悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

【スポンサーリンク】

親子のベッドタイムに最適絵本「みんなとくべつ」の紹介(3歳から)

3人の乳幼児育児中のヒエヒエです。

今回は最近図書館で借りた絵本がとても素敵だったので、紹介したいとおもいます。

 

その絵本がこちら

 

 

 「みんなとくべつ」という絵本です。

字と絵の割合的に考えると3歳ぐらいからが適しているかと。

こちらの絵本特に私が内容を吟味して選択した訳ではなく、3歳の長女が「この絵本借りたいー」と持ってきた絵本でした。

 

私は寝る前に絵本タイムをもうけているのですが、その時に「みんなとくべつ」を読み、とてもいい絵本だなぁと感じました。

絵本には、ベッドタイムにぴったりだと思う絵本が時々ありますね。

 

静かな夜に、その絵本を読んだ後になんだか、心がほっこりとするような、親子の愛を再確認できるような、そのような類の本が時々あります。

 

以前紹介した「ぼくにげちゃうよ」という絵本もそのような類の絵本だと思います。

 

www.hiekashi.com

 

「ぼくにげちゃうよ」は情緒あふれる絵と文が、母親と子どもの「愛」を感じる時間をプレゼントしてくれる素敵な絵本です。 

 

そして、今回紹介する「みんなとくべつ」という絵本も同じように親と子どもの「愛」がテーマの絵本です。

 

内容を私なりに簡単に説明します。

 

ねずみのお母さんと、そのぼうやが家に帰る途中、いろいろな動物の親子に会います。その親子たちはなんだかねずみのぼうやから見るととても特別にみえます。

とりのお母さんは空高く飛んで子ども達の為に餌をとってきてあげたり、うさぎのおかあさんは、子ども達をあたたかく守る穴を掘ってあげています。

みんな、とてもとても特別に見えます。

それに比べてぼくは・・・。

 

ねずみのぼうやは考え込んでしまいました。

 

そしてお母さんねずみに「ママは空を飛べないし、穴を掘ったり、海にももぐれない。ただのねずみでしょ。ぼくあの子たちがうらやましい。ぜんぜんぼくと同じじゃない」

 

と寝る前に言います。

 

そんなぼうやに母さんねずみはあたたかく、ぼうやがどんなにとくべつか、他の動物のような事はできないけれど、どんなことができるか、どんなに愛しているか、を優しく説明するのです。

 

それを聞いて、ぼうやは満足そうに

「すごくたくさんだ。ぼくってとっても特別なんだ」と納得します。

 

そして寝室からでていこうとするお母さんに「ママだってとくべつだよ」と言います。

 

 

と、まあこんな内容の話です。

なんだか、ネズミのぼうやの「全然とくべつじゃない」って台詞、母親にとってはドキッとしますね。

 

でも、いつかこどもはこの様な主旨のことを考える時期が来るものかもしれません。

他の子どもの立場が羨ましくなったり、あーあんな親だったらよかったのに…とふと思う日がきっとやってくるでしょう。

 

私自身も考えた時期がありました。

 

誰にだってきっとあると思います。

 

人間はどうしても他人が羨ましく思える時がある。

 

隣の芝生が青く見える時がある。

 

だから、ネズミの子どもは、お母さんネズミに酷いことを言っているようですが、誰もが通る、本当に自然な正直な意見なのですよね。

 

きっと我が子もこの子ネズミと同じように感じたり言動に現れる日が来ることでしょう。

 

そんな時、私はこの絵本のネズミのお母さんの様に振る舞いたい。

 

この絵本は、もしかしたらお母さんにとっても教訓になる絵本かもしれません。

 

寧ろお母さんにとっての方が為になる絵本かもしれません。

 

自分の子供が子ネズミの様な事を言った時、どの様に振る舞えばいいのかの参考になるかもしれません。

 

例え、母親が傷つくような内容でも、怒ったり悲しんだりすることなく、ずっしりとかまえて、お母さんネズミのように愛をもって接したいものです。

 

