人ってさ、自ら苦しむ道を選んでしまう節がある。
なんていうかさ、すごろくゲームをしないよりは、すごろくゲームをすることを選ぶ。
「負けるの嫌だ嫌だ〜」っていいながら、やっぱり何もしないよりは、すごろくゲームをする方がいいんだ。
すごろくゲームをしたら、嫌な目にあうよ?イライラしたり、どん底に落ちたりするよ?楽しくないこといっぱいあるかもよ?悔しいことも沢山あるよ?ゴール直前で、振り出しに戻るかもよ?
それでも、やっぱりゲームを始めてしまう。
そして、ゴールしたら一気につまらなくなってしまう。
負けても、勝っても、終わってしまえば一気に退屈の波が押し寄せる。
そして、急いで新しいすごろくゲームに参加するために、おろおろ探し回る。
人生も、なんだかんだ言って、何にもないよりはごちゃごちゃ色々な事がある方を選ぶ。
さらに、欲張りな人は一つじゃなく、複数のすごろくゲームをかけ持ちでしちゃったりする。
たった一つのすごろくゲームでも、十分楽しめるはずなのにさ。
そのゲームが終わって手持ち無沙汰になるのが嫌だから、複数のゲームを同時進行でする。
または、図らずも、複数のすごろくゲームをする羽目になってしまった・・・みたいな人もいる。
子供を産むなんて、なんとも分かりやすい新しくすごろくゲームを始めるきっかけの一つだ。
それも、長ーい長ーい複雑なイベント盛りだくさん「子育てすごろくゲーム」。
ほんっとに、色々な事があるし、辛いことも楽しいこともごちゃ混ぜすごろくゲーム。
きっと、その「子育てすごろくゲーム」一つありゃあ人生退屈しないはずなんだ。
だけど、今の時代、「子育てすごろくゲーム」と同時にスタートできるすごろくゲームが沢山あるからさ。
寧ろ、「子育てすごろくゲーム」なんかなくても、人生を楽しめるすごろくゲームが山程ある。
「子育てすごろくゲーム」をやってても、欲張りな私は何だか色々やりたくなっちゃう。手を出したくなっちゃう。
なんていうかさ、「子育てすごろくゲーム」は必ずいつかは終わっちゃうから。
人間の寿命が長くなった分、「子育てすごろくゲーム」だけじゃあ、人生を持て余してしまう。
それが終わった時に、人生の路頭に迷いたくない。
だから「子育てすごろくゲーム」以外の、自分の人生を通して楽しめるすごろくゲームを求めている。
それが、仕事だったり、趣味だったりするんだろうな。
果たして、私の「子育てすごろくゲーム」以外のすごろくゲームは何なのだろう。
はあ・・・。
なんていうか、子孫を残したらすぐに死んじゃう動物とかっているじゃん。
鮭とか。命懸けで川登って、卵産んだら死んでしまう。
あと、タコとか。タコはメスが命をかけて卵を守って世話して、孵化したのを見届けて死ぬらしい。
子孫を残す事に、自分の全てを燃やし、燃え尽きる。
そんな事が果たして人間にできるのだろうか。
何で人間は、こんなにも単純じゃないんだろうね。
選択肢が多く、悩みが多くなる事が、高い知能を得るという事だろうか?
これが「より進化した」ということなのだろうか?
なんだか、人間は複雑に進化しただけで、人間が思っているほど、他の生物より高等でも、立派でもないのかもな・・・なんて思ったのでした。
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