時々すごく自由になりたくなる時がある。
まるで、水の中にできた気泡みたいにふっと、そんな気持ちが生じては。
ふっと、消える。
現実的じゃないって知ってるからね。もう。
自由に誰もが憧れるけれど、やっぱり実際に自由にはなりたがらない。
それは自暴自棄に少なからず繋がるってみんな、なんとなく知っているからかな。
誰もが自由に漠然と憧れている。
誰かさんの結婚式で見た、青空に一斉に飛ばされていくあのカラフルな風船達みたいに。
でも、なんだか、解き放ったその瞬間は心が躍るけれど、
豆粒みたいに遠くに行ってしまった風船を見ていると、なんだか、さみしく、少し孤独な気持ちになる。
一気に
「輝く風船!」から
「哀愁漂う風船」になる。
ああ、あの風船達はこの後、たった一人で遠くまで彷徨って、いつか人知れず割れて、そして海の藻屑になるんだ…って。
ちょっと考えてから思考停止。
そして、一気に興味を失うんだ。
だからね、安全なところにみんな集まってつながれていた方がいいのかもしれない。
自由を夢みるのって、風船達が綺麗な青空にカラフルに解き放たれた一瞬を、
「美しい」って感じているのににてる。
写真だってその瞬間を好んで撮るでしょ?
解き放たれた風船のその後なんて、考えたくもない。
同じ現実なのに。
自由って恐いよ。
ある程度の枠がないと。
一番安全なのは繋がれていること。
でもそれじゃあ嫌だ?
じゃあ、範囲を決める?
犬だって、繋ぎっぱなしは安全だけど可愛そう。
じゃあ家では自由。
でも、不満?
じゃあ、庭を開放してあげよう。
え?それでも不満?
じゃあ、もうどこにでも行っていいよ。
バイバイ〜。
そして、その日からその犬は帰ってこなくなった。
うん、私っていいことしたな♪
…って違うでしょ?
強くないと自由にしたらダメだ。
自分が強くなってこそ、少し上の段階の自由を手に入れれるだけ。
強くないのに、自由になったら…
それは自暴自棄だ。
弱くて向上心がない人間が自由なんて求めちゃだめだ。
自由を求めるなら、
覚悟しないと。
そうしないと、海の藻屑になっちゃう。
弱い風船はあっという間に割れちゃう。
弱い私は、柵の中から遠くを見るしかない。
そして、それが安全だし、幸せなことでもある。
より、安全な、快適な、環境を柵の内側につくるんだ。
もう、自分に子供がいる今、自由を求める子犬みたいに、考えなしに家を飛び出るなんてことは、できるはずがないし、したいとも思わない。
柵の外側のことじゃなく、内側に目を向けないと。
自分の自由ばかりに目を向けたら…
そんなことをしたら何も守れないんだよ。
自由を本当に求めるのは、無知な子供だけってことなんだよな。きっと。
でも、自分に見合った自由を少しずつ求めることは、
いつまでも諦めなくていいことだと思う。
柵をとっぱらうんじゃなくて、
努力して、
柵の範囲を広げていく。
「全くの自由!」
と、
「少しずつ自由を求めていく」
って全く違うことなんだね。
履き違えないようにしないと。
全くの自由がいい!って望むことは、
飼い犬が、家を脱走することを望むのと同じぐらい愚かなこと。
でも、いつまでも繋がれてることを嫌がって、家の中の自由を求めることは、
愚かなことじゃないんだよ。
きっと。