最近、私にとって、きっと重要な意味を今後もつであろう絵本と出会った。
その絵本は『おばあちゃんのはこぶね』
この絵本は、とてつもなくシンプル。
文章もシンプル。
絵も、黒い線だけ。
究極に最低限。
無駄をとことん削ぎ落とした形。
だけど、すごく私の心に響いた。
この絵本を読んで、私は確信した。
適切な文字の配置、そして適切な線の配置はこんなにも重要なことを。
沢山の色を使えば使うほど、心に伝わる絵になるわけじゃない。
沢山の言葉を使えば使うほど、心に伝わる文章になるわけじゃない。
配置…つまり秩序がこんなにも重要なのだ。
また、この絵本の最後に、77歳で死去したゴフスタインの最期の言葉の抜粋があるのだけれど、この言葉もすごかった。
とても詩的で、シンプルなのだけど、ひたすら重みがあった。
きっと、私が表現したいと切に願って創作を試みようとしていることは、結局はこの言葉達で集約してしまうのだろう。
きっと見ているものは同じようなものだ。
ただ、彼女が言わんとしている同じようなことを、私は私自身を介して違う形で表現したいだけなのだろう。
きっと、世の中はこんなことで溢れている。
同じような内容を、それぞれの用いることのできる言語で、または自分という眼鏡を介して表現を試みてるってこと。
自分が伝えることのできる相手に向かって。
そういう意味では、私は決して真に新しいものなんて生み出せないのであろう。
私は、これから、この絵本の存在を決して手放さないように、自分の表現を育んでいきたいと思った。
この絵本はきっと、これからの私にとって重要な道標になると思う。 せっかくなので、『おばあちゃんのはこぶね』に収録されているゴフスタインの最期の言葉の抜粋の一部を紹介して終わろうと思う。
ねえ、
私、良い人生を生きたと思うの。
素晴らしい、人生を。
12月20日には77になるのよ。
死ぬことは構わない。まったく。
別れたくない大切な人たちはいる、
もちろん。
でも—
死は、私の友達。
死と、希望。
希望。
死後の世界はきっとある。
でも、たとえ存在しなくても
泣きも嘆きもしないと思う、だって
そんな生を楽しんできたから。
死について書き続けて20年経つ。
闘いは好き。良き闘い。
ヤコブと天使のように
「祝福してくださるまでは離しません」って。
狂気と、驚嘆に満ち、栄光に輝いている。
何かをもっと、もっともっと
良くするために、闘うの。
特別な才能を与えられた存在だと
理解すること、ひとりひとり、誰もが。
(中略)
私も創られたもので、
私もまた色々なモノを創った。
私たちみんなの存在が、
真実を顕にする。
一本の木が、一枚の葉を出現させる。
それこそが真実。
鳥が留まりさえずる枝をつくる、
それこそが真実。
(ああ、私はなんて素晴らしい時を
生きているのか。)
あなたがなすべき仕事がまだ、
残されている。
ねえ、よく聞いて―
私たちはそんな物語を紡いでいくのよ。
(引用:M.B.ゴフスタイン『おばあちゃんのはこぶね』収録「ブルック・ゴフスタインの最期の言葉」より)
本当は中略すべき個所なんかなかったけれど、全部を書いてしまうのはなんだか良くない気がして、しぶしぶ中略した。もしかしたら、中略した箇所こそが最も重要な部分なのではないか、とすら思ったりもする。
ぜひ、『おばあちゃんのはこぶね』を手に取って読んでもらいたい。そして何かを感じ取ってほしい。
この絵本は子どもの絵本じゃなくて大人の絵本だと心から感じた。
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