悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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死んじゃったハムちゃんに思いを込めて

あーもう2023年も終わりますね。

 

最近は相変わらず絵ばっかり描いている私です。

アートストリートというSNSサイトにはまっているのですが、いやー楽しいけれど時間を奪われる。結局SNSサイトってアクションしたもの勝ちなのですね。

デイリーランキングとかも正直絵の内容ではなく、いかに多くの人のアクションを得られたか、にかかっています。

アートストリート↓

medibang.com

 

「え?こんな素晴らしい絵がlevel1にもなっていないだと?狂ってる!」みたいな絵がちらほらあります。

 

ですが、それが現実なのですね。世界一美味しいハンバーガーを作っても、マクドナルドの世界の影響には到底かなわないのです。

 

何事も、一人ぼっちの力だけでは世界とは関われないのだなと痛感しております。

 

今の私が圧倒的に不足しているのは、おそらく積極的に人と関わることでしょう。

待っているだけでは何も変わらないのですよねー。自分から動いて働きかけないと。

自分がして欲しいことを相手にもしないと、自分にもしてもらえないのです。これ、大人の常識ですね( ;∀;)

 

こちらのブログが手薄になってしまい、もう有料で続けるのも潮時かな。。。と思っております。地味に金が( ;∀;)うーん。。あと一年頑張ってみよう。

 

今回久しぶりに投稿したのは、いい絵が描けてこちらにもアップしてみたくなったからです。というか、せっかく自分のブログを持っているのだから、バンバン絵を投稿してもいいのですよね。うん。恥ずかしがらずにアップしよう。

 

 

アートストリート→(ハムハムとクリスマス)の作品ページ:https://medibang.com/picture/hd2312201157208110023885778?cpi=001

 

この絵は去年のクリスマス前に死んでしまったハムちゃんに思いを馳せながら描きました。

 

もう、あー思い出すだけでなんだか心がズキンっとする感じがあります。

 

こちらの記事に、うっとしいほど重い想いをぶつけております。

 

www.hiekashi.com

 

www.hiekashi.com

 

やっぱり、自分の世界を表現するには絵だけだと限りがあるので、文章もセットにしたいとこだけれども・・・それは見る側にとって負担がより増しますよね。

 

あー文章も絵も見てもらいたい・・・だけどみんな忙しくてそんな時間を割いてもらうのは気が引ける・・・みたいないつもの葛藤が多少ありますが、もう、そんなうじうじしてられないですよね。

 

「みてくれ!私を!見て後悔させないから!」ぐらいの気迫がないと、誰も見てくれませんてホント。そして、自分も人様にしっかり関心を持つ!昔から自分にしか興味がない自己中な性格なので、精進しなければ。。

 

ということで、来年は開き直ってガンガンいきたいな、と思っている所存です。

 

ですが、期限を決めないといつまでもだらだらと続けてしまうので(特に絵)パーキンソンの法則?を意識して頑張っていきたいです。

 

と、ここで話を変えて、今回の絵について語りたいと思います。

 

この絵右側が去年死んでしまったハムちゃんです。

左側が今健在のぶくぶくハム。

 

死んじゃったハムちゃんに思いを馳せながら、自分の生み出したい世界を描きました。

人間ってこうやって、自分を慰めるために、創造をするのかなって・・・描きながら思っちゃいました。描きながら、なんだか自分が救われる気がしました。絵に、ハムちゃんの存在を込めながら、ハムちゃんへの思いをこめながら、罪を償っている気が少ししたものです。もちろん罪と勝手に思っているのは私の勝手ですが。

 

絵を描きながら、絵ってやっぱりいいなーと思いました。絵はどこまでも自由なんだなって。だけど、やっぱり技術がないと自由に思い描く世界は描けないので、勉強と努力は必要だなっと。でも一番大切なのは「こういう絵を描いてやる!」という確固たる意志と最後まで理想とする世界の表現を諦めない根性ですね。それがあれば、勉強に対する努力はセットでついてきます。

 

正直、絵をかく途中、「本当にこの絵は、私が目指す絵になるのだろうか?」という状態が何度もあります。だけど、立ち止まって、それにとらわれてずーっと眺めていては駄目です。ひたすら先を見て進むしかないのです。手と頭を動かすしかないのです。そしたら、絵は応えてくれるのだと。最近実感します。

 

何事も途中は辛いが目標にたどり着く直前は楽しい。絵が完成に近づくと楽しくてたまらなくなります。そしてその目標が困難であればあるほど、その道中は長く過酷になるのでしょう。

