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セネカの『人生の短さについて』は人生の早い段階で読んでおいたらいいと思う

最近、セネカの『人生の短さについて』を読んでいる。

うん、いわずもなが、素敵な著書です。

たまたま少し前にアランの『幸福論』を読んでいたのだけれど、いい感じにこの2冊はリンクしてる気がする。2冊を一緒に読むと相乗効果でとても良い読書体験ができる気がします。

 

私が今読んでいるセネカの『人生の短さについて』はこちら↓

 

 

今、図書館で借りて読んでいる。

でも、とても良かったので購入しようと思い本屋さんに行ったのだけれど、残念ながら無かった。

↓こちらの岩波文庫の『生の短さについて』はあったのだけれど。

 

 

本屋さんでちょっと立ち読みしてみたら「読みにくっ!」ってなったので購入するのをやめた。内容も多少違ったので、やっぱり図書館で借りた方をネットで購入しようと思う。

 

訳し方って本当に重要だとおもった。だって読みにくかったらどんなに内容がよかろうと読む気がそがれてしまう。

 

翻訳家の仕事の重要さについて考えさせられた。

 

にしても、『人生の短さについて』を読んでいると、とても不思議な感覚になる。

セネカ(1B.C~65A.D)は古代ローマに生きていたのだけれども、紀元前に生まれた人の考えていたことが、21世紀に生きている私の心に響くなんて・・・なんていうか・・・人間の深い部分の普遍性を信じれずにはいられない。

 

こんなにも昔に生きた人が、今生きている人々と同じような事で悩んでいたり、同じような考え方に至るのはなんとも不思議だ。

 

そして、セネカの教えは、私の今直面している課題(時間のつかい方について)にとって、とてもポジティブに響く。

 

そして、セネカが考えていたことと同じような事を、今私が考えるに至ったと思ったら、なんだか勝手にすごく親近感を感じるのです。

 

以下私にとってとても心に響いた文章を紹介します。

 

真の閑暇は、過去の哲人に学び、英知を求める生活の中にある。

 

 すべての人間の中で、閑暇な人といえるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが、生きているといえる。というのも、そのような人は、自分の人生を上手に管理できるだけでなく、自分の時代に、すべての時代を付け加えることができるからだ。彼が生まれる以前に過ぎ去っていったあらゆる年月が、彼の年月に付け加えられるのである。われわれがひどい恩知らずでないというなら、こう考えるべきだ—人々に尊敬される諸学派を作りあげた高名な創設者たちは、われわれのために生まれてくれた。そして、われわれのために、生き方のお手本を用意してくれたのだと。

 他人が苦労してくれたおかげで、われわれはとても素晴らしいものへと導かれていく。それは[過去という]暗闇の中から掘り起こされて、光を当てられるのだ。われわれに閉ざされた時代などない。われわれは、すべての時代に近づくことを許されている。われわれは大きな心で、人間の弱点である視野の狭さ克服しようとするだけでよい。そうすれば、広大な時間が目の前に広がり、われわれはそこを訪ね歩いていくことができるのである。

 われわれには、ソクラテスと共に、議論することが許されている。カルネアデスと共に、懐疑することが許されている。エピクロスと共に、安らぐことが許されている。ストア派の哲人たちと共に、人間の性に打ち勝つことが許されている。キュニコス派の哲人たちと共に、人間の性から自由になることが許されている。

 自然は、われわれに、すべてに時代と交流することを許してくれる。ならば、われわれは、この短く儚い時間のうつろいから離れよう。そして、全霊をかたむけて、過去という時間に向き合うのだ。過去は無限で永遠であり、われわれよりも優れた人たち過ごすことのできる時間なのだから。

 

(引用:セネカ『人生の短さについて』(光文社文庫)p.66-p.68)

 

この文章はとてもぐっときた。

私は以前ブログでこんなことを書いた。

 

www.hiekashi.com

なんだか、私の書いたこの文章がセネカさんに肯定された気がして、なんだか救われた。

 

セネカはこうも述べている。

 

名誉の称号とか、記念碑のようなもの―すなわち、なんであれ、功名心を満たすために[元老院]決議されて公布されたものとか、老役によって建てられたもの―はいずれは滅び去る。長い年月がすべてを破壊し、変化させてしまうのだ。これに対して、英知の力で神聖になったものは、傷つけることができない。そのような神聖なものが、ある時代に滅んだり、衰えたりすることはないのだ。次の時代、その次の時代と、時がたてばたつほど、ますます尊敬されることだろう。なぜなら、近くにあれば嫉妬心が生まれるが、遠くにあれば素直な気持ちで賞賛できるのだから。それゆえ、賢者の人生は、とても広大だ。賢者は並みの人間の限界を超えている。賢者だけが、人類のさまざまな制約から解放されている。あらゆる時代が、神のごとき賢者の前にひれ伏すのだ。

 時が過ぎ去った。賢者はそれを記憶の中に包み込む。時が、今ここにある。賢者はそれを使いこなす。時がやってくるだろう。賢者はそれを予想する。賢者は、すべての時をひとつにつなげる。そうやって、自分の人生を長くするのである。

 

(引用:セネカ『人生の短さについて』(光文社文庫)p.72-p.73)

 

セネカは凄い。自分が残した文章で、自分の文章の内容を実証した。

 

確かに賢者であるセネカの書いた文章は、約2000年もの間、傷つくことなく、滅ぶことなく、今なお輝き続けている。この未来をセネカはきっと予想していた。

 

予想通り、2000年近くセネカの精神は生き続け、今もなお、世界に影響を与え続けている。確かにセネカの人生はちっとも短くなんてなかった。今でも多くの人々をいい方向へ導いている。世界に関わり続けている。

 

むしろ、ネット等、さまざまな場所から時間を奪われる現代に生きる私たちにこそ、『人生の短さについて』は正に読むべき著書だと思う。

 

決して、セネカの書いた内容を丸々教祖様の言葉の様にすべて受け止めて自分の生きる指針にする必要はない。

 

そんなことはしちゃだめだ。結構セネカの言葉は辛辣だから、自分の今までの人生を否定してしまうことに繋がりかねない。

 

今の自分に役立てれる内容を部分的に拾って、自分の今の人生におとしこむ。

 

そういう読み方をした場合、『人生の短さについて』は最高の人生の処方箋になると思う。

 

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