悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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開拓者はいずれ違う開拓者の敵となる

以前こんな記事を書いた↓

 

www.hiekashi.com

 

この記事で、「宗教」を「骨格キット」って表現しているのだけど、「新しい思想」や「新しい思想を持ち込む人」はいつも大体煙たがれる。その理由について、この記事の例え話の基、考えてみた。

 

まず、一般市民は「おーこの骨格キットすごいじゃん!」みたいな感じで、布教される「骨格キット」つまり宗教を自分に採用する。自分の身体にセットする。つまり信者になるってわけ。

 

普及活動はいわば、「骨格キット」の売り込み。車の新作を売り込むセールスみたいな感じ?その根本は「その人の暮らしを豊かにしたい」という動機に他ならない。だけど、その「骨格キット」がどんどん普及するにつれ、違う課題がでてくる。それは、採用され続ける持続力だ。ずーっと、「この骨格キットは素晴らしいわ!」って思われて採用されつづけなくてはならない。つまり勝ち続けなくてはいけない。

 

だけど、全く新しい骨組みの「骨格キット」を売り込む業者が現れたらどうだ。いきなり「空飛ぶ円盤」みたいな乗り物を作り出した業者が現れたらどうする?何もかも根本から異なる思想が現れたらどうする?

 

従来の「車」を作る業者は「空飛ぶ円盤」業者と敵対するしかない。今まで積み上げてきたノウハウを活かしてさらに積み上げるしかない。今更全てを崩して一から積み上げることはできないのだから。

 

だから根本の構造から異なる「空飛ぶ円盤」業者とは戦わなくてはならない。それは仕方がないことだ。勝ち続けなくては、生きていけないのだから。

 

だけど、その勝ち続けるための動機が最初の「人々の暮らしを豊かにしたい」という論点からはずれてしまってはダメだ。その論点を手放す事なく前へ進まなければ。

 

だけど、時にその論点を見失って保身のみに腐心することがある。それは衰退の始まりのサインだ。

 

それは、今までの「骨格キット」の売上で甘い汁を吸いすぎたから。「骨格キット」の売上で栄誉を受けすぎたから。本来の動機を忘れて、そんな状態を甘受していれば、その状態が崩れそうになると、崩れないように保身に腐心する。

 

それで、「新しい思想」を叩く叩く。叩いてこき下ろすことで、自分の今の立場を守ろうとする。

 

そういう人、叩くことのみに腐心する人は大体成長がゆるやかになってしまった人間だ。成長しきってしまった人間だ。成長する伸び代があまり無いと自分で悟ってるから、急成長しているやつを邪魔して阻害しようとする。邪魔するのに必死な人ほど叩く叩く。

衰退してもなお、今までのように甘い汁を吸い続けたいが故に。

 

自分自身がもうあまり走れないとしたら、勝ち続けるには、抜かそうとする相手を引っ張って邪魔するしかない。

 

そして、それは自然の原理なのかもしれない。

 

「世界が進化していく」っていうのは、移り変わっていくことだ。強者もいつかは最盛期を過ぎ歳をとり、違う最盛期の若者に追い抜かれていく。追い抜かれまいと、追い抜かれる側も必死で走れば走るほど、追い抜く方も遠くへ行ける。

 

追い抜く方が偉い、追い抜かれる方が偉くないっていう話じゃない。両者がいてこそ、世界はより遠くまで進化できる。より遠くまで・・・遠く遠く走って・・・できる限り進化して・・・、いつか疲れ果てて最後の一人も立ち止まってしまうのだろうか。世界はいつかエネルギーがなくなってしまうのだろうか。エネルギーを放出しつくした世界はどうなってしまうのだろう。

 

それもまた、きっとちっぽけな引き継がれる一つの死に他ならないのかもしれない。

 

「夏草や兵どもが夢の跡」

 

何故かぽっと松尾芭蕉の俳句が頭に浮かんだ。

 

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