戦争に苦しむ人
子どもの病気
ずっと寄り添っているとつらい。自分が疲労困憊してしまう。自分がダウンしてしまったら子どもの看病ができなくなってしまう。ダウンしていいことなんて何もない。
寄り添うことを適度に忘れないといけない。持久戦だと特に。
適度に忘れて適度に「寄り添うこと」にもどっていかないといけない。
適度に「寄り添うこと」から離れて、でも適切な行動はし続けないといけない。
煮えてる鍋をじっとみても、決して料理は出来上がらない。
適度に、目を逸らして、鍋の存在を忘れる。
だけど、決して完全に忘れ去ってはいけない。
心の片隅で鍋の存在を覚えておきながら、鍋からは目を逸らす。
完全に忘れないように工夫をするといいかもしれない。
タイマーとかさ。利用して。メタ認知を発動させるってわけさ。
完全に鍋を忘れ去ってしまったら、料理は焦げついてしまう。
「料理を作りあげる」という目標は見失ってはいけない。
だけど、煮えてる鍋をじっと見続ける必要はない。
寄り添うことを忘れることは悪いことじゃない。
よくないのは、目的を完全に忘れ去ること。寄り添うことを、ずーっと放置すること。
適切な行動をせずに、目を逸らし続けること。
忘れ続けること。
煮えてる鍋はずっと見つめていても料理ははかどらない。
だけど、煮えてる鍋の存在を忘れ去ってしまうのは、永遠に料理は完成することはない。
鍋が焦げ付いて、もうどうしようもない状態になった時に、途方に暮れて佇むだけだ。
だから、目的を見失うことなく、適度に忘れて、適度に思い出して、目的への熱意を思い出しながら、一歩一歩確実に歩き続けるしかないんだろう。
時には目的への最短ルートを少し外れてしまってもいい。目的を見失わない限り軌道修正できるから。
ただ、見失ってしまったら・・・もう目的には届かなくなってしまう。目的からどんどん離れていってしまう。
目的を見失わずにずっと見続けるのは実はとてもしんどいし、大変なことだ。
だけど、その目的はきっと、自分にとってどうしようもなく大切で、キラキラと輝いていたからこそ、必ず行かないとって決めたのだ。
その輝きを忘れない限り、そこに向かって進むことができる。
その目的の輝きを、どれだけ慈しむことができるか。大切に大切に思えるか。その気持ちの大きさにその輝きの命はかかっていると思う。
その輝きを見失わない自信があるのなら、適度に忘れることは怖くない。怖がらなくていい。
大丈夫。自分を信じて。「寄り添って苦しまなくちゃいけない」って気持ちを、そっと離してもいいんだよ。目的を忘れなかったらいい。目的まで落ち着いて自分のベストな速さで着実に歩き進めばいい。
自分を無駄に苦しめないように調整する能力も、効率よく上手に生きていくコツの一つだとつくづく思う。