今回の絵は一点透視図法の練習のつもりで描いたが、死にそうになる羽目になった。
なかなかイメージ通りに描けず、苦戦したが、どうにかこうにかまとめることが出来た…気がする。
一点透視図法については知っていて過去にも描いたことがあるが、二点透視図法、三点透視図法は用いたことがない。
だから、その二つの透視図法について練習する前のウォーミングアップ的なつもりで描いたのだけれども…イメージ通りの絵がなかなか描けず、ものすごく時間がかかってしまった。
絵は苦しんで描くものではないと思う。
だけど、多少は自分の求める絵を描くために、苦しむことも必要なのかもしれないと思った。
だけど、苦しんだ分前に進んだということには、決してならない。
このことは肝に銘じとかないといけない。
私はこの絵を描き始める前は、すんなりとイメージ通りに描けるだろうと高をくくっていた。
だけど、まったくすんなり描けなかった。
自分でも不思議なのだけれども、嘘のようにすんなり自分の描きたい絵が描ける場合と、全くダメな場合がある。
私は結構絵は感覚で描いている節がある。
だけど、その「なんとなく」で描けない場合が必ずある。
その場合は、私の表象力に技術が伴っていないという事だろう。
うーん。何事も、望むところにたどり着くためには、正しい知識と実践と試行錯誤の連続が必要なのだな…と痛感した。例えそこに苦を伴うとしても。
そして、今回気づいたことがある。時々、ブログの文章も書きながら、書く前には全く考えていなかった内容の文章が生まれてくる現象が時々私に生じるのだけれども、それは絵も同じように当てはまるという事を。
私は描く前は、まさかこんな絵が生まれるとは思ってなかった。でも描きながらなんとなく、こんな絵が生まれた。
もちろん絵の構図は何となくは決まっていた。今回の場合だと、「夕暮れの線路と花とそれを愛おしそうに見つめる鹿」という構図だった。
だけど、描いているいるうちに、線路の周りの景色を空の色合いから、なんとなく水辺にする方向になって、そしたら鹿よりヒヨコの方がマッチするような気がしてきて、結局こんな絵になった。
この絵は、私の頭の中にあったイメージ通りの絵じゃなくて描いているうちに生まれた絵だ。
ちなみに前回の絵は大体頭の中のイメージ通りに描けた類の絵だと自負している。
まあ・・・どっちがいいかはともかく、「描いているうちに生まれる絵」そんな絵も確かにあるんだなあ…と実感した今回の練習でした。
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