画には必ずと言っていいほど登場する主人公以外の「強くて惚れ惚れするキャラ」

ワンピースでいうと、ゾロ?ハンターハンターでいうと、キルア?ナルトはサスケあたりかな(かなり個人的な好みが…)

これも鬼滅には申し分なくいる。

最高です。

いや、この枠って女性読者には必須なので。この枠が魅力的か否かが漫画の人気を左右するといっても過言ではないと私は思っています。

そして、女性読者が大好物なギャップ萌えも至る所に散りばめられています。

そして、内容も大人になった私でも楽しめる奥深いもの、むしろ大人になったからこそ理解できる描写もある、優れもの。

大人でも楽しめる内容で、昔の気持ちを再体験できて、キャラクターも魅力的で…

もうハマらない理由がない。

あと、今の時代なんとなく言いにくい「男なら〜」とか「長男だから〜」みたいなセリフを堂々と発言しているところも、私的には爽快ですね。

うじうじカモフラージュすることなくスパッと言い切る。

なんていうか…もう…

作者さんが好きです。

鬼滅のアニメ化が素晴らしすぎて開いた口が塞がらない

私が鬼滅にハマったのはアニメからでした。そしてそのあと、迷いなく漫画を購入しました(笑)

漫画なんて10年ぶりぐらいに購入しましたよ。

で、漫画を読んで感じたこと。

鬼滅のアニメ化マジヤバい。

いや、本当に漫画の再現度が高すぎる。

一番びっくりしたのがセリフ。

アニメと漫画ほとんど同じ。いや、これ程まで丸々と同じセリフをアニメで使うんだなぁと。

最近のアニメ化はすごいんだなぁと。

まぁ逆に言うと、そのままアニメに採用できるセリフを書かれている原作が素晴らし過ぎるのですがね。

そして、絵柄もアニメと殆どかわらない。

変にスッキリとか美化とかされていない。

本当まんまなんですよ。

漫画特有の崩れた描写もそのままつかっていたりするので、驚きました。

だから、アニメを見た後漫画を読んでも違和感が全くないのですよ。

これって本当にすごい事だと思うのです。

大体、漫画とアニメでは、多少はズレが生じると思うのですよね。

ナルトなんてアニメをみて自分が想像していたナルトの顔と声じゃなくて落胆したのをよく覚えています。

ですが、鬼滅はアニメが漫画を忠実に再現していて、変にいじっていない。

おそらく、作者さんの意向をしっかりと汲み取る努力が凄まじいのでしょう。原作に忠実に、しかもその原作をさらに輝かせるような音楽と映像美。

なんていうか、心からの原作に対するリスペクトと愛と熱意をひしひしと感じます。

だからってアニメと原作、どちらがいいか悪いかって話では決してないんです。

素晴らしい脚本があってこその、素晴らしい舞台。そんな感じ。

調べたら「ufotable」というアニメーションスタジオが製作しているとのこと。

本当に只者ではないです。やばいです、この会社(何様だよ)

鬼滅は子供と一緒に楽しめる子育て主婦にとっては最高の娯楽

「子供と一緒に楽しめる」

これって本当に最高です。

だってね、いくら子供がアンパンマンすきでも、大人は一緒に子供と同じぐらいの熱量でハマることは無理です。

プリキュアだって、キャラの名前言われても、誰?ってなって、聞いてもまた誰?ってなる。ついていけない(人によるかもですが)

ですが、鬼滅は同じぐらいの熱量でハマれる。キャラもバリバリ分かる。むしろ語れる。

いや、親の方が熱いんじゃないかって場合すらある。

なんなら一緒にごっこ遊びもテンション高くできるよ?ってなる。

しかも世間も一緒に熱い。

こんな機会って滅多にないです。

もうこれはお祭りですね。お祭りは楽しまないと損です。

お祭りは意外とすぐに終わってしまいますからね。

ですが、内容的に「子供に見せるのはちょっと…」みたいな事で親が頭を悩ませるのは確か。わかります。すごーく分かりますよー。痛いほど。


だが、知らん。

…要するに、親次第ってこと。

だってね、子供は親をよーーーく見ていますよ。
だからね、親がはまっちゃうと、そりゃあ子供も好きになりますわ。

もう…ね(失笑)

まあ、でもキャラクターデザインが魅力的なので、内容知らなくても雰囲気でキャラクターで楽しめるところも鬼滅のすごいところの一つですね。

まあ、それでもみたがりますけど。

鬼滅は子供がハマるというより、大人がハマってそれが伝播して子供にも伝わっていると私はみています。

ということで…

この話はお終いだな!

