悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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WBC 2023で「自分がブレないこと」の大切さを目の当たりにした

WBCの14年ぶりの優勝に沸いた日本。

私もその試合に魅了されたにわかファンの一人だ。

不思議な引力に引き寄せられ、準々決勝のイタリア戦から熱中してしまい、今まで基本的なルールすら知らなかったのに、すっかり色々と野球について学んでしまった私です。
本当に不思議な不思議な力が日本中(世界中?)に働いていたように思う。

今回のWBCを観ていて「自分がブレないこと」の重要性を再確認できた。

「自分がブレないこと」はこんなにも重要なんだ。みんな自分がブレないように、ブレないように集中していた。それは本当に本当に骨が折れることだと思う。ブレないということは、自分の信念に確信を持たないといけない。

それは、実はとてつもなく地味で地道な作業だと思う。

信念に確信を持つためには自分を信じないといけない。自分を信じるためには、自分を信じれるに値する記憶(経験に裏付けられた)や能力(練習に裏付けられた)が必要となる。そして、さらに「自分を信じること」をより確固たるものにするためには、他人から「信じられる」という事が不可欠だという事、そのことが何よりも「自分を信じること」を後押ししてくれるのだということを今回のWBCで強く感じた。

 

さらに、今回のようなチーム戦の場合、「ブレないこと」は個人の問題だけでなく、チームでの問題にもなってくる。


まず、チームの信念を統一させないと、ブレる。
だから、コミュニケーション、決起会が重要となってくる。
そこで、お互いを知り、さらにチームでの信念の統一を固めていく。さらに、その信念を突き通す為に、チームメンバーを良く知った上で、そのチームの中での自分の役割、立ち位置をしっかり自分の中で確立させる。
「このメンバーで、自分はこんな役割を期待されていて、その役割をきちんとこなせば、チームの目標が達成できる」
そのビジョンをそれぞれがきちんと見れていないと、ブレが生じる。自分のビジョンをもちながら、それが全体のビジョンに繋がっていないといけない。


チームの統一、個の統一。


それぞれがしっかり自分に集中してそれぞれの役割をきちんと果たせるように調整して、本番にそれぞれがベストの状態を合わせれた結果の、奇跡のような優勝だったように思う。


「2009年のWBCの優勝した先輩たちの輝いた姿」


きっと、今回のチームの統一のためには、この光景の共有が欠かせなかったように思う。

そして今回の光景もまた未来の素晴らしい光景への架け橋となったに違いない。
今回の光景は多くの人々の心に刻み込まれた。
そして、なんだか寂しいけれど、2023年のWBC優勝の為に形成されたチームの目標は達成されて終わってしまった。このチームを統一していた「2023WBC優勝」という一つのビジョンはこれ以上ない程美しく完成し、そして失われた。だからこのチームも失われるしかない。


だけど、またそれぞれが、次のそれぞれの目標のための地道な歩みを始めている。
もう、彼らは次に向かって歩き始めている。
次に目指す輝くビジョンを生み出すために。
自分をしっかり見つめ続けている。自分がブレないように努力を積み重ね続けている。
だから、私もいつまでもWBCの余韻に浸ってボーっとしているわけにはいかないと思った。
選手たちはもう、次に向かって自分を歩いているのだから。
私は私の役割…私の人生の目標に集中して日々を重ねていかないといけないと思った。
ブレないように。
それがどんなに他人から見てちっぽけなことでも、自分が納得して受け入れた自分の役割をしっかりコツコツとこなしていくことが大切なんだ。自分の思い描くビジョンを目指して。
そのことの大切さを、再確認させてくれた日本のWBCだった。
本当に、本当に、美しい光景を見せてくれて心からありがとうございました!侍ジャパン!
彼らの稀有な輝きの瞬間は、しばらく輝き続けたまま保たれて、次への道標になるのだろう。

 

そして・・・彼らの生み出した華やかな素晴らしい束の間の光景の後ろには、彼らのこれまでの長い長い道のり・・・地味で血のにじむような途方のない日々の努力の積み重ねの気の遠くなるような時間・・・が横たわっているという事を決して忘れてはならないと思った。

 

 

 

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「春休みが始まってしまう」って親の気持ち

「春休みが始まってしまう」

 

昔はこんなワードを言う母親の気持ちがよくわからなかったけれど、自分が母親になってからとてもわかる。

 

「春休みが始まってしまう」

 

別に、この「春休み」が「夏休み」や「冬休み」におきかえても大体同じ。

 

ただ「夏休み」の場合、より、この言葉に重みが出る。

「あああー夏休みが始まってしまう」・・・ってなる。

 

 

とにかく、「始まってしまう」のだ。

 

このワードを聞いて、「自分の子どもが嫌いなんか?」みたいに目くじらを立てる人もいるかもしれないけれど、そういう意味で言っているワードではない。

 

とにかく、自分の為の時間が急激に減るっていうのが問題なのだ。

 