 

きっとそれは絵に限ったことではないのでしょうね。ですが一歩出す前に見た強烈なキラキラとした景色を忘れずに握りしめて試行錯誤しながら歩き続ければいつかはそこにたどり着くのです。

 

本当にそうだと思います。

 

皆さんも、大切な人生、素敵な景色にたどり着かれることを願っております。

 

また、私の詩が雑誌に掲載されます。

久しぶりにブログを書きます。

最近は、もうデジタルイラストが楽しすぎて、夢中で取り組んでおります。

でも、私は文章を書くのも好きなので文章も書く練習もしないといけないなぁと思っております。

 

やっぱり人間使わない能力はどんどん失われていくもの…色々と積み上げていきたいことが多すぎます。

 

人生は何かを成し遂げるには人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い

 

この言葉は中島敦さんの名言のようですが、最近つくづくこのことを実感します。

 

何も目標がない時は、本当に時間が過ぎるのがあっという間ですが、絵を描いていると5時間ぐらいはあっという間に過ぎて、食事やトイレにいくのも煩わしくなります。

 

でも、私はそういう何かに没頭している時間が大好きで、心から幸せに感じます。

 

ですが、描きたい絵はたくさんあるのにどう考えても時間がたりないのです。そして、そういう「描きたい」っていう気持ちは、生もののようなもので、時間がたつにつれ、遠くへいってしまったりするのです。

 

でも、人間のエネルギーと時間は有限なので、これはどうしようもないことですね。

拾いきれずに時間とともに消えてしまうものもあります。だから、「人生は選択の連続だ」っていう言葉があるのですね。言い得て妙です。

 

何もかも捨てて、自分のすべてを費やして創作活動に没頭する…なんて破滅的です。

 

そんな生き方って大体、太宰治みたいに身を滅ぼす方向にいっちゃうのですよね。

 

もちろん私はそんな生き方はできないので、自分の時間をしっかり配分しなければならず、創作活動の時間の優先順位は低くなってしまいます。

 

だけど、それでも創作活動に時間を費やせるという事はとても幸せなことです。

 

創作活動といえば、私は細々と詩を書いていて、毎月「ココア共和国」という雑誌に投稿しているのですが、なんと、12月号の佳作に選ばれました。

 

www.youyour.me

 

工能エマ 「ある人間Aの人生」

 

です。

 

 

電子版のみの掲載ですが、とてもうれしいです。

 

少しずつですが、自分のやりたいことを後悔しないように精一杯やっていきたいです。

 

自分の人生が終わる直前にもし意識があったら、「私は十分自分を生きた。最高な人生だった。さよなら美しい世界」って、頭の中で呟いて死にたいです。

 

そのためには一日を全力で生きること。

 

その積み重ねしかないと思います。

 

毎日毎日を大切に大切に生きていきたいです。

 

【合わせて読みたい】

 

www.hiekashi.com

 

結局絵も文章も辿り着くところは一緒。

しばらく、ブログから離れていました。

そのかわり何をしていたのかといいますと、絵をひたすら描いていました。

デジタル絵です。

もー楽しくてとまりません。

で、やっとひと段落ついたので、ブログに戻ってきました。

 

私は「アートストリート」というサイトに絵を投稿しているので、少しのぞいてくれたらうれしいです。↓

 

https://medibang.com/picture/lv2311011311064370023885778?cpi=001

 

で、絵熱が少し冷めて客観的に自分をみました。

 

私って相変わらずなぁと。

 

結局無茶苦茶時間をさいて、文章やら、絵を描いても結局、自分が想像しているより何にも世界は変わらなくて、そのことに少し落胆する自分がいる。その繰り返し。

 

私は自分を売り込む?のが嫌いなんです。人の負担になりたくないんです。そして自分の負担も増やしたくないんです。自分も自分の世界を邪魔されるのが嫌だから。だけど、心のどこかに、自分の世界を一緒に共有して欲しいって思いもある。文章にしても絵にしてもいつもたどり着くのは、そこのジレンマです。

 

みんな忙しいし、それぞれが自分の世界をもっているのにそこに、侵入して押しつけたり時間を奪うようなことはしたくないのです。

 

自分の世界をみてみて~ってそこに繋がるじゃないですか。

 

世の中の影響が大きい人っていうのは覚悟と自信と行動力が違うとつくづく思います。

 

もちろん才能は言わずもがな、どんな相手にも関われる行動力と勇気を持っている。

そして、自分をどんどん他人の世界に染み込ませる、自信と図太さがある。

 

