言動に説得力がある人間になりたい。
輝くはるか先を見ながら、確信をもって今に集中する。
はるか先を見ながら、今を見る。
はるか先を見失わないようにしながら、今を集中する。
この行為は矛盾しているように思えるかもしれないけれど、できてる人はできる。
そして、偉業を成し遂げた人は、きっとこの行為を継続してやってきた人だ。
今に集中しながら、自分の目指すビジョンを見失わない。
レオナルド・ダ・ヴィンチの名言にこんなのがある。
十分に終わりのことを考えよ。
まず最初に終わりを考慮せよ。出典:
きっと、レオナルド・ダ・ヴィンチは先を見続ける大切さを身にしみて実感していたのだろう。
常に自分の目指す何かをしっかりとイメージしながら、長い道のりを一歩一歩着実に進み続けたのだろう。
けっして、そのイメージを見失わないようにしながら。
私も、この言葉を堂々と実感を持って誇り高く言えるようにいつかなりたい。
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人間を憎んじゃダメだ。
人間を憎んじゃダメだ。
憎むなら、その人間の行為とその行為に至らしめた原因を憎むべきだ。
人間に絶望しちゃあダメだ。
何故なら、絶望しているのは人間だから。
どんなに、憎しみをぶつけたくても、人間にぶつけたらダメだ。
「その人間の行為とその原因」にその憎しみをぶつけるべきだ。
どんなに人間を嘆いても、私たちは人間だから。
自然の流れで生み出される負の感情をエネルギーに変えて、その負の感情を生み出す原因となった行為の改善にそのエネルギーを費やすようにしないと。
忍耐強く負の感情を正しく解放しないと。
人間にそのままぶつけたらダメだ。
それは負の感情を増幅させるだけだ。
自分が憎んでいるあの人も、自分が愚弄するあの人も、許せないあの人も、自分と同じ人間。
憎んでいる部分も、愚弄している部分も、許せない部分も、実は全部自分の中にある。
割合は違えどある。
同じ人間だから。
だから、人間としてその人を尊重しないと。
同じ人間なのだから。
自分が汚いと思っているその人間の状態を許す。自分を愛すように、他人も愛す。
そうやって人間として尊重した上で、自分の立ち位置によって、許せない行為には全力で立ち向かう。
許せない行為に屈してはだめだ。
全力で戦う。憎むべき「行為」に対して。
そして、その行為の被害にあった、自分が大切に思う誰かの想いを繋げるためにエネルギーを費やす。
それが、自分のためだし、大切な人のためにもなる。
本気で憎むなら、忍耐がとことん必要でも、地道でも・・・そうするしかないんだ。
愛と憎しみを同時に忍耐強く持って、修羅の中をただひたすら犀の角のように独りで歩くしかない。
人間に憎しみをぶつけたり、絶望したりすると、そのまま自分にかえってくるから。
それは、実は停滞と破壊行為につながるから。
なんとか創造的に前に進んでいきたいのなら、忍耐が必要でも人間を憎んだり、絶望したりしちゃダメだ。
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