悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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ある主婦のある空虚な気分

ある主婦の戯言。

朝起きて、洗濯物してさ、洗濯物干してさ、食事の準備してさ、食べてさ、食器洗ってさ、買い物行ってさ、買ってきたもの冷蔵庫にいれてさ、また食事作ってさ、洗濯物入れて畳んでさ、ごはん食べてさ、食器あらってさ…なんやかんやさ、色々しているうちに、1日が終わってさ…寝て

起きてまた、洗濯して…


そう、1日の大半を家事に費やしている。


もちろん、この事はさ、意味が無いわけじゃない。大切なことだよ。必要な事だよ。

だけど、なんだかね、

時々ふとした瞬間に…虚しくなる。

なんでだろうね。

役割があって、それをできることは幸せなはずなのに。

きっとね、欲張りなんだ。

自分はこんなことよりもっと出来ることがあるはずだって。

家事なんかにエネルギーと時間をかけてる場合じゃない!ってさ。

そう思いたいんだよね。

そう思いたいんだ。

だけど、現実の私の役割はさ、今やっている事がさ、嘘でも偽りでもなく、それ以上でもそれ以下でもない訳で。

ただその役割がここにあることが真実で。

なのに、何処かにキラキラした別の役割があると思っている。シンデレラがお姫様になるのを夢見てるみたいにさ。

少女でもないいい歳した主婦がさ。

夢だけはまだみたいらしい。

だけどね、現実の私はただ、日々の生活と家事をこなすのに、エネルギーと時間を費やすだけ。

あの、大人になるまでのアホみたいに頑張って集めた知識はなんだったんだ?

過去に覚えた数学の方程式も、必死に覚えた英語の単語も、地球の歴史やなんやかんや…一度は私の頭の中に入ったはずなのに、通り過ぎて、何処かへ行ってしまった。

あれは一体なんだったんだろう。

その風化した後の残骸が、積み重なることなくバラバラと無造作に私の中で散らばっている。

何も形をなさずに。     

この知識はガラクタも同然なのか?   

このガラクタたちで散らかった部屋のような場所は、私の頭の片隅にひっそりと存在している。

きっと、ガラクタをガラクタにしてるのは私だ。

ガラクタにされてしまって何にもなれずに虚しくそこにあるだけだ。

そしてずーっと手がつけられないまま私に見てみぬふりされているんだ。

あーこの部屋、片付けないとなぁ…いつか。

そう、ぼんやり思いながら…

そしてまた朝がきて1日が始まる。

ただ、今、目の前には、沢山の家事が待っている日常が列をなして続いている。

そして、あの部屋には埃が積もり続けるんだ。なんの意味も為すことなく。

別に今の生活は不満じゃないよ。毎日充実してるし。普通に生活していけるだけ幸せだって。本当にそう思う。

もうさ、シンデレラがお姫様になれることを本気で信じるような年齢でもないしさ。

でも時々さ、虚しくなるんだよ。

だから夢を描く。

たとえ、叶わなくったって夢を描くことをしないと、生き続けるのは難しいんだよ。

例え、辿り着けなくてもさ、目標のない山登りと、目標のある山登りは全く違うんだよ。 

目標がないと…挫けてしまいそうになるんだよ。

目標に向かって力強く突き進んでいきたいんだよ。

つなぎとめるものがないと、バラバラになってしまいそうになるから。

だから、私はまだまだ夢を描きたい。

時々その夢の輪郭がかげろうのように消えてしまいそうになるけど。

描き続けたい。

ガラクタが何かになれるチャンスもあるかもしれないから。

過去4年の黒歴史ブログ記事を初めて振り返ってみようと思う

どうも、そこらへんに普通に歩いている主婦ヒエヒエです。

今回は珍しくパソコンで書いています。

いつもは、子どもを寝かしつけた後、暗闇の中、携帯をいじってブログを書いたり書かなかったりしております。って知ったこっちゃねーーって感じですが。

 

私事ですが、ブログを何だかんだ長い間続けてきて、まーー嫌になったりとか、やっぱ書くことって好きだわーとか思うのですが、なんかね、私なりに一生懸命時間とエネルギーを削って書いてきたつもりなのですよ、一応、これでも(なぜ半ギレ?)

