悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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結局絵も文章も辿り着くところは一緒。

しばらく、ブログから離れていました。

そのかわり何をしていたのかといいますと、絵をひたすら描いていました。

デジタル絵です。

もー楽しくてとまりません。

で、やっとひと段落ついたので、ブログに戻ってきました。

 

私は「アートストリート」というサイトに絵を投稿しているので、少しのぞいてくれたらうれしいです。↓

 

https://medibang.com/picture/lv2311011311064370023885778?cpi=001

 

で、絵熱が少し冷めて客観的に自分をみました。

 

私って相変わらずなぁと。

 

結局無茶苦茶時間をさいて、文章やら、絵を描いても結局、自分が想像しているより何にも世界は変わらなくて、そのことに少し落胆する自分がいる。その繰り返し。

 

私は自分を売り込む?のが嫌いなんです。人の負担になりたくないんです。そして自分の負担も増やしたくないんです。自分も自分の世界を邪魔されるのが嫌だから。だけど、心のどこかに、自分の世界を一緒に共有して欲しいって思いもある。文章にしても絵にしてもいつもたどり着くのは、そこのジレンマです。

 

みんな忙しいし、それぞれが自分の世界をもっているのにそこに、侵入して押しつけたり時間を奪うようなことはしたくないのです。

 

自分の世界をみてみて~ってそこに繋がるじゃないですか。

 

世の中の影響が大きい人っていうのは覚悟と自信と行動力が違うとつくづく思います。

 

もちろん才能は言わずもがな、どんな相手にも関われる行動力と勇気を持っている。

そして、自分をどんどん他人の世界に染み込ませる、自信と図太さがある。

 

私は自分の力の程度を自覚するのも怖いし、傷付けられるのも怖い。

よく知らない人に非難されたり説教されるのもめんどくさくてたまらない。

それになんだかんだ言って、自分は他の人とは違うって思っちゃっているんでしょうね。自分の世界はどうせ理解されないんだって。

 

私と他の人は違う!っていう傲慢さ。…が残念ながらあるのかもしれません。

 

そして、やっぱり私は自分が生み出すものが大好きなんです。

そう、自己愛が悲しいかな、すごいんです。

だから自分の世界が大好きなんです。

だから、世の中に自分が望むものがないから、自分で作っちゃえって感じなのです。

 

自分が好きな世界をつくるのって無茶苦茶楽しいんですよ。

自分の望む世界を、自分の手でつくり出すって想像以上に楽しいことです。

だって自分の好きなものですもの。

他の人が生み出した作品にはもしかしたら、不満な箇所が存在するかもしれない。

だけど、自分で自分の理想どうりなものを生み出せたら、もうほとんど不満はなくなるのです。

もちろんそのためには、時間とエネルギーは湯水のごとく必要だし、苦しさも伴うし、苦悩もするし、自分の技術の未熟さに頭を掻きむしりたくなる時は山ほどあります。そしてたいてい、自分の完全な理想なんかにはほとんどとどきません。

 

でも、自分の世界が、そこを目指して具現化していくことはとてつもなく楽しいのです。

 

私は過去に、何かを創造するのは子どもを生むようなものだ…という記事を書いたことがありますが、最近より強くそのことを実感します。

 

 

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何かを生み出すのは楽しいんです。

楽しいけれど、何もしないよりは絶対に苦しさは伴います。

それはどんなことにも当てはまると思います。

 

苦しさなしで楽しさだけを手に入れようなんて、そもそもおこがましいのです。

子どもを生みたいなら、妊娠期間の苦しさや、出産の痛みを受け入れないといけないのです。

 

そこを覚悟して受け入れたうえでの「生みたい」なのです。

 

私は美しい何かを生み出せる可能性を私が持っているのであれば、それを生み出したいのです。

それがこの世界の為になるかどうかなんてわからないのです。

そこは信じて行動し続けるしかないのです。

 

私が生んだ子どもだって、将来世の中に貢献できる人物になるかどうかなんて、分からないのです。

 

もしかしたら、逆に人に迷惑をかけてしまうようなことの方が多いかもしれない。

 

だけど、だからって、生まない理由はないんです。

 

世の中が少しでも多様で美しくなる可能性があるのなら、そのために積極的に苦しさも受け入れて何かを生み出せるようになりたい。

 

子育ても、絵を描くのも、文章を描くのも、苦しさが生じる。

だけど、その苦しさの後に待っている、達成感、充実感、多幸感に比べたら、そんな苦しみは屁でもない…と断言したいところだけど、実はどっこいどっこいなのだろう。

 

どっこいどっこいでも、その道をすました顔で突き進んでいけるようなりたい。

 

自分の望む目標の為に苦しさを受け入れれる体力と精神力と勇敢さが欲しい。

 

私は、意味のない苦しさは大っ嫌いだ。

無意味な苦しさは「悪」だし「罪」だと思う。

 

だから、意味のある苦しさと意味の無い苦しさを識別できる賢さと、意味のある苦しさを受け入れる勇敢さと強さが欲しい。

 

芸術の創造というものは「意味のある苦しさ」と「意味のない苦しさ」のすれすれを常に綱渡りするようなある種の賭けだ。努力が無に帰することもおおいにあるが、そこは一旦綱を渡り始めたのなら、突き進むしかない。

 

そういう面は芸術には色濃く出るが、他のことに対しても当てはまることもあるのだろう。

 

なんだか、ニーチェぷらすニーバーの祈りを書いていて思い出した。

 

そう、苦しさは悪なんかじゃない。

無意味な苦しさが悪なんだ。

 

ふと、自分の卵を一所懸命世話して、孵化したら、死んでしまう母ダコのことを思った。

 

母ダコはそういう献身的な習性をもっていると、過去に読んだ絵本で知った。

 

その子供たちが孵化した後どうなるかなんて、母ダコは考えて卵の世話をしている訳じゃない。

 

自分がこの世界に何かを生めるから生む。

 

それだけだと思う。

 

 

 

 

 

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