悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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あなたが綺麗なままでいられるのは

あなたが綺麗なのは、誰かが肩代わりしてるから。

あなたが綺麗なまま、汚い人を見下したり、憎むのは、誰が肩代わりしているのを知らないから。

 

あなたが綺麗なまま、汚れ知らずで生き続けれるのは、どこかで誰かが肩代わりし続けているから。

 

あなたの部屋をピカピカにしても、その分、汚れは外に流れるだけだから。

 

ピカピカで気持ちがいいのは、誰かがその分、肩代わりして頑張ってくれているから。

 

あなたが綺麗なままでいれるのは、ただ、あなたがそういう恵まれた環境にいたってだけ。

 

綺麗なあなたが汚い人を「汚い」って嫌うのは、お姫様が、召使いを「汚い」って嫌うのと同じこと。

 

お姫様が綺麗なんじゃない。

 

お姫様って立場が綺麗なだけだ。

 

お姫様って容れ物が綺麗なだけだ。

 

あなたが、綺麗なまま好き勝手に動き回るために、どれだけ召使いたちが働いているか。

 

だからってお姫様の存在が悪いっていいたいんじゃない。

 

だけど、お姫様が召使いを「汚い」って言って見下すことは愚かなことだと。

 

お姫様は召使いがどれだけ働いてくれてるか、知るべきなんだ。

 

「お姫様」の容れ物

「召使い」の容れ物

 

それを取っ払うと、どっちも同じ、人間というちっぽけな肉体だけ。

 

シンデレラだって、綺麗なドレスを着たら、お姫様になったじゃないか。

 

綺麗に見えるあなたは、ただ、綺麗な容れ物に入ってるってだけ。

 

汚いバケツに入った水も、ゴージャスな花瓶に入った水も、結局は同じ水だ。

 

あなたはたまたま、そんな花瓶に入れたってだけ。

 

あなたではなく、汚いバケツに入った水は掃除のためにあっという間に使われて、そして汚れた。

 

それだけの話。

「高潔」な彼らが見る世界

晩年、静かなる大崩落のような破滅に向かう人は、理想が高くて、頑固で、完璧主義で、粘り強くて、真面目なタイプ。

 

端的にいうと「高潔」なタイプだ。

 

自分の老化や時代の流れによって、自分の今まで築き上げてきた「秩序の塔」を維持するのがもう困難である状況なのに、なお完璧なまま維持しようとしている「高潔」なタイプ。

 

自分の理想でない姿を受け入れれないタイプ。許せないタイプ。そう、ストイックなんだ。

 

もう、今の状態じゃあ、自分の「秩序の塔」を維持するのは難しいのに、何とか維持しようと頑なにもがいている。

 

その結果、維持する為のエネルギーを周りから無理やり奪う方向に向かう。

 

高潔な人間であればあるほど、自分の秩序の崩壊が我慢でない。だからエネルギーの質に拘らず、どうにかしようとする。その為、愛エネルギーではなく、憎悪エネルギーを多大に利用するようになる。

 

自分の「秩序の塔」を保ち続けるために、他人から無理にエネルギーをもぎ取る。それも、憎悪エネルギーを大量に生み出して。

 

見境なくエネルギーを得るのに必死になる。

そして周りが見えなくなる。

自分の何が何でも守りたい「秩序の塔」の状態しか見えなくなる。

 

高潔なタイプが巨大な権力をもっていると大変だ。

 

ヒトラーがきっとそうだ。彼は高潔すぎた。彼は彼の中の理想の姿に囚われすぎた。

 

時代の流れを受け入れずに、もう大分ガタが来ている「秩序の塔」の保持に固執し、最後は糸が切れるような、大崩落のような破滅に向かった。

モノクロの血だらけの混乱の世界で、「高潔」な彼らが見ているのは、今にも崩れそうな、時代錯誤の「秩序の塔」だけだ。

 

その虚しい「秩序の塔」が倒れない様に、何も知らないうちに、多くの人達が、血をダラダラと流しながら必死に手で支えることを強いられている。

 

そして、きっと、彼らはそれを馬鹿げたことだと知っていたとしても、もうその手を離すことができなくなってしまっている。

 

離した瞬間、自分達が塔の下敷きになってしまう事を知っているから。

 

支える人達は、高潔な彼らに利用され、取り込まれてしまった。

 

極端な性質は極端な結果を生む。

 

「高潔」はダイヤモンドのようだ。

ものすごく硬い。そして砕け散る時は一瞬だ。

 

 

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頭の中で考えたことしか形にならない。

頭の中で考えたことしか形にならない。

考えていないことは決して形にはならない。

ブログの記事だって、ボーっとしてたんじゃ、何にも書けない。

ブログの記事を書く為の「頭の中で考える」時間とエネルギーを費やしてるから、記事が生み出せる。

壮大なストーリーをつくるには、それだけ、そのストーリーをつくる時間とエネルギーが必要なんだ。

だから、すごい大作は、それだけその人の時間とエネルギーをそこに費やしたってこと。

その人の有限で貴重なエネルギーをそこに注ぎ込んだってこと。

 

そのために、命を削ったってこと。

 

それは相当な覚悟だよ。

 

色んなものを犠牲にした上で、全ての作品は生まれる。

 

そう考えたら、創作活動一本で生きていこうって決断した人は、すっごい覚悟だよ。もう決死の覚悟だね。

 

その人の生み出した作品は、その人が人生をかけて、頭の中で考え続けていることの表れだ。

 

ブログだって、その人がどんな事を考え続けているのかの表れだ。

 

他人から見て、全然興味がなかったり、当たり前だったり、しょーもないことだったとしてもさ、その記事に書いていることを、その記事を書いた人は一生懸命考えていた時間が確かに存在したってこと。

 

他人がどう思おうが、書く本人は真剣そのものなんだ。自分を晒してまで、形にしたい何かがあった。

 

そうでなきゃ、何で自分の貴重なエネルギーと時間の多くをそこに費やすだろうか?

 

他人がそんなふうにして、生み出したものを決して馬鹿になんかしては駄目だ。

 

この事はしっかり心に刻んでおこうと思う。

 

誰かが真剣に生み出した作品を、どんなことがあっても貶しては駄目だ。

 

それは、その人を貶めることに繋がるのだから。

 

こんな気づきを、ブログで文章を書き続けてきた私は得た。このブログの記事たちを生み出すために、私がどれだけの時間とエネルギーを費やしたか。

 

自分が実際にやってみて、初めて気づけることは本当に貴重だ。お金で買えるもんじゃない。

 

自分が実際に経験することで、知れる「重み」がある。

 

私は、ブログを書くことを通して、文章を生み出すことの「重み」を知れたと思う。

 

それだけでも、今までブログをやってきてよかったと思うよ。

 

なんか、こんな言い方だと、もうブログバイバイって感じだけど、まだ書きつづけるよ。きっと。

 

書くことって楽しいもんね。

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