「春休みが始まってしまう」
昔はこんなワードを言う母親の気持ちがよくわからなかったけれど、自分が母親になってからとてもわかる。
「春休みが始まってしまう」
別に、この「春休み」が「夏休み」や「冬休み」におきかえても大体同じ。
ただ「夏休み」の場合、より、この言葉に重みが出る。
「あああー夏休みが始まってしまう」・・・ってなる。
とにかく、「始まってしまう」のだ。
このワードを聞いて、「自分の子どもが嫌いなんか?」みたいに目くじらを立てる人もいるかもしれないけれど、そういう意味で言っているワードではない。
とにかく、自分の為の時間が急激に減るっていうのが問題なのだ。
自分の為の時間というのは、別に「大好きな韓国ドラマを見る時間」みたいな類だけじゃなく、自分がしたい仕事や趣味、ゆっくり本を読んだり、ゆっくり食事したり・・・みたいな時間だ。子育てって、とにかく「ゆっくり○○」が阻害される。一人だったときは当たり前にできていたことが、当たり前にできなくなって、塵も積もれば山となる・・・みたいな感じで自分がすり減っていく。
子育てしてきて気づいたのだけれど、自分の時間を自分の為だけに費やすというのはとても大事で、それがどんどん失われていくと、自分がどんどん失われていくような感覚になっていく。
きっと、それは、過労働で死にたくなる人の心境と同じ気がする。
まー「死にたくなる」まで行くのはかなり極端な状態の話なのだけれども、とにかく、子どもの長期休みというものは、母親の「子ども抜きの自分の時間」が学校がある日に比べて極端に少なくなってしまう。
普段、計画的に自分の為につかっている時間配分のペースが大きく変わってしまう。
これが、かなり負担。
人間っていうのはそんなに器用じゃないから、一旦ペースが崩れたら、そのペースに戻るのはなかなかしんどいもの。
「子育て」と「自分のための活動」を両立させるのはとても大変。
「子育て」は、どうしても時間と労力を沢山必要とし、しかも融通が利かない類のものだから。
「子育て」と「自分の為の活動」を完全に一致させたらものすごく効率はいいのかもしれない。
だけど、悲しいかな・・・自分の子育てはいつかは終わってしまう。どんどん、自分の子どもとの時間は少なくなっていき、それと同時に母親は、子ども抜きの自分の時間の使い方を試行錯誤しなければいけない。母親は子どもが巣立った後も、生きていかなければいけないのだから。で、やっと、自分の時間の使い方について確立し始めて、ペースもつかめてきたのに、定期的にやってくる「長期休み」によって、そのペースを中断、または崩される。
それが辛い・・・んだと思う。
そういう意味での「春休みが始まってしまう」だ。
「そろそろペースを変える覚悟しないとな」って意味だ。
「よし、一旦子育て長期モードの自分に切り替えるぞ!」っていうね。
別に、だからって、そんなのきっと子育て主婦だけの苦悩だって言い張りたいわけじゃない。
みんなみんな、「自分の時間」と「やらねばならぬこと」の狭間でうまくバランスをとるために苦心していると思う。
私は運よく、「子育て」は結構向いている方なので、「子育て時間」をそれなりに楽しんで費やせる。だけど「子育て」にあんまり向いていない人や「子育て抜きの仕事」によりウエイトを置かなければならない人にとって、「子育て」はより大変だろうなって思う。やっぱり人間、向き不向きがあるし、環境もそれぞれ違うだろうし。
・・・なんだかんだ書いたけれど、「春休みが始まってしまう」って母親の言葉、みんなが思っている程そんなにネガティブなワードでないと思うよ。
子どもが大好きな人だって普通に頭に浮かぶ言葉だと思う。
ただ、子どもの前で言ったら、子どもが勘違いしてしまうから言わない方が無難なワードってだけ。
私はそろそろ「春休みが始まってしまう」から「よし!楽しい楽しい春休みだ!」に切り替えていかないとね。
そう、「楽しい楽しい春休み」って気持ちで過ごした方が春休みが気持ちいいものになるに決まっているもの。
それに、春休みを有意義で素晴らしいものにするかどうかは、本人たちの心がけ次第だし。
つまり、母親にとっても、心がけ次第で、素晴らしものになるはずなんだよね。
だから、私の通常モードもそろそろ長期休み用に切り替えていって、思いっきり春休みを楽しみたい。
みなさんの春休みが有意義で素敵なものになりますように☆
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