悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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ジブリの「かぐや姫の物語」に感動して辛すぎるのに夫にはサッパリピーマン無理解過ぎて話にならないのでここで熱弁します(多少のネタバレあり)

4歳児と1歳児の育児中のヒエヒエです。

最近、ジブリの「かぐや姫の物語」を観ました。

観た感想は、

「素晴らし過ぎてつらい」です。

正直、1回目に観た時は良さがわからなかった。だけど、どうしてもどうしても、頭から離れなかった。音楽や、絵やらが。

そして、2回目を観た時、この作品のもつ美しさに魅了された。

もはやこれは芸術だ。

この作品は、きっと観る人の性質と時期によって全然違う。

きっと私が結婚していない未熟な学生時代とかに観たらちんぷんかんぷんだっただろう。

「え?ただのかぐや姫の話じゃん」っていう人の類になった。絶対。

それは、昔「こんなに勉強できるのは今だけだよ」って学生時代に親戚に言われて「は?意味わからん」と本当に真意が全くわからなかったのと似ている。

大人になって初めて「あーあれはこういうことだったのか」と気づく。

結婚してある程度色々と経験してきた今だからこそ、この作品の素晴らしさがわかるのだと思う。


だから「この作品の良さがわからない」という人を否定する気も全くない。
わからない時期にはどうあがいてもわからないものだ。

でも、ある程度は時期以外に観る方の姿勢がかかっているとは思う。

きっと姿勢次第で「一生かかってもこの作品の良さがさっぱり分からない」という人もいるだろう。


それは、美術館を楽しめるか楽しめないかの違いのような感じた。

絵画をうわべだけ見ていても何も感じないのは当たり前。

美術館は能動的な姿勢をとらないと何も楽しくない。感じない。

まさに「かぐや姫の物語」はその部類。

観る側の姿勢にかかっている。

ピカソの絵を「良さが全く分からない、これ誰でも書けるんじゃない?」と感じる人がいるように、「かぐや姫の物語って何が楽しいのか分からない」って人もいるのはわかる。

そういう人はそもそも「そういうことに興味がない人」なのだ。または、受け身な姿勢が癖になってしまっている人か。何かを感じようとする気が全くない人か。

芸術やピカソに興味がない人はもちろんピカソの絵を見ても何も思わない。
自分から突き放しているのだから。当たり前のこと。芸術は鑑賞する立場が、何かを感じようと積極的に働きかけないといけない。

そういう意味で「かぐや姫の物語」は限りなく芸術的な側面が強い。

そして、「かぐや姫の物語」の良さがなかなか理解されない一つの理由として、「映像(アニメ)は勝手に色々と与えるものだ」という先入観もあると思う。

特にアニメ映画なんか「刺激的、ワクワクドキドキ、バイオレンス、独特の話の流れ、写実的な驚く様な映像」なんかが当たり前にあるものとして観る。

観てるだけで、情報がどんどん入ってくる。騒がしいほどに。

そんな受け身姿勢に慣れきって「かぐや姫の物語」を観るとそれはそれはつまらないだろう。当たり前だ。

なぜなら「かぐや姫の物語」はそうやって観る類のものではないから。完全にこちらが能動的に観なくてはなにも見えてこない。

無慈悲な程に何も。

従来の「アニメ」とは根本的なベクトルが違う。


「かぐや姫の物語」は新しい「アニメの形」の可能性を示してくれたと思う。

私は昔のディズニーの「ライオンキング」や「バンビ」の様な作品を最近観て切なくなったのを思い出した。

なぜなら、今のアニメにこの様な「アバウト」な美しさを大事にし、極めたものがほとんどないから。

立体的で、写実的な細部の再現性ばかりを重視しているのが悪いとは言わないが、そのことばかりが注目されるのはなんだか悲しい。

写実的であればあるだけ良いならば、実写でいいじゃないかとすら思う。

せっかく人の想像力を表現できるアニメなのに、なぜ写実的な映像の表現のレベルばかりが注目されるのだろう・・・と。

「アバウト」な表現の洗練がアニメ界では無慈悲な程に置き去りにされていたのだと、「かぐや姫の物語」を観てようやく確信した。

ああ、高畑さんは、諦めていなかったのだな、と。

宮崎駿さんもきっと諦めていなかった。だから「崖の上のポニョ」の作品を作ったのだろう。

でも高畑さんは、さらに「アバウトの表現」の可能性を妥協を一切許すことなく「かぐや姫の物語」でやりきった。あっぱれとしか言えない。そして完璧すぎて寧ろ怖い。

しかも、内容にまで抜かりない。

「かぐや姫の物語」はこちらが「何かを感じ取る」姿勢をとればとるほど、色々なものを提供してくれる。

そして、それは無限の様に広がっている。

まさに「アバウト」な絵がそれを可能にしているのだ。

本当に名画のそれのようだ。

もちろん3Dアニメの作品にも無いわけではないが、恐ろしいほど制限される。画像の写実的再現を重視するあまり、諦めざるを得なくなった部分だ。

その観る側によって受け取り方に多様性がでるのを可能にするのが「アバウト」な表現の素晴らしい可能性だ。3Dの表現には絶対に負けない長所だ。

観る側次第で、登場人物の顔の表現すら違ってくる。なぜなら点が3つの顔の表情が、それを観る人にとって全て同じ表情に見えるはずがない(かぐや姫の物語ではしょっちゅうその様な顔になっている)。ある人には怒って見えたり、悲しんで見えたり、多様性は無限だ。全てが見る側にゆだねられている。