大人だって、子どもと同じで、色々と周りに惑わされるものです。

 

「自分は自分、他人は他人」と考えることがどんなに難しいことか。

 

大人になった今でも割り切れないことは沢山あります。

 

この「みんなとくべつ」はそんな悩みの根本的な答えを示唆してくれているのかもしれません。

 

大人にとっても考えさせられる絵本ですね。

 

この「みんなとくべつ」という絵本、絵も柔らかいタッチと色彩でとても素敵です。

 

この秋の虫の鳴き声の聞こえる夜、ぜひ子供達に読んであげてはいかがでしょうか。

 

きっと素敵な夜になると思いますよ☆

 

では、みなさんが幸せな子育て時間を過ごされることを願っています。

 

 

 

 

最近ブログでかなり疲弊したって話

3児の育児中のヒエヒエです。

最近久し振りに、ブログで疲弊しました。
その原因の記事は前に書いたこちらの記事。

www.hiekashi.com


コメント欄が凄いことになっております(笑)

コメントの内容だけで、ブログの記事が5つぐらいできるんじゃないかって程。

是非、時間がある方はコメント欄まで見ていただけたら、嬉しく思います。

前回の記事はコメントまでを含めて「一つの記事」と言えるでしょう。

この記事は、私の今の育児の時点で感じていることを素直に正直に書いた記事でした。

かなり不愉快に感じた方もいるでしょう。

そして、やはり様々な意見のコメントをいただきました。

いい意味でも悪い意味でも

「正直者は馬鹿を見る」

という事を実感した経験となりました。

正直すぎる意見は危険だということ、また、不特定多数の人が見れるSNSの怖さについて、再確認しました。

特に前回の記事のような、今主流の行動を否定するような内容は、過剰反応する方が多いのですね。

自分の行動を正当化する気持ちを阻害されたくない故に。

それは私も同じです。

ですが、強く伝えたい事、主張したいことがある時、どうしても、否定せざるを得ない事があるのです。

「あちらを立てればこちらがたたず」

どうしても、そうなってしまう議論の題目があるのですね。

保育園問題はまさにそれと言えるのでしょう。

こういう内容をブログで扱う時は本当に気をつけなければいけないと痛感しました。

ですが、前回の記事を書いたのが間違いだったか、というと決してそうではありませんでした。

結果的に、読者さまからの全てのコメントは私の考えを深めてくれる、とてもいい勉強になりました。

この経験はブログをやっていたからこその利点だと感じました。

ブログの怖さと利点は表裏一体なのですね。

こんな私のブログに、こんなにエネルギーを費やした想いのこもったコメントをいただけた。

本当に有り難く、素敵なことだと。

是非是非、沢山の人に記事だけではなくコメントまでしっかり読んでもらいたいです。

前回の記事でかなり疲弊しましたが、決して悪い疲弊ではなかった。

世の中には、自分の意見をわかってくれない人もいるけれど、わかってくれる人も必ずいる。

勇気を出して記事を書いてよかった。

結果的にそう思えた貴重な経験でした。

もうしばらく、したくないですが(笑)

「正直者は馬鹿を見る」

はい、馬鹿を見ました。疲れました。

…ですが

「馬鹿を見ても正直でいたい」

とも思えた(場合によりけりですが)、そんな経験を最近ブログでしたよって話でした。

子育て中でも学び続けたい、勉強したいって話。

3児の育児中のヒエヒエです。

はい、最近ブログの更新が滞っています( ̄▽ ̄)

うーん、子育てって、やっぱり自分の時間がなくなるよね。

うん。これは間違いないわ。

まあ、その時間は「子供のために費やしている」のだから、決して無駄ではないのだけどね。

なんだかね…

もっと時間かけて自分磨きしたいよね。

うん。

あ、「エステ行きたい」とかそんな話ではなくね(…多分)

そう、この歳にして、もうほんと、勉強したいよね。

だって、自分が無知すぎるのだもの。

自分でいうのもなんですが、私は学ぶことは大好きなのです。

本当に「知」を愛しているのです。

そう。そして「知」の大事さもしっかりわかっているはず。

でもね…悲しいかな。

記憶力が悲しいほどない(;д;)

