悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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小学生の子どもはもう親とは別の道を歩んでいる

子供には様々な機会が必要だ。

色々考える機会、
ぼーっとする機会、
友達と遊ぶ機会、
嫌な友達と喧嘩する機会、
素敵な本に会う機会、
つまらない本に会う機会、
胸躍る機会、
絶望する機会、
何でもできる気がする機会、
自己嫌悪に陥る機会、

星の数ほどある機会を、沢山経験したらいい。

親はどうしても親が考えるいい機会を与えようとばかりする。

太極図のように、世界はいい部分だけでは成り立たない。必ず相反する部分があって、世界は成り立っていることを忘れてはいけない。

黒色やら白色やらピンクやら灰色やら…

色んな色が混じり合って世界は存在している。

子供を極端な世界にだけ住まわせては良くない。

何事も、極端は良くない。

「中庸の徳」という言葉があるように。

子どもの人生を親が操作しようとしても、無理な話。それは親の独りよがりに過ぎない。

だけど、放置する、というのもまた違う。

操作しようとするのではなく、サポート役、マネージャーのような立場になれればいい。

その子に合った、ステージのアポ取りはする。だけど、その環境でどう頑張るかは口を挟めないのだ。また、その環境に対して文句も言うべきではないのかもしれない。その子がその子らしく輝けるように、導いてあげる。支えてあげる。

そんなイメージ。

いくら、完璧な教育を受けさせたくても、自分が理想とする小学校の先生を常に選ぶことはできない。

理想的な友達ばかりを周りに存在させることもできない。

そして、それが子どもの為にいいと思っているのはきっと親の勘違いだ。

もちろん、監視カメラでずっと見張るみたいに、子どもを四六時中見る事もできない。

そして、経験したことを全て抜け目なく知る事もできない。

きっと、知る必要もない。

子どもは、もう親の知らない道を歩み始めている。

気づいたら親とは全く違う道を歩んでいる。

少し前までは、同じ道を手を繋いであるいていたつもりだったのに。

別に悲しむことなんてない。

そうなって当たり前なんだ。

すごく悲しいのなら、それは、親自身が自分の進むべき道を見失っているのかもしれない。

でも、やっぱり、かわいい子どもとは少しは繋がっていたい。

それは決していけないことなんかじゃない。

だから、今のうちから子どもと自分のしっかりとした繋がりを何か一つだけでも作っておくようにすればいい。

それは、好きな本の話相手でもいい。

料理を教える相手でもいい。

絵を一緒に描く相手でもいい。

好きな漫画や、アニメについて深く話せる相手でもいい。

大人の意見、代表者でもいい。

哲学的な事を話し合える相手でもいい。

嫌な事があったら、気軽に話せる相手でもいい。

でも、遠い遠いいつかはその相手は自分じゃない誰かにシフトチェンジしていく事を望みたい。

雛鳥がいつかは親から離れて一人で自由に飛び回れるようになること…を望むのなら。

そんな親になれる自信は、今はちょっとないけれど。

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