悩みすぎな私の子育てライフ

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創作活動する人は絶対読んだ方がいいよ『農民芸術概論綱要』

私は昔から、何となく宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』の文章には惹かれていたのですよ。

ですが、悲しいかな…めんどくさがりな私は「なんか好きっぽい」で止まっていて、さらりと読んで、熟読を避けてきたのです。しかし、最近しっかりと時間をとって、一文一文に向き合ってしっかりと読んでみたのです。

 

そしたら、想像以上に深い文章でした。

 

いや、本当にこの文章は凄いわ。

 

しびれました。

 

熱い・・・熱すぎるよ・・・宮沢賢治さん・・・

 

もうね、芸術や創作活動に携わっている人は絶対に読むべきですよ。もう必修科目にしてもいいと思います。

 

『農民芸術概論綱要』はなんとネット上で無料で青空文庫で読めるのですね。

 

今の時代凄いですね~

 

いつでもどこでもこんな名文が読めるなんて。

 

www.aozora.gr.jp

 

 

でもさ、「農民芸術ってなんや!そんなの知らんわ!」って思う方もいるかもしれませんが、まあ、私の解釈では、「宮沢賢治が発展を熱望していた、農民と芸術を結びつけるための新たな形」って感じですかね。

 

要するに、宮沢賢治は実生活で芸術とは無縁の農民と芸術を結び付けたかった。農民にどうにかして芸術を取り入れたかったのではないでしょうか。自分の愛する芸術を農民のみんなにも理解してほしかった。解放したかった。だから、農民と芸術を融合させた芸術の形、すなわち彼の言う「農民芸術」を新たに創造しようとした。彼なりの新境地へのチャレンジだったわけです。そのために「羅須地人協会」という私塾を作ったのですね。

 

詳しくはwikipediaの説明でご確認を↓

 

ja.wikipedia.org

 

まぁ、小難しいことはおいといて、とにかく『農民芸術概論綱要』は

 

「宮沢賢治の芸術と創作活動に対する熱すぎる想いと、彼なりの芸術を創造する上でのノウハウが簡潔に詰まった文章」

 

 

ってことだけを、押さえておけばいいかと。正直、「農民芸術」というワードに気を取られなくても、全然大丈夫な内容です。とにかく宮沢賢治の芸術に対する見解が詰まっている貴重すぎる文章なのです。

 

でも、私はね、『農民芸術概論綱要』はもう「芸術」「創作活動」とかの括りで囲ってしまうのはもったいないぐらい、人生を切り開くために必要な知識が詰まっていると思うのですよね。

 

是非、「芸術」「創作活動」に興味あるなしに関わらず、多くの人に読んでもらいたい。

 

特に私は「農民芸術の製作」「農民芸術の産者」「農民芸術の批評」という章が大好きなのです。

 

今回、この三つの章を紹介したいと思います(すべて青空文庫から引用しています)

そして僭越ながら、私なりの意訳も紹介したいと思います。

 

私の中での解釈なので、もちろん正解では決してないです。一人一人それぞれ違ったイメージで受け止めることができるというのも、『農民芸術概論綱要』の文章の魅力の一つだとも思います。

 

是非、原文から各々自分だけのイメージを膨らませてみてください。

 

 

 

《原文》

農民芸術の製作

 

……いかに着手しいかに進んで行ったらいいか……

 

世界に対する大なる希願をまづ起せ 強く正しく生活せよ 

苦難を避けず直進せよ

感受の後に模倣理想化冷く鋭き解析と熱あり力ある綜合と

諸作無意識中に潜入するほど美的の深と創造力はかはる

機により興会し胚胎すれば製作心象中にあり

練意了って表現し 定案成れば完成せらる

無意識即から溢れるものでなければ多く無力か詐偽である

髪を長くしコーヒーを呑み空虚に待てる顔つきを見よ

なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ

風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

《私の解釈(意訳)》

 

(農民)芸術の製作について

 

……どのように芸術にとりかかり、どのように製作を進めていけばいいか

 

自分だけの殻に閉じ籠るのではなく、まず、視野を世界にまで広げ、この世界に対して自分が貢献できる大切な何かに気付き、そのために行動すること熱望せよ。

 

その行動のためには、強い意志と、(芸術製作になるべく時間を回すために)効率的な日常生活が必要だ。

 

そのような生活(日常生活と芸術製作の両立)は苦難がつきまとうが、決して負けることなく突き進め。

 

心にビビビっと琴線に触れる何かをキャッチしたら、その後、そのビビビを自分なりの形にしようと試み、冷静で鋭い洞察力をもって、そのビビビを観察、解明し、それと同時に自分独自の熱い思いをそれに織り込み新たな姿をイメージしていく、

 

その姿のイメージは、無心に自分の意識に集中すればするほど(ゾーンにはいればはいるほど)、美しさの度合いと、その姿を形にする力は変化していく。

 

時期が来て、ようやく何かが上手くパズルのピースのように組み合わさり、その結果生じた種のようなものが自分の中にできたら、もう既に自分のなかに作品はある。

 

その自分の中にある作品を形(芸術作品)にする方法を頭で練りながら試行錯誤し、その熟考を終えたらいよいよ形(芸術作品)にし、納得できる形として定まったらそれで完成だ。

 

自分の心から素直に湧き上がる感情を根源として、以上の過程をなされたものでなければ、ほとんどが、無力か紛い物の芸術作品だ。

 

ぼんやりと無心にコーヒーを飲むときの平坦な心持ちで定期的に筆やすめしながら、髪が長く伸びるほど気長に、このような地道な作業をやっていくしかない。

 

