「生きてるだけで丸儲け」
この何処かで聞いた言葉がやけに頭に残ってる。
「今生きてる」って実はすごいことだなって。
今の世界を動かしているのは今生きている私たちに他ならないって。
確かに、名だたる今は亡き偉人達は輝いてみえる。
ピカソ?夏目漱石?アインシュタイン?
etc.
確かに彼らの残した偉業は、今生きている人間に影響を与えている。
確かに彼らの力は偉大だと。
インスピレーションを多くの人間に与えたり、心の琴線に触れたり。
でも、結局は、
今生きている私たちが重要なんだと。
今生きている私たちがこの世界をつくっているんだと。
今の世界に変化を与えれるのは今生きている私たちだけだ。
いくら凄い絵でも。
いくら凄い文字の羅列も。
いくら凄い数式の羅列も。
それだけでは何もできない。
何も生み出さない。
何も世界に影響を与えることはできない。
「今生きている」
これだけで、本当はものすごいことなんだ。
例え、世界を変えるようなすごい発見をしなくたって、
例え、ノーベル賞をとらなくったって、
形に残るものを残さなくたって。
今生きてるってだけ。
それだけで、世界を変える一因になっているんだって。
いや、寧ろ「今生きてる」ってことだけが条件だって。
「今の世界を変えれる」ってことの。
もしかしたら、たまたま、電車で優しく誰かに席を譲ったりしただけで、その人の人生を変えるきっかけになる可能性だって0ではない。
小さいキッカケでも、世界を変えている。
ドミノ倒しだって、きっかけは最初のちょっとなんだ。
だから、今生きている私達はもっともっと、自分という存在の重要性に気づくべきなんだ。
今生きてるってことの重要性に。
確かに亡くなった人の「思い」は
生きている私達のエネルギーにはなる。
だけど、世界に実際に変化を与えているのは生きている私達に他ならない。
だからって「亡き者」の存在をないがしろにしろって言っているつもりは毛頭ない。
「亡き者」は生きている者の一部となって一緒に世界をつくっている。
偉人達はその「一部」がとてつもなく広域で大きいってだけのことで、それ自身だけでは何もできない。
実際に世界に働きかけれるのは生きている私達なんだ。
だけど「亡き者」も間接的には今の世界に影響していることになる。
だから、生きている私たちの役割は、『自分が理解できる「亡き者」の努力を有意義な形にして今の世界を動かす事』だと思う。
なんてカッコつけた表現をしたけども、エネルギーをかけたものは結局は計らずともなんらかの形でいつかは世界を変えるってこと。
その「いつか」は今生きている私達にかかっているけども。
亡き者の努力を世界に還元する時期は生きているものにかかっている。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が広く知れ渡ったのも、それ自身が持っていた力、それを理解していた周りの人間の努力の結果だ。
自分の情熱の赴くままに、今一瞬一瞬を一生懸命生きる。
自分の役割を見つけてそれに心血を注ぐ。
それが難なくできたらいいのになって思う。
今生きている人類が一瞬で消え去って
名画や名作、数式、貴重な論文だけが残っても…
それだけでは何も為さない。
それは人類の歴史の終了。
今生きている私たちが今現在歴史をつくっている。
今の世界は今生きている私達のみが動かせる。