悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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愛って自分を忘れることかも

「愛ってなんだろう」

なんて、子供がいうような言葉?

いや、3人子供がいる私のような大人だって、そんなのよく分からなかった。

…で、まぁ、最近やっと

「もしかしたらこういうのが愛ってやつ?」

ってわかりかけてきたような、そうじゃないような。

そんな気がしている。

本当の「愛」のある行動って、一切自分を含まないのかもって。

自分の損得とか関係なしにさ。

「愛のある行動まがい」はそこら中に散らばっている。

大体が「愛のある行動まがい」

他人の為と言いながら自分のため。

いや、これは悪いことじゃない。

寧ろ普通。

大体のプレゼントだって、よくよく考えてみたら、実は見返りを求めてることが多くない?

いや、もちろん、「見返りなんて求めてないもん!」ってていだ。

でも、お返しをもらえなかった時、期待していないはずなのに、なんだか、少し残念な気持ちになる。

なんて、「どこか期待している自分がいる」

「自分はこんなにやってあげたのに・・・」

みたいな気持ちがプクプクと湧き出る行動(この場合はプレゼントを渡すこと)

って本当の愛のある行動ではないのかも、って思う。

本当の愛のある行動ってさ、

自分の欲とは関係なしに、相手のためにエネルギーを注ぐことじゃないかな。

その行動ってもう

評価されたい
ずるい
悔しい
羨ましい

っていう感情とは別次元での話なんだよなって。

本当の愛のある行動をする人って無我なんだろうなって。

無我?

忘我?

よく分からないけど。
きっと、本当に愛のある行動って自分を入れないんだよな。

自分とは切り離して、相手の為を思った行動。

これって実はかなり難しい。

でも、私は自分の子供達には「本当の愛ある行動」をとりたい。

とるように努力したい。

自分の人生と切り離して、子供の人生のためだけに何かを与えたい。

そりゃあ、世の偉大なお方達は多くの人々に「本当の愛ある行動」をとられてるかもしれないが、

私なんて子供と夫に対してだけでも、手一杯。それどころか、全くまだまだだ。

子育てを日々一生懸命していてよくこう思うことがあった↓

「この私の頑張りって一体私にとって何になるんだ?」

……こういう「私」に結びつけて、見返りを求める思考回路自体がもう、色々なものを曇らせているんだなって。

いや、「自己犠牲万歳!」って言いたい訳じゃない。

無理なものは無理な時だって状況だってある。

痛いほどわかる。

昔の私は自分しか見えてなかったし、苦しかったし、周りに何もしていなかった。

今だって昔よりはましになっただけ話かもしれない。

でも、状況は変わるし、時も流れる。

「自分と切り離したところで、他人の幸せにエネルギーを自然に注げる人」にいつかなりたいな、

と思う。

自分の欲が気にならなくなる段階にいかないと、こんな行動は無理だ。

自分自身が愛で満たされていて、余裕がないと、他人には回せない。

だからきっと本当の愛ある行動ができる人って幸運な人でもあるんだろうな、とも思う。

大事に大事に本当の愛を与えられてきた人は、きっと恩返しに、周りに本当の愛を与えれるのだろう。

飲み切れないほどの水があってこそ、分け与えれる。

空っぽの杯しか持っていなかったらいくら与えたくても与えれないんだ。

水源とルートの確保。

これができていないと、本当の愛は周りに与えられない。

水源はあるのに、ダボダボと無駄に垂れ流すのは有害そのもの。

なんて…

私は、きっと与えれても小規模だろうけど、こんな私にも本当の愛をくれる人がいたのだから、

恩返ししなきゃな、と思う。

まずは最低限、自分の子供にしないとな。

少しずつ、成長していきたい。

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