「意識すること」が大事。
そして、その「意識すること」を習慣化する事が大事。
いくらトイレの壁に暗記したい数学の公式のポスターを貼ってても、意識して覚えようとしないと、何にもならずに過ぎ去って行くだけ。
漢字ポスターだって。国旗ポスターだって。意識しないと、ただの壁といっしょ。
「何をなしたいか」を意識して、習慣に組み込んでいく。
効率良い運動も、鍛えたい筋肉を意識すると全く成果が違うってきく。
「意識すること」
しっかりとした自分の太い信念のために、それを成すために、習慣としてその「意識」を毎日に組み込んでいく。
そうすることで、初めて、本当に身になる積み重ねができる。
「自分がどう生きたいか」に沿って「意識すること」を決めていく。
決して盲目に、ひたすら人から聞いた単純な切って貼ったような習慣をこなす事が、「何かをなすこと」に繋がるのではない。
自分の太い信念のために、自分の今もっている知恵と知識と経験を総動員して、導き出した数式に・・・関数に毎日という変数を当てはめた習慣を続けて行く事が、
何かをなすことにつながるんじゃないかな。
結局は、ぼーっとしてたんじゃあ、ぼーっとした結果しか得れないわけで。
ぼーっとしているようにみえて、なんだか上手くいっている人は、実際はきっとぼーっとしていない。
ぼーっとしながら、きっと頭の中は色々な思索に耽っている。
複雑な方程式を一生懸命、簡単に簡単にしようと、もがいている真っ最中かもしれない。
そういう人は、働いていないようで働いている。
もしかしたら、せかせかと労働に追われている人間ほど、頭の中は実はぼーっとしている場合があるのかもしれない。
だけど、ぼーっとしているように見えて、本当にぼーっとしている人もいたりする。
ぱっと見、違いは分からないけれど、結局はいつか全て結果に現れてくる。
レオ・レオニの『フレデリック』という絵本がそれを美しく的確に表現していると思う。
私は自分への戒めとして、今回の記事を書いている。せっかくの人生、ぼーっとしてどんどん取りこぼしていくのはもったいない。
「意識すること」が重要なんだ。
ぼーっとしていると、何もかもが、あっという間に通り過ぎて行く。過ぎ去って行く。
だけど、だからって目の前を流れてゆく川の浮流物を全て取りこぼすことなく回収することなんてできない。
だから、「人生は選択の連続だ」なんて言葉があるのだろう。
全部を得ることなんてできないのだから。
狙いを定めて、自分で導いた方程式に基づいて、網を振り落とす。
絶え間なく流れてゆく川に向かって、ひたすら網を何度も何度も振り下ろすしかない。色々な物をサラサラ取りこぼしながら。
意識して、毎日、川に向かって、一生懸命、自分にできる範囲で獲得していくしかない。
もう、流れ去ってしまったものには、意識を向けず、目の前の川に集中するのみ。
きっと、それが、自分にできる最小で最大のベストなんだと思う。
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