悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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書くことに魂を売ってしまった気がする

今日は雨が降っています。

皆さんお元気でしょうか?

私は、よくわからないじんめりした、でも高揚した、でも限りなく冷静な気分です。

何でそんな何とも言えない気分なのか。

 

それは、実はずーっとやってみたかったことを遂にやる覚悟が決まったからです。

 

それは、『書くこと』に関してです。

 

私はこのブログで6年ぐらい、何かと文章を書いてきました。

 

そして、ブログを書いていくうちに、日々の自分の考えたこと、感じたこと、思ったことを書くのがとても楽しく、好きになっていきました。

 

今では、もう自分の感じたことを書き残しておかないと、落ち着かないレベルにまでなってしまいました。

 

自分の中の口では伝えることの出来ない思考を、きちんと文章として残しておかないといけない。

 

そんな習慣になっていきました。

 

でも、やっぱり、文章という形にしてしまってはいけないような類の内容もあるわけで。

 

人間、誰でも自分の外へ出したくない自分だけの秘密があるものです。

 

私にももちろん、そんなものがあります。

 

昔は、何もせず自分の内側にしまっておけた。

 

だけど、書くことの楽しさをこの6年で知ってしまった私は、その内側に今までしまっていた過去のことを、忘れないうちにコツコツと文章にしてしまったのです。このブログとは関係なく。

 

墓場まで秘密にしておこうと思っていた事も文章にしてしまったのです。

 

今の私には、もう、忘れ去っていきそうな大事な記憶を文章にして残さない、なんて選択はなくなってしまいました。

 

例え、その記憶の文章が、どうしようもなく情けない自分を表現してしまうことに繋がるとしても。

 

今文章として残しておかないと死ぬ時絶対に後悔すると思い、私は全力で「過去の自分」を文章にしてしまいました。

 

もう、文章という形にしてしまった時点で、自分の内側から溢れ出ちゃってしまっているわけです。

 

もう、自分という閉鎖された場所から解き放たれてしまったわけです。

 

文章にしてしまった時点で、堰き止めていた何かが決壊してしまったわけです。

 

文章を生み出してしまったら、どうしてもその文章の価値を確かめたくなるものなのです。

 

自分の渾身の文章なのですから。自分の血で書いたような文章なのですから。確かめたくない理由がありません。

 

正直、これがポンコツだとしたら、もう私には文章というものの価値を一生理解できないということなのでしょう。

 

それくらい全力で書きました。

 

私の中では、その文章を生み出して、かつ公表するというのは、「書くことに魂を売った」と言っても過言ではない。そのぐらいの覚悟なのです。

 

その文章はこのブログでは、あまりにも畑違い、かつ公表するにはこの場所に愛着があり過ぎたため、違う場所で公表しました。

 

おそらく、このブログを始めた時のように、自分で思っているほど、大それたことではきっとないでしょう。

 

でも、もし、自分のその文章に価値があったと自信を持って確信できる何かがあったら・・・

 

その時は、こちらのブログでもお伝えするかもしれません。

 

おそらく、その確信できる時はまだ先の話になりそうですがね。

 

もしかしたら一生確信できないかもしれません。

 

でも、いいんです。私はその文章を生み出して、この世界に存在させただけで、物凄く満足なのです。

 

そう、私はすごく満足なのです。

 

やっと、荷を下ろして次に進める気がします。

 

安心して過去を忘れ去ることができる気がします。

 

これだから、文章を書くことはやめられないですね。もはや変態の域です。

 

これからも、マイペースで文章を書いて、自分なりに文章の可能性を広げていきたいです。

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