悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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名著「愛するということ」は想像以上に名著だった。

最近またすっごい著書に出会った。

 

本当に本当に、私にとっては人生に深くかかわる経験となる著書に出会ってしまった。

 

運命の導きを信じてしまうぐらい、私にとっては魂にピタッと来る著書だった。

 

その著書はフロムの「愛するということ」

 

 

結構な世界的な名著らしいけれども、読書家でない無知な私は、今までの人生でかすりもしなかった。

私は実は勝手に自分の中だけで愛について勝手に色々と考えてきた。

 

自分の「愛」についての考えを積み重ねてきた。以下「愛」についての記事たち。

 

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こんな感じで私は「愛」についてとても関心があった。

 

「愛」について語るってなんか、こっぱずかしくって、愛に飢えてるみたいで、ロマンチストみたいで、ちょっと宗教臭があって・・・そんなこと語る本や人は大体うさんくさい・・・なんて先入観があるなら、それは今すぐこの本に対しては改めるべきだと思う。

 

「愛」は生きる上でとてもとても関心を持つべき大事な事だと。

 

そう私はずっと信じて感じてきたのだけれども、「愛するということ」を読んでその想いは確信にかわった。

 

そう「愛すること」はやっぱり技術なんだ。

 

「愛」はただそこに存在するのではない。

 

私達は「愛」について学び「愛」の扱いを獲得していくことが、有意義な人生を歩むためには必要なんだ。

 

私の頭の中でとりとめもなく考えていたことは、やっぱり他の人間も考えていた。しかも膨大なそれを裏付ける情報と知識と共により深い深い場所まで考え抜いて体系化して一冊の本にまとめていた。

 

「愛するということ」を読んだ今、自分が著者のフロムの「愛」についての考えとほとんど一致する内容を以下の記事で書いていた事実に驚く。

 

 

「愛」に無関心な限り、心は満たされることはない。 私たちがよりよく生きる為には、「愛」について学ばなければいけない。 「愛」について気づき、正しく扱ってこそ、心は満たされ続けるのだから。 「愛」は相互が努力を継続してこそ、輝きを放ち続ける事ができるのだから。

「100万回生きたねこ」は何で最後生き返らなかったのか。考察してみた。 - 悩みすぎな私の子育てライフ

 

この記事の文章は正真正銘私の経験と孤独な思考から生み出された文章だ。もちろんフロムなんて知らない。

 

愛についての研究の著書なんてまったく読んでこなかった私と、フロムの考えがこんなにも似通っているというのは、何か神秘的な普遍性を感じる。

 

この著書のなかでフロムが最近私がとても感銘をうけた哲学者スピノザの思想について肯定的なとらえ方をして自分の思想の裏付けとして紹介していたのも私にとってはうれしい確信だった。

 

やっぱりつながっているんだ。

 

人間の目には見えない精神世界には普遍的な何かが確かに存在する。

精神世界にも、目に見える自然界と同じぐらい秩序をもった何かが在る。

 

きっとその目には見えない何かを感じ取った人が、「それは私にも見えていますよ」ってことを伝えるために本か何かにして残すのだろう。

 

「あなただけじゃない。私も見えてる」って。「だからともに真実を探求しに別々の場所で歩いて行こう」って。

 

あなたが見えたものは確かな事だ。例えあなたの周りの人間の誰一人それに気づかず見えていなくても、私には見えた。だから不安がる必要はない・・・って。

 

そんなふうに勇気づけられている気がした。

 

セントラルドグマのようにすべての生物の体の仕組みに共通するようなものがきっと精神世界にもある。

 

きっと精神世界には想像以上に壮大で秩序を持った何かが横たわっている。

 

そんなことを考えさせられた読書体験でした。

 

もし、まだ「愛するということ」を手に取ったことがない人はぜひ読んでみて欲しい。

決して恋人や子どもや配偶者がいる人対象の限定的な本なんかではない。

愛に飢えているから読むべき本なんかでもない。

人生の為の知的教養として読むべき本だ。

 

もしそれでも読むのがはばかられるのならば、

第4章の「愛の修練」だけでもぜひ読んでみて欲しい。それだけでも十分読む価値はあると思う。

 

そして、スピノザが自ら経験しないと会得できないものについて語ったように、「愛の技術」もまた、実際に自分自身が自分自身を通して試行錯誤し得るしかないとフロムが言っていることに本当の意味で気づけたら・・・もう新しい一歩を踏み出すきっかけをつかんだことになる。

 

自転車は、自転車に乗る体の動作について細かく書かれた本をひたすら読んでも決して乗れるようにはならない。

 

