肉体世界ではなく、精神世界の例え話し。
ぽっと閃いた思いつきメモ。
素早く動き回るためには兎に角、骨格となる何かが必要なのです。
私たちは「軟体動物みたいなもの」とします。
スライムのような、決まった形を持っていない何か。
それは、骨がなきゃ動き回れません。
うねうねと地面を這うだけで素早く動けないのです。それに、「自分の形」ももっていません。
それでも生きていける環境なら、そのままでいいのかもしれません。
その人はお気楽な人です。
でも、そんなお気楽な人ばかりではないのです。
今すぐ動かないと生きていけない環境の人はどうすればいいのでしょう。
動き回るために骨格を作らないといけません。
その骨格が正しいか正しくないかは「素早く動く」ことに関してはあまり問題ではないのです。
自分が「これは骨格になる!」と信じてたらそれでいいのです。それがその人の紛れもない骨格なのです。
例えば、戦争に強制的に行かないといけなくなったら、「日本のため、天皇のため!」みたいな骨組みがないと、戦場という過酷な環境には耐えれないのです。この場合は、強いられた行動の為にその行動に適した骨組みを無理やり自分にセットするのです。戦争のために作られた骨格を装備するのです。そうしないと生きれないのです。
強いられた行動のために、その強いられた「骨組み」を信じるしかないのです。
それは、逆にいうと、信じれなくなった途端、その骨達はガラガラと崩れ去ってしまい、自分の形が無くなってしまうのかもしれません。
そして一気に、今まで普通にしていた行動ができなくなってしまうのです。
動き回るためには自分の「骨格」を信じないといけません。
動き回るためには、兎に角「骨格」を手に入れないといけないのです。
だけど、今の過酷な世の中を生き延びるのに自分の骨格を0から自分で構築することはほぼ不可能です。どんなお気楽な立場の人だって、時間が足りなさすぎるのです。
そのために即時的に役に立つのが、ある程度の行動力が保証された、長い間考え抜かれて精密に設計された骨キット、「宗教」です。
凄く機能的に予め設計された骨達、即ち骨格を自分に装着する為のキット。
それが「宗教」だと思うのです。
だけど、従来の主要な「宗教」も信じれない人が増えてきた。信じれない宗教は決してその人の骨格にはなれない。
信じれないものは決して骨にはなれない。
さらに、既存の宗教の「骨格」だと、対応できないほど世界は変わってしまったのかもしれない。
要するにリニューアルしないと、時代に合わなくなってきた。既存の宗教は、ある程度の機能性は保証されている分、融通が効かないというデメリットがある。良くも悪くも完璧なのだ。
だけど、ずっとその既存の宗教骨格をセットして生きていた人間は、自分の形を保つため、動き回るためには、もうその骨格を手放すわけにはいかない。今までどおり動くために、骨格を信じている。寧ろ、それだけの為に信じてる。そんな感じかもしれない。
昔の人間ならそれでいい。だけど、今から自分が信じれる骨格を準備しないといけない若者はどうしたらいいか。
それは、きっと自分で設計するしかない。
ニーチェが言った「末人」は、何も自分の骨格だと信じれずに、自分に適した骨格を求めることをやめ、動き回るのを諦めた人間のことを指すと思う。
ニーチェがいった「超人」は、既存の宗教骨格キットではなく、新たに自分が信じれる骨達を集め、骨組みを自分で作り、準備し、カスタマイズし、従来品よりさらに素早く自由に動こうと試みる人間だと思う。
今の時代、ありがたい事に色々な骨格の部品となりうる優秀な骨パーツはそこらへんに転がっていてすぐに手に入る。
これからの時代力強く生きていくのに必要なのは、自分の骨格を・・・今の時代を飛び回ることのできる、今の時代にあった素晴らしい設計の骨格を作り出す力だと思う。
それは、自分が信じれる骨や骨組みを、鍛えた洞察力で探し、収集し、吟味しながら、取捨選択し、地道にコツコツ組み立てていくしかない。それは、きっと果てしなく長く、骨の折れる作業だろう。だけど、自分の納得いく、信じられる、自分がどこまでも自由に羽ばたける「自分の形」をきっと手に入れれる唯一の道だ。
それができないのなら、きっと、取っ替え引っ替え、他人の作った骨格キットに盲目的に依存し続けるしかない。
それか、自分に合った骨格を追い求め手に入れることを放棄し、じっとその場から自分の意思で動けずに、周りの流れに任せて生きるしかない。
それが、きっとニーチェのいう「末人」なのだろう。
それは、ただ水中で漂うしか出来ないクラゲに似ている。
自分が進みたい方向にはなかなか行けず、水の流れのまま、ゆらゆらと漂う。
それはそれで、いいのかもしれない。
軟体動物が、軟体動物のまま今までこの地球上に生き続けているように。
だけど、それは、今までの人間とは違った、別の生物のようになってしまうのかもしれない。