久しぶりにぼんやりとブログを書いてみる。
なんと、わたくしブログを始めて2年以上が過ぎていたのですね。
びっくりです。
当初は、記事をバズらせたい!人気ブロガーになりたい!と意気込んでいました。
ですが、今では逆にそこまで、注目を集めるブログにはならなくていいと思っています。
強がりか?
いや。本当にそう思っているのです。
昔は記事が注目されて、沢山の読者さんから様々な反応があるブロガーさんがとても羨ましかった。
ですが、そうなるには、相当な努力とプレッシャー、ブログにかけるエネルギー、そして才能が必要だと。
今の私には全てにおいて自信がない。
私は過去に思いがけず反響がでた記事がありました。
その記事には沢山の本気コメントをいただいたのです。
それは正直かなり精神的にきついものがありました。
携帯を見るたびに新しいコメントが書かれていないか、ビクビクしながら過ごしたものです。
なんで、毎日こんなにも精神を消耗しなければならないのか、と。
じゃあ、書くなよって話ですが、書かずにはいられないのが、私の悲しい性分。
自分の考えていることを書くことが好きなのですね。
自己顕示欲が強いのでしょう。
まあ、ブログを2年以上も続けていて厳しいコメントが書かれやすい内容もなんとなくわかるようにはなってきました。
そして、そういう内容程人がよく見る記事だったりします。
「炎上商法だ!」なんて芸能人のブログを揶揄する人がいますが、それはそれでかなりのプレッシャーと、強い精神力が必要なのですね。
私ならいくら稼げようが、大勢の見知らぬ人たちからあーやこーや言われるのは絶対ゴメンですね。
そうとうキツイと思います。
昔、ブログで「人気ブロガーになりたい!」って私が大口を叩いて書いた記事で、ある読者さんが、
「ブログは目立たずにひっそりとやるのが一番です」
というコメントをいただいたことがありましたが、本当にその通りだと今心から思う。
私のブログを何となく面白いな〜って感じて見守ってくれる読者さんが少しでもいてくれたら、それで十分。
人間なんて、全く同じ考えの人間なんていないのだから、あーこういう考え方もあるんだな〜へ〜、ぐらいに軽く流して読んでいただきたいものです。
この考え方は納得だけど、この考え方はいただけないな〜….が普通なのです。
ここで、「この人こんな考え方だったなんて、失望した!裏切られた!」…なんて傷つく必要なんて全くないのです。
そして、きっと書く方も、そんな事にいちいち敏感に反応する必要もないのです。
みんなそれぞれ違うのが当たり前なのですから。
ですが、やっぱり人間、どこかで立派に見られたい!という見栄があるのですね。
でも、そんな事ばかりを気にしてブログを書くとしんどくなるばかりです。
ありのままの自分の考えを素直に書きたい。
そして、きっとその方が心に響く人がいるはず。
まーそれも注意しないといけない点はあるのですがね。
ある日の新聞のコラムで「悪とは自分の正義を他人に押しつけること」って言葉を見つけ、心に残った。
確か…ある高校生の「悪」についての考えの投稿された記事だった。
あーこういう解釈は面白いなって。
それぞれが、それぞれの正義はもっていい。
だって、自分の中で、ちゃんとした正義がなかったら、きっとフニャフニャになって、形を保てなくなってしまう。
自分が保てなくなってしまう。
何が正しいか。
何が悪いか。
何を目標にするか。
何を恥に思うか。
何を尊敬するか。
それを確立しなかったら軟体動物みたいに、フニャフニャで、形をなさなくなってしまう。
しっかりと立てなくなって、どこにも行けなくなってしまう。
だから、自分の中に正義を創り出す事は生きていくためには必要なのだ。
それが、その場しのぎだとしても。
骨組みが無くてフニャフニャになるよりはマシだから。
そもそも、何が正しいか正しくないかなんて正解があるのか?
視点や立場を変えたら、何が正しいかなんて本当にわからない。
それでも、それぞれが「自分の立場」で正義を持たなければいけない。
正義をつくっていかないといけない。
きっと昔は正義の大体の骨組みを宗教がつくってくれていた。
でも、宗教を信じきれなくなってしまった人の多い今の時代、それぞれの正義は自分で作りだすしかなくなっている。
正義は持っていいのだ。そうしなければ誇り高く生きていけないのだから。
ただ、それを「他人に押しつける」のは如何なものか。
確かに不本意に押し付けられた方は苦痛ではある。
…ということは、
「自分の利益の為だけに相手を苦しめること」
になるから「悪」になる(私の「悪」の定義ではですが…)。
だけど、その「押しつける」がまた問題だ。
「押しつける」は力でねじ伏せる…ということか。
人間活動で一番分かりやすい「悪」はきっと「戦争」だろう。
「それぞれの正義を力でねじ伏せて押し付ける」
一方の利己的な利益の為に相手に苦悩を与える。
最悪の苦悩を力で押し付けている。一部の人間の利益の為だけに。
くらった相手はどうしようもない。
では、ブログはどうか。
ブログで自分の正義を書くことは?
このことについて私は相当悩んだ。
ブログで自分の正義を書くことは「悪」か。
自分の正義を読者に押し付けていることになるか?
…難しい。
内心、そんなの表現の自由!読者の受け取り方次第!って言いたい自分がいる。
でも、そう言ってしまったら、自分の中で正義なら、ブログで人種差別的な事も何でもかんでも書いてもいいって事になってしまう。
この世界には、本気で人種的な違いで人間の優劣が決まるという考えの正義をもっている人がいるのだから。
そういうのを書いてもいい!って?堂々と言えるか?
うーん。
表現の自由か…。
ネットサーフィンで「愛の反対は正義」という言葉をみかけた。
正義は一方を「悪」と決めつけるからって。
じゃあ、自分の正義について語るとどこかでは必ず嫌な思いをする人間がいるということか…。
自分の正義については、覚悟のない人間は心に秘めとくのが一番だということか…。
まだまだ覚悟の足りない私は細々とブログを続けていきます。