まとめ

…ということで、気づいたら私もどっぷりと鬼滅沼にハマっていた訳です。

しかも最近映画も観に行ったのですが、本当に泣いちゃいました。

なんていうか、凄いですね。人気な理由がわかります。

作者さんとアニメ製作会社「ufotable」さんに心から敬服しました。

また機会があったら映画の感想も書きたいと思います。

まだまだ続く鬼滅ブーム。

一ファンとして今後も楽しもうと思います。

では、長々とお付き合いいただきありがとうございました。

孤独な人は趣味を楽しめない?

趣味って何?

いきなりな問いかけですみません。
でも、なんだかよくわからなくなるのです。

絵を描くことが趣味。
手芸をすることが趣味。
文章を書くことが趣味。
本を読むことが趣味。

でもさ、私は昔から、「趣味」というものが何だか苦手だった。

何かに夢中になれば、一人ぼっちの世界に深くずぶりずぶりと沈んでいくようで怖かった。

本を読むのだって、手芸をするのだって、たった一人ですることはとてもとても続けれなかった。

しばらくは続く。だけどすぐにやめた。

孤独に勝てなかった。

要するに私は昔、孤独だった。共有できる人がいなかった。

「趣味=楽しい」になるのは、相手がいてこそな気がする。

本を読んで、その内容をどこかしらで共有できたら楽しい。

手芸で何かを制作して、誰かにみてもらったり、プレゼントしたら楽しい。

文章だって、一生懸命書いたら、やっぱり誰かに読んでもらいたい。

やっぱり、人は孤独には耐えれない。
すごく強いハートを持っていないと。自分は孤独じゃないという自信がないと、趣味にたった一人で没頭なんてできない。

寧ろ、たった一人で、趣味に没頭している人なんて存在するのか?

いや、「私は一人で釣りをするのが趣味です」っていう人もさ、まさか誰にも話さず、誰とも関わらずにしている人はいないよね?

たまたま横にいた釣りをしている人とかと話したりはするでしょ?

絵だって同じだ。

絵を描く時は一人だ。

だけど、一生懸命絵を描いて、誰かに見てもらいたくない人なんている?

趣味は、誰かと何かを共有したい気持ちの表れな気もする。

自分だけが抱いている感情を文字に表して、自分以外の人に少しでも伝えたい。できたら共感して欲しい。

自分が感じている世界を絵に表して、他の人にも感じて欲しい。

自分が作り出したものを、自分以外の人と共有したい。

自分という閉鎖した世界で完結するだけなんて、虚しい。

自分という枠からでて、他人と繋がりたい。

私はブログが趣味だと今のところ思っている。

やっと、大人になって孤独に強くなったから「趣味」というものを心から楽しめる気がする。

ブログで、本来なら私の中だけで渦巻いていた色々な感情を、吐露している。

それは結構爽快だ。

私しか知らない、私の頭の中の事を、ブログという手段を通じて、私以外の人の頭の中にスルリと入ることができる。

友達でも、家族でも、夫でもない他人の頭の中に、入り込むことが出来るんだ。

それはね…私にとっては、孤独を癒してくれることなんだよね。

もちろん、ブログを読んで「この人何言ってんだ?」みたいな人もいると思う。

だけど、たった一人でも、「なんだか、この人の言ってること分かる気がする…」って感じてくれたらこれ以上嬉しい事はない。

でも、ブログが「趣味」というのは、読んでくれる人がいてこそ成り立つんだ。

だからね、私の拙いブログを読んでくれている読者さんには本当に感謝しています。

読んでくれる人がいるおかげで今のところブログが趣味として成り立っている。

読んでくれる人がいなかったら、趣味としてブログをやっている意味がない。

家でこっそりノートに日記を書いているのと変わらない。

色々なことを共有したいんだよ。

社交辞令とかめんどくさいこと抜きで。

まぁ、ブログも孤独に強くないと続けれないよなぁ…とは思う。

結局は、何事も楽しむには「孤独じゃない事」が条件なんだよな。

一人旅を楽しめる人ってさ、きっとさ、「孤独じゃない人」なんだよね。

不安定で孤独で自信がない人は保身に必死で何事も楽しむ余裕なんてないんだ。

何事も楽しむ段階にいくには強くならなくちゃいけないんだなぁ。きっと。

人生を楽しめる余裕のある人になりたい…

最後にそう思ったヒエヒエでした。

人間って何で刺激的な事が好きなんだ?