自分の為の時間というのは、別に「大好きな韓国ドラマを見る時間」みたいな類だけじゃなく、自分がしたい仕事や趣味、ゆっくり本を読んだり、ゆっくり食事したり・・・みたいな時間だ。子育てって、とにかく「ゆっくり○○」が阻害される。一人だったときは当たり前にできていたことが、当たり前にできなくなって、塵も積もれば山となる・・・みたいな感じで自分がすり減っていく。

 

子育てしてきて気づいたのだけれど、自分の時間を自分の為だけに費やすというのはとても大事で、それがどんどん失われていくと、自分がどんどん失われていくような感覚になっていく。

 

きっと、それは、過労働で死にたくなる人の心境と同じ気がする。

 

まー「死にたくなる」まで行くのはかなり極端な状態の話なのだけれども、とにかく、子どもの長期休みというものは、母親の「子ども抜きの自分の時間」が学校がある日に比べて極端に少なくなってしまう。

 

普段、計画的に自分の為につかっている時間配分のペースが大きく変わってしまう。

 

これが、かなり負担。

 

人間っていうのはそんなに器用じゃないから、一旦ペースが崩れたら、そのペースに戻るのはなかなかしんどいもの。

 

「子育て」と「自分のための活動」を両立させるのはとても大変。

 

「子育て」は、どうしても時間と労力を沢山必要とし、しかも融通が利かない類のものだから。

 

「子育て」と「自分の為の活動」を完全に一致させたらものすごく効率はいいのかもしれない。

 

だけど、悲しいかな・・・自分の子育てはいつかは終わってしまう。どんどん、自分の子どもとの時間は少なくなっていき、それと同時に母親は、子ども抜きの自分の時間の使い方を試行錯誤しなければいけない。母親は子どもが巣立った後も、生きていかなければいけないのだから。で、やっと、自分の時間の使い方について確立し始めて、ペースもつかめてきたのに、定期的にやってくる「長期休み」によって、そのペースを中断、または崩される。

 

それが辛い・・・んだと思う。

 

そういう意味での「春休みが始まってしまう」だ。

 

「そろそろペースを変える覚悟しないとな」って意味だ。

 

「よし、一旦子育て長期モードの自分に切り替えるぞ!」っていうね。

 

別に、だからって、そんなのきっと子育て主婦だけの苦悩だって言い張りたいわけじゃない。

みんなみんな、「自分の時間」と「やらねばならぬこと」の狭間でうまくバランスをとるために苦心していると思う。

 

私は運よく、「子育て」は結構向いている方なので、「子育て時間」をそれなりに楽しんで費やせる。だけど「子育て」にあんまり向いていない人や「子育て抜きの仕事」によりウエイトを置かなければならない人にとって、「子育て」はより大変だろうなって思う。やっぱり人間、向き不向きがあるし、環境もそれぞれ違うだろうし。

 

・・・なんだかんだ書いたけれど、「春休みが始まってしまう」って母親の言葉、みんなが思っている程そんなにネガティブなワードでないと思うよ。

 

子どもが大好きな人だって普通に頭に浮かぶ言葉だと思う。

 

ただ、子どもの前で言ったら、子どもが勘違いしてしまうから言わない方が無難なワードってだけ。

 

私はそろそろ「春休みが始まってしまう」から「よし!楽しい楽しい春休みだ!」に切り替えていかないとね。

 

そう、「楽しい楽しい春休み」って気持ちで過ごした方が春休みが気持ちいいものになるに決まっているもの。

 

それに、春休みを有意義で素晴らしいものにするかどうかは、本人たちの心がけ次第だし。

 

つまり、母親にとっても、心がけ次第で、素晴らしものになるはずなんだよね。

 

だから、私の通常モードもそろそろ長期休み用に切り替えていって、思いっきり春休みを楽しみたい。

 

 

みなさんの春休みが有意義で素敵なものになりますように☆

 

 

 

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自分の自然体をしっかりと見つめなきゃね。体も精神も。

最近、絵を描かなきゃ描かなきゃって思いながら、文章を書きたくてたまらなくなる。

 

そして、「描かなきゃ」って思ったら、なんだか絵を描くのが苦痛になってくる。

 

人間はなんだか不思議。自分になかなか素直になれない。

 

自分を縛り付けて、勝手に苦しくなる。

 

まるで、自分で自分を苦しめたいみたい。

 

でも・・・もう、そんなの、そろそろ馬鹿みたいって思う。

 

もっと、「自分」をしっかり見つめないとね。

 

肩の力を抜いて。

 

だから今日は、自分に素直になって自分のやりたい事・・・つまり自分の書きたいままに文章を書く事にした。

 

私は最近、「自然体」について考えている。

 

自分の自然体とはどんな状態かな・・・って。

 

自然体でいることはとてもとても難しい。

「自分」を最大限大切にしてあげることはとても難しい。

 

例えば、自分の体に本当に必要な食料を必要な分だけ体に取り込むことが毎日出来ている人間は一体どれぐらいいるのだろう。

 

娘が「ハムスターは人間が与えた餌を全部食べちゃって太り過ぎで死んじゃうから、適量を毎日与えないといけない」って言ってた。私はこの話を聞いて、「へー・・・ハムスターって自分で食べる量も調節できないんだ…哀れな動物…」なんて思っていたけれど、人間だって同じじゃないか。

 

人間は自分自身をコントロールなんかほとんどできちゃいない。

 

コンビニに行けば、お腹空いてないのに、あまーいスイーツなんか買っちゃったりする。

 

人間は何かを忘れるために、自分の体をないがしろにしょっちゅうしたりする。

 

自分のありのままを見つめるのが怖くて、しょっちゅう、本能の快楽で自分から目をそらしている!