もう、ほんと。

なんなのって感じ。

「ファインディング・ドリー」の「ドリー」かよって思うよ自分。

「私が得意なのは忘れること」

…って、ドリーちゃんが言ってたけど。

もうそれ、私だよね。

てか、前回の記事で、「ファインディング・ドリー」が私的に微妙だったって書いたけどさ

www.hiekashi.com



もう一度ちゃんと観たら意外と良かったよね。ほんと。

うん。私の「これ微妙」なんてこんなものよ。

結構すぐに覆る(笑)

これって適当人間ってやつ?

でも人間なんてこんなものだと思うんだよね。

人間の「考えてること」も「無常」なんだよ。

なにもかも常に変わっていってる。

意外と、気づきにくいけどね。

全く今まで心に響いていなかった音楽が、心に響くようになったりさ。

逆に、昔あんなに好きだった曲が、もう心に響かなくなったりさ。

気づかないうちに、どんどん自分も変化していってるんだよなぁ。

本当に気づかないうちにどんどん自分が変わっていって、

どんどん、周りの環境が変わっていって、

「変わっていない筈」だと思っていたことも変わっていって…

歳を重ねるほど、どんどん、その変化のスピードの感じ方が速まっているように感じて

私は、どんどん取り残されているような気になる。

マラソンで、ヒーヒーいいながら、取り残されないように頑張っているけど、

身体がついていかなくて、どんどん、みんなから離されて行く。

周りが速すぎるんだよ…

って。そんな感じ。

変化のスピードが速くなるほど、私の忘却スピードも速くなっていって

「知」なんて、どんどん積み重ねないと、見えてこない景色がある筈なのに…

私はそのまだ見ぬ景色を見たくて、コツコツとレンガを積み重ねて、高くへ行きたい筈なのに。

下からボロボロと風化して全然高くならない。

悲しいほど風化していく。

崩れていく。

そして、レンガを積み重ねる私のスピードもどんどんおそくなっちゃって。

あーあ。駄目だこりゃって感じ。

私は高い高いところから世界全体を見渡すことが夢なのに。

私の「知」の「バベルの塔」はまだまだ、何も見渡せない高さみたいです。

知は力なり

フランシス・ベーコン

本当にそうだと思う。そして、私は力がない。力が欲しい。

ふと、どこかで聞いて頭に残っている言葉。

人間は考える葦である

ブレーズ・パスカル


無知な私は

「…葦ってなんだよ」ってなった。

まずなんて読むんだよって。

「葦」は「よし」、又は「あし」って読むらしい。

で、それ何?って。

…全く、無知は悲しい。

ヨシ - Wikipedia


でも、「ファインディング・ドリー」の「ドリー」が、あんなにもすべてを忘れてしまうのに、頭のどこかにあった断片的な記憶が両親との再会につながったように

忘れる事の得意な私も、私の断片的な頭のどこかに保存されている、忘れてしまっていると思っている知識や記憶が

いつか奇跡的などこかに繋がることを願う。

なぜか「博士の愛した数式」をふと思い出した。

内容はほとんど忘れてしまったけれど。

でも、何かがぼんやりとリンクしていることは分かる。

こうやって色々なことがなんとなく繋がっていくんだな。

その繋がりの果てに、いつか、今では想像もできないような、恍惚の知の世界があるのだろうか。

きっとある。そして、私はどうしようもなく、その世界をのぞいてみたい。

ということで、子育て中でも、学び続ける意欲を忘れないようにしようと思います。

うん!時間がないから学べない!は、きっと言い訳だ!

私は向上心を忘れないぞ〜!

宮沢賢治さんの有名な詩「雨ニモマケズ」の以下の部分

アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

出典:宮澤賢治 〔雨ニモマケズ〕


…はい。

本当に、そういうものに私はなりたいです。

カッコ反語ですけどね(。´_`。)

と、深夜に長々と思考するヒエヒエでした。

【スポンサーリンク】