人間って刺激的な事が好きだよね。

うん、色々な例があると思うけど、例えば、味覚。

子育てしてるとよくわかるんだけど、一度味が濃いものを食べちゃうと後戻りできないんだよね。

もうね、薄い味じゃあ物足りなくなるの。

刺激的な味の虜。

幼児に初めてチョコなんか食べさせた日には、きっと脳がビックリするよね。

なんだ?!この美味いものは!

脳が大喜び。

もう、今まで美味しい美味しいと食べてた味が物足りなく感じてしまう。

でもさ、一度刺激の強い味を知っちゃうと、味覚が鈍感になってしまうのではないかな。

薄味のバリエーションを知る機会が失われてしまう気がする。

ある意味幸せを感じる機会を奪ってしまう。

人間は段階を踏んで成長するのが大切なのだよ。きっと。

いきなりトップレベルの快楽を知ってしまうと、今までコップぐらいの計量カップがさ、いきなりバケツぐらいの容量になっちゃうって感じ。

もう、今まで満足していた量じゃあ、全然満たされないの。

今までだったらすぐに満たされてたのに、もう容量がバケツになっちゃったら、何?こんだけ?全然足りない。ってなっちゃうわけ。

その容量を大きくし続けることは幸せなのか?

一生チョコを知らないコップぐらいの容量の人生が果たして幸せなのか?

それはわからない。

だって、もう私たちは周りにチョコが溢れている世界にいるのだから。

チョコのない世界にはもどれない。

チョコぐらいなら、継続的に入手できるし、健康にも大した害がないからいいかもしれない。

ただ、それが継続的に入手するのが困難で、健康に悪影響だったら…。

不幸になるかもしれない。

極端な例が麻薬。

麻薬なんてきっといっきに容量をプールぐらいにしてしまうのではなかろうか?

もう、今まで「幸せ」と感じていた事柄があまりにもちっぽけなコップ一杯になってしまうのだろう。

他の人はそれで十分満たされることも、もう満たされることはなくなる。

プールに対するコップだから。

普通の人が幸せを感じることが…きっと、子供のおままごとのように感じてしまうのだろう。

もう、大人はおままごとでは幸せは感じれない。

容量があまりにも大きくなってしまったんだ。

だからさ、おままごとで幸せを感じれる時期は貴重なんだよ。

子供は子供らしい遊びでたくさん遊んで、たくさん幸せを感じればいい。

人間はさ、適切な成長段階と身の丈にあった欲望の容量の容れ物を持つべきなのだよ。

子供の容れ物を一気に大きくすることは、幸せを感じる機会を奪っているのかもしれない。

なかなか、満たすものを準備できないのに、容れ物の容量ばかりを大きくしていくのに、腐心してはいけない。

あと、すでに大きくなりすぎた容れ物の中身を満たすのに毎日必死になっているのもなんだか、悲しい。

必死に巨大な容れ物に水をせっせと汲むのに時間を奪われる。

もしかしたら、今はそんな時代なのかもしれない。

何故なら今の時代はスマホですぐに自分の欲望に誰でも簡単にアクセスできる。

ある意味平等に幸せな時代なのかもしれないし、その分自己管理が大変な時代なのかもしれない。

でも、もうスマホのない時代には戻れない。

時代はどこまでも変化しながら流れる。

まるで、行き先のわからない列車に乗っているみたい。

より刺激的なものを求めて…一時的な快楽だけを求めて加速しすぎたら、先は短くなるのはなんとなくわかる。

ゆっくりゆっくり走ればいいのかな?

それとも、疾走感で気持ちよくなりながら全力で走る?

ゆっくり走らないと、周りの景色をみれなくて、自分の今いる場所がよくわからなくなる。

でも、ゆっくり走りすぎると取り残されてしまう。

だから、エネルギー切れにならないように、自分を見失わないように、出来るだけ周りを見ながら走り続けるしかないんだ。

この時代で今を精一杯生き続けるしかない。


胃袋のようにすぐに渇望する欲望の容器と共に。

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