久しぶりのブログ記事投稿です。
やっと子ども達の夏休みが終わり、やっと、家の中での一人の静かな時間がやってきた。
やっぱり一人の時間って最高なのですよ。
だからって、別に「子育ていやだ!」っていう極端な話ではなく、適度な一人時間の確保は大事ってこと。
「自分としっかり向き合える時間」ってこんなに大事なんだなって、ひしひしと感じております。
子ども達が夏休みの間、ブログから完全に離れていたのだけれども、なんていうか、全然平気だった。
ま、私にとってブログはその程度の存在になってしまった?・・・なったのだろう。
でも、文章を書く習慣がなくなってしまっては文章を書く能力がどんどんなくなってしまうので、書かないとなって思う。だから、またぼちぼちブログを書く習慣を始めたいと思う。
ということで、静かになった一人時間に静かにそっとパソコンで久しぶりにはてなブログを立ち上げた。
この夏休み・・・長いようであっという間に終わった夏休みに私の中で密かに心に残った思い出を密かにここに書いて残しておこうと思う。
なぜか青空文庫で中島敦の『山月記』を読んだ
何でだろう・・・?何故かふっと読みたくなった。
高校生のときに国語の授業でもちろん『山月記』には触れていたのだけれども、今読むと、当時読み取れなかった心の描写が読み取れるようなった気がする。最近、本を読むときに、本の中の登場人物の視点から読むのではなく、その話を書いた著者の心境に思いを馳せて文章を読むようになった。
その文章の作者が創り出した世界観にどっぷり浸かって味わうのではなく、今は亡き中島敦の当時の心境を感じながら読む・・・という読み方を今の私は楽しめれるようになったと思う。
そのように読むと、当時の熱くどこか切なくやるせない中島敦の気持ちが痛いほど伝わってきた。
やっぱり、人生経験を積まないと見えてこない世界があるんだなって思った。
年を取ってから読むと、まるで昔は雲の上の存在だったような偉人をとても身近に感じることがある。なんだか、偉人の人間臭さに気が付くようになる。自分が偉人たちの享年と近づいてきているからだろうか。
偉人偉人と言われる人たちも、結局は一人ぼっちの同じような苦悩をもつ人間なのだな、と気づく。・・・と同時に、自分も同じぐらい彼らと生きてきたはずなのに、このような偉業を成し遂げた(名作を残した)と考えると、なんだか立ちくらみを起こしそうになる。
そこまで彼らが歩いてきた道のりが長すぎて・・・。
とにかく、『山月記』は創作者の苦悩を痛いほど表現していると思う。
中島敦つながりで、泉鏡花を知った
中島敦つながりで泉鏡花を知った。
中島敦が、泉鏡花の文章を「日本人で日本語を知っているのなら泉鏡花を読まないともっといない!」と絶賛していたらしいからだ。
へーそこまで、中島敦が絶賛するのなら読んでみるべ、と軽い気持ちで読んだのだけれども、今の私にはその良さをあんまり理解することができなかった。要するに理解するには無知過ぎたってことだ。うん・・・難しい用語が多すぎてわからん・・・。
鏡花の最後の作品『縷紅新草』(るこうしんそう)と泉鏡花の作品では有名らしい『外科室』を青空文庫で読んでみたのだけれど・・・うん・・・あまりよさを理解できませんでした。きっと私の日本語への愛が足りないのでしょう。
とにかく、泉鏡花が日本語を心から愛しているのはとても理解できました。
泉鏡花・・・いつかリベンジしてみたい。
『ワンピースフィルムレッド』が意外とよすぎて・・・辛い
いきなりテイストが変わり過ぎて書いている私もびっくりしているのだけれど、最近話題の『ワンピースフィルムレッド』をあまり期待せずに観に行ったら、けっこう心に響いて色々と引きずるはめになった。
きっかけはたまたまイオンで買い物しているときに流れてきた『新時代』に心奪われたから。
正直、その時この曲を聴くまで、なーーーーにも知らなかった。
ただ「むっちゃいい曲だな、家に帰って何の曲か調べて見よ。『新時代』ってよくいってたから、『新時代』『歌詞』で調べればでてくるだろ」
って家で調べてワンピース映画の曲って知ったのがきっかけ。
まさかの曲名『新時代』だったのは笑った。Adoが歌っているのも知らなかった。Adoについては「若い子が『うっせぇうっせぇ』って言ってるなあ」・・・っていうぐらいの認識だったので、こんなに歌うまいんだなあ~っと感心した。あと、この『新時代』という曲を私が好きな中田ヤスタカが作曲しているから興味をもって、次の日に娘と一緒に観にいった。
もともとワンピースは普通に好きで、フランキーが仲間になるところぐらいまでは読んだ。だけど、だんだん自然と離れいった。
そんな「ワンピース、まー全部は知らないけれど3分の一程度は知ってる」レベルの私が観ても十分話は理解できる内容だった。事前に観た映画レビューでは賛否両論あったけれど、私は完全に「賛」側。つまり、良かった。いや、すごくよかった。
昔のワンピースを知っている私がこの映画を見たら、何だか感慨深かった。どこか懐かしい昔と、今と、もうすぐで訪れる未来がごちゃ混ぜになって私に降りかかってきた。すごく長い間漫画を描き続けてきた尾田栄一郎は本当にすごい道のりを歩いてきたんだなって。しかもまだ歩く熱意は失われていない。いや、これからさらにその熱意を激しく燃やそうとしている。この映画で、そんな尾田栄一郎の今の心境を垣間見れれる気がした。
上で『山月記』の読み方について述べたみたいに、その作品の世界にどっぷりとつかるのではなく、俯瞰して、ワンピースの映画の製作者側、つまり尾田栄一郎の立場を考えてこの映画を観てみると、なんとも奥が深い映画だと思った。
わたしは昔ほど、創作物を論理的に見ることに価値を置かなくなった。論理的にとらえて、勝手に白けてしまう程、ばかばかしくもったいないことはないと気づいたから。
製作者が何を表現したかったのか・・・を考えると、とてもとてもこの作品は面白いと思う。
尾田栄一郎はなんて自分の夢に忠実でまっすぐで、ものすごく努力の人なんだ・・・とただただ、圧倒させられた。尾田栄一郎の偉大さを再確認した映画体験でした。
まとめ
以上、私の夏休みの密かに印象に残った出来事でした。
なかなか、色々な経験ができた夏休みだったと思う。
よく、「子どもの夏休みは親にとっては地獄」なんていうけど、まーその気持ちも分からなくもないけど、親も何かをやろうと思ったら、子どもと一緒に得られることが多いいい夏休みにできると思う。
まー何事も自分次第ってことだね。
夏休みが終わって、また新たなスタート。しっかりと、毎日を生きていきたい。