この夏、カブトムシを子どもと一緒に飼った。
カブトムシについて私はあまり知らなかった。
ネットで調べたら、カブトムシって一年ちょっとしか生きないらしい。
成虫の姿で生きるのは、たったの3カ月ぐらいだ。
たった、一度の夏を生きて命が終わる。
なんだか、その儚さに、センチメンタルな気持ちになった。
カブトムシにとってはそんな気持ち、なんのこっちゃって話だけど。
私はこの夏、ピカピカのカブトムシを近くで何度も間近でみた。
夜になったらエネルギッシュに生き生きと動き回る姿も。
何度見てもカブトムシの形は美しくて、綺麗だった。体のこげ茶色の光沢はため息が出るほど妖艶に感じた。
そして、こんなに綺麗で美しい存在がたった3カ月ちょとしか保たれないことを不思議に感じた。
もったいないと思った。こんなにピカピカで美しい造形の存在がたった3カ月ちょっとで、動かなくなって、土にもどっていくなんて。
神様は一体何のためにこんなことをさせるのだろう・・・と。
虫かごの中のオスとメスは、夜になるとオスがメスを追いかけまわし、交尾をした。
何度も何度も。
夜になる度に活発に2匹は動きまわって、交尾をした。
その二匹は9月末に死んでしまったのだけれど、あんなに交尾したのに、メスは1個も卵を産まなかった。
いったい、彼らのあの夜の生き生きとした日々は何だったのだろう・・・と思った。
私の家にはもう、空っぽの虫かごしか残っていない。
あんなに細部まで美しい造形のカブトムシが、あの細部を機敏に動かしながら、忙しなく動き回っていたのが、奇跡のようだと感じだ。
あんなにも美しい造形のカブトムシは3カ月でなくなる。
だけど、また、違う個体のカブトムシは次の夏ごろに現れる。
カブトムシの造形、生態自体は失われない。
毎年毎年、あの美しい造形のカブトムシが現れては、同じように3カ月ぐらいで消えていく。
そうしながら、世界を彩っていく。
決してカブトムシは消えない。続いていく。
世界と絶妙に関わり合いながら。
本当に世界は不思議だと思った。
「いったい何のため?」
そんな問いもきっと無意味なんだろう。
「生き生きとこの世界に存在する」ってことだけで、多分おわりだ。
そして、それは人間も同じだと思った。
私はこつこつと地道に積み上げてきたものが、しっかりと秩序をもった「自分」になっている人間に愛おしさを感じる。
自分がやってきたことに誇りを持ち、悔いのない人生を送っている人間をとてつもなく美しくかんじる。
一日一日をキラキラと精いっぱい生きている人間が好きだ。
神さまに「この一日をありがとう」というように生きている人間が好きだ。
彼らは、「自分」という芸術作品を人生をかけて創りあげている。
周りが何と言おうと、自分を信じることのできる、知性と強さと、それを裏付ける経験をもった人が好きだ。
自分の生命エネルギーを精いっぱい発散して、自分を最大限に生かして人生を全うする人間が好きだ。
自分を愛してそのうえで周りを愛する人が好きだ。
人間はカブトムシとは違った美しさを持っている。
続いていくのは、「人間」という造形だけじゃない。
造形だけでない、目に見えない何かも一緒に、引き継がれ続いていっている。
そして何か大きいものを時空を超えて他の人間と一緒に創っていくことができる。
人間はそれができる。
人間にしかできない承継ができる。
人間にしかできないやり方で。
だから、やっぱり、人間にとって、人間が一番美しいのだろう。
そして、「美しい」という感情が、生きていう上で、自分が人生を歩んでいくうえで、重要な指針となる気がした。
自分が強く「美しい」と感じることは、きっと、自分が行きたい場所なんだろうと。
だから、その感情を大事に見守っていきたい。
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