 

が、、、まあ、なんていうか、過去の記事ってまーーー読まれないですよね。

 

あれだけ寝る間も惜しんで書いた記事がさ、もうさ、「無」も同然になってしまっているのは・・・・まあ、何とも悲しい。虚しい。泣ける!・・・・という気持ちにふとなりました。

 

私みたいに、ブログに対して継続力のない努力不足な私がこんなこと言うのは笑っちゃう話ですがね。

 

なんていうか、読まれようとする努力を何もしてきていないのですね。ただ、書くときはとことん真剣に書きますが、書いた後は「もうしーーらない」です。

 

正直に言うと読み返すのが恥ずかしい。

 

そう、これが一番なのです。

 

そして、自分でも過去の記事を闇に葬りたいのか読まれたいのか・・・わからない微妙なラインの記事がわんさかあるわけです。

 

ですが、今回私なりに自分の記事を軽く振り返ってみようと思いました。なぜなら、なんか「恥ずかしさ」より今「虚しさ」の方が勝ってしまったから。今は。

 

そして、なんだか、今までのブログの過去をしっかり振り返らなければ、前に進めない段階に今きている・・・と、なぜか思います。要するに行き詰っている。

 

ということで、軽くね。。。かるく。古い順に振り返ってみようと思います(あーーーこわいこわいこわい)

 

なんかタイムカプセルを開ける心境。

 

ということで始めます。

 

えっと、まずは・・・こちらが記念すべき一番最初に書いた記事→

 

www.hiekashi.com

 

やばいよ、この記事を書いてから4年もたってるよ・・・。この短い記事書くだけで徹夜したのを覚えています。

 

そしてこちらの記事も同じく4年前。

もう、なんていうか、若い、ノリが若い。青い。そして、もはや黒歴史。

だけど、この時の情熱は覚えてる。うん。

 

 

 

 

もう、この時は、PVが欲しくてたまらなかった。だからこんな恥を捨てた記事を書いたのを覚えています。子育て中ずっとPVチェックばっかりしてた。この記事でPV50いって、興奮したのを覚えています(遠い目)

 

そして、たまーにこんな日記風記事もかいています。

本当に気まぐれ。基本「今の気持ちを忘れないうちに形に残したい!」という強い思いを元に衝動的に気まぐれに書いております。

 

www.hiekashi.com

 

マジで、この記事自分の記憶の中でも消えてた。

誰からも読まれず、書いた本人にも忘れられ・・・なんて哀れな子!

そして次に目についたのはこちらの記事→

 

www.hiekashi.com

 ははは。まじで、4年後でも闘っているとは。そして4年後でも2歳児の子育てしているとは夢にも思っていないでしょうねー(3人目育児中)過去の私!先はながいぞ。

 

そして次は・・・こちらは内容が重い記事→

www.hiekashi.com

 

こちらの記事は本当に真剣に真剣に死んだ友達について思い出しながら、自分の心と向き合って書きました。我ながら書き終えた後、達成感があったのを覚えています。

読者さんから、「泣きました」と感想を頂いた時は本当にうれしかった。

 

あと、子育て主婦ならではの記事→

 

www.hiekashi.com

 個人的にこういう記事は繊細な内容なので投稿する時は真剣に何度も読み直します。そしてコメントがくるのが本当に怖い。そして正直あまり書きたくない分野です(過去に痛い目に合ったので)

 

そして時に専門家みたいになりきって記事を書きたくなる衝動に駆られます。

うん、結構しばしばかられる。

こんな記事とかか。。。

 

www.hiekashi.com

 

あーーもう、なんかすごく真剣に書いたのは覚えているけど、今の疲れた頭の私には全く読む気にならない内容と文章だわ。本当にしっかりと読んでくださった読者さんがいてくれたのなら感謝しかありません。

でも、マジで当時はきっと論文でも書くつもりの熱意で書いています。

 

次にこんなの→

 

www.hiekashi.com

 

あまり頭を使いたくない時はこんな記事の方が読んでいて気分がいいですね。

んん?ここまで振り返ってみて、なんか自分の記事を振り返ることで読者さんの気持ちが少し分かることに気づきました。あーー私4年間もこの作業放置してたよ。記事をふりかえるのってやっぱり大切なのかもしれませんね。

 

そして・・・あーーーこれこれ。

 

 

www.hiekashi.com

 

 

www.hiekashi.com

 

この記事もむちゃくちゃ頭をフル回転して徹夜で布団の中で書いたのを覚えています。本当に真剣に真剣に書いたのよ。で、書き終わった後、私天才じゃね?とか興奮した頭で思ったこともぼんやりと覚えています。でもね、さすがに私でも何となくわかります。・・・この記事真剣に読んだ人・・・・・いる?

あーこういうのをJIKOMANZOKUっていうのかな?