 

目と首を酷使しながら、いつまでもスマホを見たり、寝不足になりながら、何かに熱中したり、体をしょっちゅう軽んじている。

 

自分の体を忘れていっている。状態を見ないふりしている。自分の体の声を無視している。

 

その有様は、人間から与えた分の餌を全部食べてしまって、死に自ら近づいていっているハムスターと何も変わらない。

 

今の人間の世界は、本能と周りからの供給の量のバランスがおかしいんだ。

 

昔の人間にとって塩は生命活動にとても大切だったわりに、なかなか手に入らなかったらしい。塩は希少な存在だった。希少な塩の存在量に見合うように味覚のセンサーは作られた。だから人間は塩を強烈に美味しく感じるようになった・・・ってテレビで説明されてた。

 

でも、今では、昔と違って塩は周りにあふれていて、むしろ塩を遠ざけないと健康に悪影響を及ぼす存在になってしまった。

 

本能と供給環境のアンバランス。

 

もしかしたら、そのアンバランスの体への弊害が「癌」という形で現れる?・・・なんて思ったりもする。

 

人間の体は、今の環境に全く適応できていない。

 

「塩美味しー」っていう本能のまま周りの塩まみれの食べ物を無限に摂取していく先は体の破壊だ。

 

だから、体の声をしっかり注意してきかないといけない。

 

胃が痛かったら、甘いスイーツなんか食べるのはよくない。

 

肩や目がいたいなら、スマホを見るのをやめればいい。

 

欲望をいたずらに刺激する環境から逃れるべきだ。

 

スイーツやスマホを自分から遠ざけるんだ。

 

今の世界で自分らしく生き続けるには「いかに自分の欲望をコントロールするために自分の環境をつくれるか」にかかっていると思う。

 

あーでも人間の欲望を利用した罠はもういたるところに張り巡らされている。

 

ちょっと歩いたらすぐ、コンビニの看板が目に入る。

 

テレビをつけたらコマーシャルですぐ欲望を刺激される。

 

自分が自分のままでいられる時間をどんどん奪っていく。

 

自分が「自然体」でいるのをどんどん阻害してくる。

 

それは肉体面だけじゃない。

 

精神面もだ。

 

自分の精神の声もしっかりときかないと。

 

自分が何からも邪魔されない環境でしっかりと自分自身を見つめる時間の確保が必要だ。

 

塩まみれじゃない食べ物が周りにない環境で。

自己顕示欲や承認要求をいたずらに刺激しない環境で。

 

でも、そんな罠だらけの環境にもう私たちは存在してしまっているわけで。

 

もう、コンビニや、SNSが蔓延った世界で生きちゃっている訳で。

 

もう、その環境を手放すことができない今、自分をしっかり見つめれる状態に至るには「飽きる」しかないのかもしれない。

 

飽きるほど摂取するか、または、機能不全になるしかない?

 

どんな美女も美味しい食べ物も老人にはほとんど価値がないように。

 

そうなって、やっと、自分をしっかり見つめられる?

 

いや・・・そんなのあまりにも、自分があわれだ。

 

暴食で胃を壊してしまうまで食べて、やっと食べることをやめるなんて・・・。

 

まるで、餌を人間に与えられまくって、弱ってくハムスターの様。

 

人間はハムスターよりは少しは自己管理能力があるはずだ。

 

だから、自分の肉体や精神が弱り果ててしまう前に、全力で罠の張り巡らされた環境から逃げるしかない。

 

逃げて逃げて逃げて・・・自分を守る。

 

そう、罠を遠ざけるんだ。自分の視界に入らないようにする。

 

「罠を遠ざける」

 

このことの重要性に、なるべく早く気づかないといけない。

 

自分がボロボロになる前に。

 

最近話題の回転ずしの迷惑行為動画なんて、もう哀れで見ちゃいられない。

 

すっかり、ツイッターという承認要求の罠にはまってしまった若者の醜態なんて、迷惑というより、かわいそうでしょうがない。

 

あれは、自分を見失っている。

 

罠にはまって欲望の虜になって自分を見失っている。

 

そして、罠にどっぷりはまった哀れな未熟な若者の姿をメディアはさらし者にして、みんなほっとしている。

 

「あーあれより自分はましだ」って。

 

きっと、みんなどこか不安なんだ。

 

自分で自分をうまくコントロールできていないことに。

 

私だって不安だ。でも、不安なら、ほっとするんじゃなくて、自分で自分をどうにかしなきゃ。

 

自分を守れるのは自分しかいない。

 

だから、まだまだ欲望に振り回されるハムスターのような私は・・・少しずつでも「自分」をしっかりと見つめて、「自分」を大事にする練習をしていかないといけないなって思った。

 

 

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