私は自分の力の程度を自覚するのも怖いし、傷付けられるのも怖い。

よく知らない人に非難されたり説教されるのもめんどくさくてたまらない。

それになんだかんだ言って、自分は他の人とは違うって思っちゃっているんでしょうね。自分の世界はどうせ理解されないんだって。

 

私と他の人は違う!っていう傲慢さ。…が残念ながらあるのかもしれません。

 

そして、やっぱり私は自分が生み出すものが大好きなんです。

そう、自己愛が悲しいかな、すごいんです。

だから自分の世界が大好きなんです。

だから、世の中に自分が望むものがないから、自分で作っちゃえって感じなのです。

 

自分が好きな世界をつくるのって無茶苦茶楽しいんですよ。

自分の望む世界を、自分の手でつくり出すって想像以上に楽しいことです。

だって自分の好きなものですもの。

他の人が生み出した作品にはもしかしたら、不満な箇所が存在するかもしれない。

だけど、自分で自分の理想どうりなものを生み出せたら、もうほとんど不満はなくなるのです。

もちろんそのためには、時間とエネルギーは湯水のごとく必要だし、苦しさも伴うし、苦悩もするし、自分の技術の未熟さに頭を掻きむしりたくなる時は山ほどあります。そしてたいてい、自分の完全な理想なんかにはほとんどとどきません。

 

でも、自分の世界が、そこを目指して具現化していくことはとてつもなく楽しいのです。

 

私は過去に、何かを創造するのは子どもを生むようなものだ…という記事を書いたことがありますが、最近より強くそのことを実感します。

 

 

www.hiekashi.com

 

何かを生み出すのは楽しいんです。

楽しいけれど、何もしないよりは絶対に苦しさは伴います。

それはどんなことにも当てはまると思います。

 

苦しさなしで楽しさだけを手に入れようなんて、そもそもおこがましいのです。

子どもを生みたいなら、妊娠期間の苦しさや、出産の痛みを受け入れないといけないのです。

 

そこを覚悟して受け入れたうえでの「生みたい」なのです。

 

私は美しい何かを生み出せる可能性を私が持っているのであれば、それを生み出したいのです。

それがこの世界の為になるかどうかなんてわからないのです。

そこは信じて行動し続けるしかないのです。

 

私が生んだ子どもだって、将来世の中に貢献できる人物になるかどうかなんて、分からないのです。

 

もしかしたら、逆に人に迷惑をかけてしまうようなことの方が多いかもしれない。

 

だけど、だからって、生まない理由はないんです。

 

世の中が少しでも多様で美しくなる可能性があるのなら、そのために積極的に苦しさも受け入れて何かを生み出せるようになりたい。

 

子育ても、絵を描くのも、文章を描くのも、苦しさが生じる。

だけど、その苦しさの後に待っている、達成感、充実感、多幸感に比べたら、そんな苦しみは屁でもない…と断言したいところだけど、実はどっこいどっこいなのだろう。

 

どっこいどっこいでも、その道をすました顔で突き進んでいけるようなりたい。

 

自分の望む目標の為に苦しさを受け入れれる体力と精神力と勇敢さが欲しい。

 

私は、意味のない苦しさは大っ嫌いだ。

無意味な苦しさは「悪」だし「罪」だと思う。

 

だから、意味のある苦しさと意味の無い苦しさを識別できる賢さと、意味のある苦しさを受け入れる勇敢さと強さが欲しい。

 

芸術の創造というものは「意味のある苦しさ」と「意味のない苦しさ」のすれすれを常に綱渡りするようなある種の賭けだ。努力が無に帰することもおおいにあるが、そこは一旦綱を渡り始めたのなら、突き進むしかない。

 

そういう面は芸術には色濃く出るが、他のことに対しても当てはまることもあるのだろう。

 

なんだか、ニーチェぷらすニーバーの祈りを書いていて思い出した。

 

そう、苦しさは悪なんかじゃない。

無意味な苦しさが悪なんだ。

 

ふと、自分の卵を一所懸命世話して、孵化したら、死んでしまう母ダコのことを思った。

 

母ダコはそういう献身的な習性をもっていると、過去に読んだ絵本で知った。

 

その子供たちが孵化した後どうなるかなんて、母ダコは考えて卵の世話をしている訳じゃない。

 

自分がこの世界に何かを生めるから生む。

 

それだけだと思う。

 

 

 

 

 

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