 

えええっっと次はこれにしようかな(何だか苦しくなってきた)

 

 

www.hiekashi.com

 

時々こんなのを書いちゃったりします。

うん、こういう記事を書くときは大体すごーーく嫌なことがあった時ですね。

嫌で嫌でたまらなくて、頭を掻きむしりたくなる程イライラして、書く事によって頭を整理して負の感情を浄化する、って動機で書いた記事です。この類の記事も結構書いているきがする・・・。

こういう記事を書くときは、「あーブログやってて良かった」と心から感じますね。

 

 

・・・・・ということで、本当にざっつーーーーーーーに自分の記事を過去をさかのぼって振り返ってみました・・・が、2017年でもう・・・・限界。もうHPない(ハヤッ)

 

 

 

ですが、意外と・・・楽しかったですね(はあはあ)。また気が向いたらしたいと思います。

自分の過去を振り返るのってなんて嫌なエネルギーをつかうことでしょう。いや、私が生んだかわいい子達(記事)なのだから、私が受け入れてあげなくてだれが受け入れる!

これからは、もっと自分の過去の記事を大切にしようと思いました。うん、生みの親にも忘れられたらあまりにもかわいそうだわ。

 

もし私の過去の遺物がだれかの心にこの記事をきっかけにして響いてくれたらこれ以上嬉しいことはありません。

 

以上、お付き合いいただきありがとうございました!

 

 

自殺する人の心境ってこんな感じかな


***********

時々すごく虚無的な絶望的な気分になる。

何もかもに意味を見出せなくなり、ゴチゴチに固まった鉛のように重くなった心を動かそうとするけど、全く響かなくなる。

いたずらに、美味しいものを食べて心を動かそうとしてみても、胃の中に石を放り込んでいるような感じ。

何も感情が動かない。

今まで、私は一体どうやって、あんなに動けていたんだっけ?何のために動いていたんだっけ?

動機がどうしても見つからない。

そして、動けない自分はまるで壊れた掃除機のように、価値のないものになってしまうのではないか。

そんなの、嫌だ、怖い。

だけど、どうしても、心も体が動かない。

今までの日常生活を送るための、今までの熱意が、気力が、モチベーションが…まるで幻のように消えてしまう。

あるのは鉛のように動かない体と、心だけ。

もう、自分は故障してしまったのかもしれない。ただ普段と変わらない容れ物を残して。

今までのように、周りの期待に応えて動けない。

寧ろ、日常生活の最低限の行動さえもできるか不安でしょうがない。

だけど、自分の周りの世界、テレビやネットの世界でも、今この瞬間も、どんどん上へ上へ登って行っている人たちがいる。

自分が脱落者のような、とてつもなく惨めで情けない奴に思える。

マラソン大会でみんな普通に走っているのに、もう、こっちは周りのペースについていくのがやっと…それどころか、今にも倒れそうなんだ。

でも、そんな醜態をみせたくない。

だって周りにギョッとした目でみられたくない。

哀れな奴、ダメな奴って…見損なったって、あーこういう人だったのね、って思われたくない。

そして、迷惑もかけたくない。失望もされたくない。誰かの負担にもなりたくない。

今まで必死にコツコツと汗水たらして頑張ってきたパズルを自分からぐちゃぐちゃに崩すことなんて出来ない。

期待に応えないといけないのに、それどころか、脱落…なんて…。

もう、自分にはどうしようもできない。

まるで、真っ暗な出口のわからない洞窟の奥深くで一人でうずくまっているみたいだ。


そして、私が今そんな場所にいることを誰一人知らないんだ。


***************


最近、芸能人の方の自殺の報道がある度に、私はどうしても、その方々が苦しんで彷徨って居たであろう、「真っ暗な虚無の空間」を想像せずにはいられません。

きっと、人知れず底知れない闇の中に長い間いたのでしょう。

今はその闇から抜け出せて苦悩から解放されて救われたと信じています。

ただ、その手段を「自殺」という道でしか見出せなかったのは、どうしようもなく悲しい。

今、この瞬間も、そんな真っ暗な闇の中にうずくまっている人達は沢山いるのです。

優しく手を差し伸べる人が…そして、その手を求めることが普通にできる世の中になったらいいのに、と思います。

よく「何があっても『自殺』は駄目」ってききます。

だけど、私には自殺を選んだ人を責めれない。

だって、きっとそんなこと本人たちも分かっていたことです。

それでも「死」を選ばずにはいられなかった。

自殺はその人が選べた唯一の「地獄から出れる方法」かもしれなかったから。今まで自分を押し殺して、我慢して我慢して他人の期待に応え続けていたその人にとって残された最後の選択肢だったのかもしれないから。

「自殺」を選んだ人は出来る自分を演じ過ぎたのかもしれない。

そして、周りはそれに甘え過ぎていたのかもしれない。

私たちが覚えていなければいけないことは、いくら強そうにみえても、大丈夫そうにみえても、人間は弱いってこと。

誰にも頼らずに、迷惑をかけずになんて、生きていけないんだよ。

弱くて、情けなくてもいいんだよ。

それが当たり前だから。

って言い聞かせながら強がって生きるしかない。

いくら惨めでも、情けなくても、駄目駄目でも、醜態を晒しても、生き続けることが素晴らしいと私は信じています。

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