もしかしたら脇役の子供の顔を自分の孫の顔を当てはめて観た人もいるかもしれない。

これは「アナと雪の女王」の様な画風なら不可能なことだ。


この「アバウト」さに「絵のレベルが低い」とだけを感じてしまうのは、私にはもはや意味がわからない。

そんなことで絵の価値が決まるのなら美術館は全て写真の様な絵を飾ることになる。

別に、私はどちらの手法が勝ってる負けてるだのと言いたいわけではない。

純粋に「アバウト」さの利点を追求し取り入れた高畑さんを神の様に崇める訳でもない。

ただ、「アバウト」の素晴らしさを諦めず、それだけで表現をやりきった、という事実だけがただただ嬉しい。

なぜなら私は、そのような「芸術的要素」のある絵のアニメはもう見れないと思っていたから。

そして、さらに内容もその「アバウト」の可能性を見事に上手くつかったものとなっていた。

題材に日本の古典を選んだのも流石としか言えない。

ぴったりという言葉以外に思い浮かばない。

「かぐや姫の物語」は観る人を選ぶ。本当に選ぶ。

「かぐや姫の物語」にフィットした人は「ストーリーの流れの忠実な再現性」に感嘆する。
フィットしない人は「この流れの意味がわからない」「は?」ってなる。

例えば、ある大空を飛び回るシーン。フィットした人はきっと「美しすぎる」と感じ、フィットしない人は「意味がわからん、ファンタジーかよ」ってなる。

フィットした人はある人が妻子持ちの設定だと「この流れは流石の一言」と思うし、フィットしない人だと「なんだ?この下衆、興ざめ」ってなる。

おそらく、「かぐや姫の物語」がフィットする人は、怖いぐらい冷静に客観的に観ることができる人だ。

逆にフィットしないひとは、主観でしか物事を観れない人だ。刹那的な視野で今を効率的に見て生きている人には明らかに「かぐや姫の物語」は向かない。

あと、柔軟性のない人も向かない。新しいもの違うものを受け入れることが苦手な人もきっと向かない。なぜなら、「従来のアニメの鑑賞の仕方」では感じ取れない部分が多すぎるからだ。

先入観に縛られて、登場人物を品定めする様な見方だと絶対にこの作品の良さは分からない。

「なんだか主人公が好きになれない。行動が理解できない。」

こんなことを言っている時点で、すでに観ているようで、なにも観ていないことがわかってしまう。視聴者が突き放した時点でストーリーが終わる。本当に不思議な作品。

この作品にフィットする人は、物事を深く深く考えて、宗教とか哲学とか、そういう、役に立たないとわかっていながら、「人間とは?」なんて無駄に考え込むのが好きな人の様に思う。

物事について「何故?何故?」とストーカーのように執着して考えてしまう人向け(はい、私です)。

そういう類の人には、きっとこの「かぐや姫の物語」は心に深く突き刺さって、美しさに陶酔する気分を味わうだろう。

そして恐ろしいほど合った音楽、断片的な美しい風景、がしばらく頭から離れない羽目になるだろう。

それは、脳内でこの作品を咀嚼した結果であって、決して勝手にやってくるものではない。色々なことを咀嚼したご褒美としてやってくる。

この作品は一回観ただけで、何も咀嚼しようとしなければ何も生まれない。

だけど、一度物語全体を観て、客観的に、かぐや姫の人生を宇宙から見るぐらいものすごく客観的に観て考え続けたら、徐々に輝きを増していく。

不思議な輝きを放ってくる。

そして、高畑さんの人間愛に気付く。

「かぐや姫の物語」は、あれがいけないこれがいけない、なんていう話じゃない。

ただただ、すべてをひっくるめて「美しい」と言っている。

ものすごく肯定している。

私はとてつもなくポジティブなメッセージを受け取った。

「かぐや姫の物語」は切ない?辛い?悲しい?

いやいや全然。

私にはそんな感情を吹き飛ばしてくれるほどの「包み込むような肯定的な人間愛」を感じました。

そして、こんなにも素敵なメッセージがあるのに、全くかすりもしない人もいる(寧ろそっちの方が多い?)という現実にただただ、呆然とし、よくわからない孤独も感じさせる高畑さんの罪深さ。

高畑さんは写実的な絵ではない「アバウト」な絵は「目には見えないもの」を写実的に表現できることを確かに私に見せてくれました。

こんな、平凡な子育て主婦に。

仏教の思想に興味がある人(信仰しているとかではなく)は絶対、何かを感じ取るはずです。

・・・と、なんか難しげにインテリぶったように書いちゃいましたが、とにかく受け身でなく「感じ取ろう」という積極的な姿勢さえあれば、絶対に「観て損」だという感情は生まれないと思います。

特に、既婚で子育て中の女性(不倫に極度な否定感情がない人)は、必ず素敵な作品だと感じるはずです。

特に、「子供の幸せ」について素敵な教訓をくれるでしょう。

なんて、長々と熱く語ってしまいました。
夫には絶対に理解されないと思って言わないつもりだったのに、思い切って熱弁したらやっぱりさっぱり理解されなかったので、やけっぱちで、ここで発散しちゃいました。

「帝、顎(笑)」って・・・ダメダコリャ。

最後にもう一度言いますが、
「かぐや姫の物語」の良さを理解できないから駄目!未熟だ!といいたい訳ではさらさらございません。

むしろ、「良さが全く分からない」というタイプの人にどこかしら私は憧れているのかもしれません(現に夫はもろそのタイプ)

きっと、高畑さんと根本的な何かが似ている人こそ、分かる作品なのでしょうね。


以上。ここまで、読んでいただき感謝致します。

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