山登りって頭を空っぽにするにはもってこいだね。
なんでも考えすぎで、寧ろ考えてないと不安で、なかなか思考を停止できない人は山登りは本当にいいリフレッシュ方法だと思う。
山登りは、目的が決まってる。
それは「頂上に辿り着くこと」ってだけ。
単純明快。
それ以外のことは考えなくていい。
その「頂上に行くぜ!」って目的のためだけに、頭を働かせて、体と向き合い足場を決めていけばいい。
その他の悩み事なんて「頂上に行くぜ!」の前では、無に帰する。
悩み事なんて、全く必要なくなる。
悩み事なんてしてたら、前に進めない。
ただ、目の前の自然と真剣に向き合う。
いや、真剣に向き合わないと命に関わるから真剣にならざるを得ない。
悩み事なんてしてても、なんの足しにもならない。悩み事をして頂上に近づけるわけじゃない。
悩み事なんかして、足を止めてたら、いつまで経っても頂上なんかに辿り着けない。
頂上に行くために山に来たのなら、頂上を目指さないといけない。
その為には、山登りと無関係な思考はいっさいしない。
それが、山登りのスタンスの正解。
人って命に関わる危険がまったくないと、余計なことをうだうだ考えちゃうんだよね。
要するに平和ボケして暇を持て余してるってこと。
だって、「1週間後にミサイルが飛んできます」なんて言われたら、もう余計なことは一切考えないでしょ。
1週間後のミサイル対策のみで頭はフル回転するでしょう。
どうでもいいことを考えて堂々巡りしている暇なんてないでしょう。
「幸せとは」とか「生きるとは」なんてさ、スケールの大きいこと考えている場合じゃないよね。
遠い遠いことなんて考えている場合じゃないんだよ。すぐそこをきちんと確保しないと、そんな遠いとこ吹っ飛んじゃうんだから。
将来の悩み事なんて、きっと「今」が脅かされると、吹っ飛んでしまう。
「今」の安全が保証された上でしか、将来の悩み事なんて存在することができないんだ。
「今」が当たり前に安全に確保できているから、遠くの将来に思いを馳せて、「今」を蔑ろにできるってわけ。
生きていく上で、山登りみたいに「頂上に行くぜ!」みたいな、すぐ近くにある単純明快な目的をその都度設定できたらね。
そしたら、そこに向かって燃費良く、無駄なくシャッシャと一直線に進んでいけるのに。
本当の意味で苦しいのは、山の頂上という明確な目標に向かって汗水流しながら必死になっている人ではない。
自分の進むべき山の頂上がわからない人だ。見失っている人だ。
全くわからなくて途方に暮れて、どういう風に足を動かせばいいか分からなくて、もぞもぞしている人だ。
そんな、側から見たら、もたもたしていて、あまり動いているように見えない人が、きっと最も苦しい。
直近する身に迫る目標が見当たらず、かつ、適度な場所の目指すべき明確な目標がなかなか見えなくなってしまったところに、平和の闇があるのかもしれない。