実際に自ら自転車にまたがって、かつ自転車の乗り方を知っている「教えるプロ」の意見に耳を傾けて手っ取り早くコツをつかむことが一番の近道だ。

 

そのような「愛する技術」の「コツ」を効率よくつかめるきっかけを与えてくれるといった意味で、「愛するということ」が紛うことなき名著と言われる所以なのだと。

 

今まで愛について真剣に考えてきたつもりの私は思うのです。

 

 

 

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ただ当たり前に名著はそこにあったんじゃなかった。

あなたは私の元に来るために、実は本当に本当に遠い道のりを、一生懸命歩いてきたんだね。
 
ぽっと、そこに「ただあった」ように見えて、全然そんなことなかった。
 
例えば、ソクラテスの熱い想いをプラトンが本にして、その熱い想いを運ぶために想像できない程沢山の人たちの力で、今私の頭の中にやってきた。
 
ソクラテス本人は一冊も本を残さなかったらしい。
プラトンがソクラテスの想いをつなげたんだ。
 
その源を生み出した本人の命の炎は消えても、熱い熱い想いをキャッチした人達が、遠くへ遠くへ運んでいく。
 
ソクラテス一人だけでの力じゃない。
 
ソクラテスはプラトンにとって偉大だっただろう。
 
だけど、私にとっては、同じぐらいプラトンは偉大だ。
 
なぜなら、プラトンがいなければ私はソクラテスの思想の存在を知ることができなかったのだから。
 
ソクラテス、プラトンだけが偉大なんじゃない。その熱い想いを運んだ人皆んながかけがえのないピースなんだ。時代を越えたたくさんの人たちの力を合わせて2000年以上もの時を「熱い想い」は歩いてこれた。
 
私の元まで来るのに、みんな必死だった。一生懸命だった。命のエネルギを燃やした。
 
私みたいな凡庸な頭にも響くように、一生懸命試行錯誤してくれた。
 
日本人の私にも理解できるように日本語に翻訳してくれたり、テレビでアニメーション付きで解説してくれたり。
 
それは、想像以上に骨の折れる作業だろう。
 
そうやって、たくさんの人の力を借りて、やっと私の心に響くことができた。やっと私に会いに来てくれた。
 
「心に響く」って簡単なことじゃない。
 
ここに来るまで皆んな一生懸命だった。
 
ここに来るまで、きっと沢山の苦悩があった。
 
孤独の苦悩。
理解されない苦悩。
無に帰する不安に対する苦悩。
 
そんな苦悩を「熱い想い」でなんとか切り抜けて進み続けた。
 
そんなたくさんの人の血の滲むような努力のおかげで運ばれた「どうしても伝えたかったこと」が今の私の発展途上の思考体系に織り交ぜられている。
 
私の今の思考がどうして私一人の力で生み出すことができたというのだろう。
 
そんな考えは高慢以外なんでもない。
 
ひとりぼっちで成せることなんて何にもない。
 
私はただ、飛んできた熱い想いを上手くキャッチして、それを自分に練り込んで「私が生きている今」に有意義な形にして創造する。
 
それは、決して立派な本を書く行為だけじゃない。
 
日常の行動に現れたり、自分の子どもや、友人に伝えたりすることだって創造だと思う。
 
自分の行動で周りに影響を与えて、自分の想像どおりに周りの状態を創造する。
 
「今」を生きている私が貢献できることは、それだけだ。

そして、それが立派で重要な役割だ。
 
どんなにささやかであっても・・・。
 
 
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呪われた身体

呪われた身体。

私はこの呪われた身体から脱出することができない。

暑さも、寒さも、喉の渇きも、空腹も、外部の自分に触れる環境全てを受け止めて勝手に反応する、この身体から。

このちっぽけなせまっ苦しくて、煩わしい容れ物から、ほんの少しの間だって、解放されることはない。

この呪われた身体という乗り物とくっついてバランスを取りながら一緒に走るしかない。

エネルギーを摂取して、廃棄物を撒き散らしながら走っていく。

色々なものを犠牲にしながら、それでも走っていく。

この神様から呪われた身体のおかげで、走れる。遠くまで行ける。

満たされない苦しみがなければ、満たされる喜びはない。

きっと、本当に自由だったら、きっと何処にも行こうと思わない。

人間は呪われた自由でない身体をもっているから、自由を求めるんだ。

一人では生きれないほど弱いから、孤独を恐れて他人を求めるんだ。

この呪われた身体は神様からのプレゼントだと信じたい。

「生きる」素晴らしさを体験して知れる、この呪われた身体の特別乗車券に私は当選したんだ。

相反するものを同時にもてることこそが、「生きる」という魅力なのだろう。

だから、「苦しさ」も諦める。

「楽しさ」を手放したくないから。

 

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