人間を憎んじゃダメだ。
憎むなら、その人間の行為とその行為に至らしめた原因を憎むべきだ。
人間に絶望しちゃあダメだ。
何故なら、絶望しているのは人間だから。
どんなに、憎しみをぶつけたくても、人間にぶつけたらダメだ。
「その人間の行為とその原因」にその憎しみをぶつけるべきだ。
どんなに人間を嘆いても、私たちは人間だから。
自然の流れで生み出される負の感情をエネルギーに変えて、その負の感情を生み出す原因となった行為の改善にそのエネルギーを費やすようにしないと。
忍耐強く負の感情を正しく解放しないと。
人間にそのままぶつけたらダメだ。
それは負の感情を増幅させるだけだ。
自分が憎んでいるあの人も、自分が愚弄するあの人も、許せないあの人も、自分と同じ人間。
憎んでいる部分も、愚弄している部分も、許せない部分も、実は全部自分の中にある。
割合は違えどある。
同じ人間だから。
だから、人間としてその人を尊重しないと。
同じ人間なのだから。
自分が汚いと思っているその人間の状態を許す。自分を愛すように、他人も愛す。
そうやって人間として尊重した上で、自分の立ち位置によって、許せない行為には全力で立ち向かう。
許せない行為に屈してはだめだ。
全力で戦う。憎むべき「行為」に対して。
そして、その行為の被害にあった、自分が大切に思う誰かの想いを繋げるためにエネルギーを費やす。
それが、自分のためだし、大切な人のためにもなる。
本気で憎むなら、忍耐がとことん必要でも、地道でも・・・そうするしかないんだ。
愛と憎しみを同時に忍耐強く持って、修羅の中をただひたすら犀の角のように独りで歩くしかない。
人間に憎しみをぶつけたり、絶望したりすると、そのまま自分にかえってくるから。
それは、実は停滞と破壊行為につながるから。
なんとか創造的に前に進んでいきたいのなら、忍耐が必要でも人間を憎んだり、絶望したりしちゃダメだ。
【合わせて読みたい】