自分を理解できず、見失うことは、自分の無駄遣いに繋がる。
無駄なく自分の生命をつかってあげないと。
無駄遣いはよくない。自分に対しても。他人に対しても。
自分を有意義に世界に作用してあげる。
それはみんながみんな官僚みたいになるってことじゃなく。
それぞれの最適な役割をもつってこと。無職、有職も関係ない。
どんな役割だって、本人がイキイキと無駄なく生命エネルギーを燃やせれているなら、それが正解。
無駄なく生命エネルギーを有意義に消費できるのは、秩序がしっかり整っているからだ。
秩序が整っていないのは、浪費、 無駄遣いにつながる。
秩序の崩壊。
それは、生命エネルギーがどんどん無駄に流れていく。
秩序は時間をかけて時間をかけて「愛」をもって築いていくものだよ。
1日なんかで作れるもんじゃない。
秩序を破壊する行為は「愛」ではなせない。「増悪」をもってなすんだ。
肯定的な関心ではなく、否定的な関心でなすんだ。
「もうっ!えいっ!こんなもの!」グシャ・・・ってこと。
秩序の破壊は、生命エネルギーを無駄にドブドブ垂れ流すことに繋がる。
それはなんだか、底の見えない真っ暗な穴に吸い込まれていくように、虚無で、どこまでも冷たくて・・・なすすべがなく立ちすくむような・・・真の恐怖と絶望だと思う。
そんな秩序の破壊を導くきっかけのキーワード。それは、無関心。殻に閉じこもる。不信。タナトス。リセットボタン。積み上げたものを踏み潰す。諦め。断念。愛不足。自暴自棄。
それらの爆弾のような塊が「戦争」という形で現れる。
そんな破壊行為による秩序の崩壊のあとに訪れるのは「無」だ。
破壊行為はリセットボタンを押すようなものだ。
「無」の状態を望んでいるからこそ、そのボタンを押そうと思うんだ。
平和じゃないと、そこに創造なんてできないよ。
平和だからこそ、そこに創造ができるんだよ。
創作活動ができるんだよ。
何かが壊されている間に、そこに新しいものなんて作れない。
ボロボロ何かが崩れていっているのに、そこに新しい何かなんて積み上げれない。
今まで作っていたものの上に更に積み上げるか、無にして全く別の新しいものを積み上げるか。
創造するにはこの二つしかないんだよ。
そして、後者は物凄い無駄遣いなんだ。
だからね、みんなが一人一人自分を大切にしなくちゃ。
精神や身体が健康じゃないと、やりたいことなんて思いっきりできない。
精神や身体の小さな綻びを放っておいて、不摂生な生活を続けていると、いつか取り返しのつかないことになる。
悪くなった部分をしっかり労らないと。ないがしろにせずに意識しないと。
意識して修繕する。そのあと創造すればいい。
精神も身体も健康が1番だから。
そこが駄目になると、創造なんてできなくなってしまう。
そして、創造し続けたいのなら、どんなことがあっても、自分で自分を破壊する行為は避けないと。身体も精神も。
破壊は自分の無駄遣いに繋がってしまう。
自分が今まで、時間とエネルギーを費やして積み上げてきたものを破壊するなんて・・・そんなのできる限り避けるべきだ。
ただでさえ短い人生を、さらに短くする意味はどこにあるのだろう。貴重なささやかな命を無駄遣いするなんて。
自分を大事に大事にしてあげること。
それは、自分本位ってことじゃなく。
自分を大切にしないと、自分の秩序が徐々に崩れていくから。
それは周りをいつか巻き込んでいく。エネルギーの無駄遣いを拡大していく。
ボロボロと少しずつ崩れて、そのうち崩壊の進行に歯止めがかからなくなって、自分と周りの人間がワーワーと修理にあたふたと走り回ることに繋がる。
だから、自分の周りの人間のためにも、もちろん自分の為にも自分の無駄遣いはしないようにしないとね。
自分を大切にすることは、周りの人間を大切にすることにも繋がるんだよ。
自分を大切にせずに、周りを大切にすることなんて無茶だからね。
そんな無茶を一人でずーーっとし続けて、とうとう力尽きて辿り着く場所が「自殺」なのだと思うよ。
それは、とても悲しくて、やるせない。
どんな自分でも、許してあげて、認めてあげないとね。
どんなに周りからみて情けなくても、自分だけは自分を愛してあげたらいいと思う。
自分を苦しめるプライドはそっと手放せたらいいと思う。だけど、手放せないからこそ苦しいのも分かる。だから、ただただ「自殺」はやるせない。
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