全ての悩みを創作活動の材料にして芸術作品の形に昇華せよ、全ての気持ちをしっかりとうけとめよ。

 

心の中の流れのまま動きまわり、その流れで雲のように何かが生じ形成されたら、そこから創作活動のエネルギーを得よ。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

《原文》

 

農民芸術の産者

 

……われらのなかで芸術家とはどういふことを意味するか……

 

職業芸術家は一度亡びねばならぬ

誰人もみな芸術家たる感受をなせ

個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ

然もめいめいそのときどきの芸術家である

創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される

そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう

創作止めば彼はふたたび土に起つ

ここには多くの解放された天才がある

個性の異る幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

《私の解釈(意訳)》

 

農民芸術を生み出す者

 

……私たちの中では、芸術家とはどのような人を意味するか……

 

生活のために定期的にお金を得るための短いスパンの創作活動のやり方はすてないといけない。

 

どのような立場の人も、真の芸術家の心構え(前章で述べたような)をもて。

 

それぞれがもつ特性に沿って、それぞれひたすら自分なりの表現に励み突き進め。

 

そのように、それぞれが、それぞれの瞬間毎に芸術家なのだ。

 

創作意欲が自分の心から湧き上がり、止まらない時、自然と創作活動に集中する。

 

そうやってできた芸術の価値が周りに認められた時、おそらく私たちの生活が成り立つように周りは支えてくれるだろう。

 

創作をしない時は、土を耕しに戻る(農業の仕事をする)

 

ここには、真の芸術家の心構えを得た多くの天才が存在するようになる

 

それぞれの個性が光るこのような天才たちが、これから星のように沢山この地にうまれ、冷たく暗かった農民の生活が光り輝きだす。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

 

農民芸術の批評

 

……正しい評価や鑑賞はまづいかにしてなされるか……

 

批評は当然社会意識以上に於てなさねばならぬ

誤まれる批評は自らの内芸術で他の外芸術を律するに因る

産者は不断に内的批評を有たねばならぬ

批評の立場に破壊的創造的及観照的の三がある

破壊的批評は産者を奮ひ起たしめる

創造的批評は産者を暗示し指導する

創造的批評家には産者に均しい資格が要る

観照的批評は完成された芸術に対して行はれる

批評に対する産者は同じく社会意識以上を以て応へねばならぬ

斯ても生ずる争論ならばそは新なる建設に至る

 

ーーーーーーーーーーーーーー

《私の解釈(意訳)》

農民芸術の批評

 

……正しい評価や鑑賞はまずどのようにしてなされるか……

 

芸術の批評は社会意識はもちろん、それ以上の高い意識を持ってなさないといけない。

 

誤った批評とは、自分の芸術の価値観をそのまま他人の芸術に当てはめて評価した場合に生じる。

 

芸術を生み出す者は絶えず自分の芸術の価値観を批評にさらして内省しないといけない。

 

批評する立場として、「破壊的批評」と「創造的批評」と「観照的批評」の3つの立場がある。

 

「破壊的批評」は創作者を「いつか認めさせてやる!」と奮い立たせる。

「創造的批評」は、創作者に創作のヒントを与える。

創造的批評ができる人は、批評される創作者と同じ高さの立ち位置でその作品の真の姿を見れる人のみだ。

 

「観照的批評」は芸術作品として完成されたものに対する、周りの純粋な反応だ。

 

批評された創作者は、批評する立場と同じく、社会意識はもちろん、それ以上の高い意識をもって、批評を受け止めなければならない。

 

このように互いが高い意識をもって生じる争論だとしたら、それにより新しい発見があり、さらなる創作をうみだす。

 

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以上、3つの章の原文と、私なりの解釈でした。

 

 

 

宮沢賢治ってすごく文章の書き方が合理的で簡潔だと、意訳しているとき強く感じた。

まるで、自分の心を伝えるのに必要な適したブロックを適した場所に驚くほど的確にはめ込んでいくように文章が構成されていると思った。

 

こういう部分はすごく理系っぽいと思う。

 

彼の文章は恣意的に見えて実は全く恣意的ではない。実は冷たいほど冷静に客観的に文章を書こうとしている。でもそんな文章で、恣意的な心の感覚をすごく大切にして表現しようとしている。恣意的な心の様相を書こうとしているから、全体が「恣意的」っぽく見えるかもしれないけれど、文章自体は驚くほど合理的だ。無駄をこれでもかってぐらい省いてシンプルにしている。まるでシンプルで美しい数式のよう。これは本当に彼独自の彼だけの文章の書き方だと思う。

表現したいことを客観的に見ようと人知れず努力して、忠実に忠実に文章にしようと奮闘している。そんな孤独で果てしない挑戦が彼の文章には垣間見られる。

 

そういうところがとてもとても愛しく感じます。

 

宮沢賢治の文章を読んでいると、時々深い深い場所で共感を覚え、とても不思議な気持ちになります。あー宮沢賢治が文章で表現を試みている「目には見えない何か」、私もきっと知ってる・・・ってなることが時々あるのです。

 

『農民芸術概論綱要』はこれから先の私の人生でも何度も読み返すと思います。

 

 

 

 

因みに、意訳するうえで、こちらのツイッターにかなり助けられました↓

twitter.com

 

実はこちらのツイッターを見て、感化されて今回の記事を書いた次第です(;^ω^)

 

では、少しでも『農民芸術概論綱要』のすばらしさ、宮沢賢治の芸術に対する熱すぎる思いが伝われば幸いです。

 

 

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