悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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ブログ記事をアップするのは断念

私は記事をアップするのが苦手だ。

どこが引き時か、しょっちゅうわからなくなるからだ。

 

記事をアップするのは断念だ。

他の人は分からないが、私にとっては断念だ。

 

記事を完成させるのは断念だ。

 

「あーもう疲れた・・・もうこれでいいや!っえいっ。」て投稿ボタンを押すってこと。

 

なんとか妥協点をみつけないといけない。

自分で自分を「もうやめろ。」って止めないといけない。

そして、自分で自分をなだめてなんとか諦めがついたら、断念して記事を投稿する。

 

だけど、ブログのいいところは、その断念は完全な断念にはならないところ。やろうと思えば、その記事をまた活かして記事を書けることだ。

 

つまり、永遠に「完成」を避けれるってこと。

 

自分がやめない限り。

 

完全恐怖症な私にはありがたいことだ。

 

そして、例え自分がやめたとしても、誰かの心の中で繋がっていく可能性も0ではないっていうのも魅了だ(限りなく0になるかもだけど)

 

だから、ブログは続けている限り、きっと終わりがない。

 

そこが、私がブログを気に入っているところ。

 

だけど、ブログを気持ちよく続けるには断念の回数を増やさないといけないってところは、少しブログの苦手なところ。

 

まぁ、でも無理に断念にこだわらなくていいと思っている。

 

だから、更新頻度にこだわらないっていうのが、私らしくブログを書くためのミソ。

 

更新頻度にこだわりそうになるけど・・・そこは無理にこだわらないってことが、私にとってはかなり大切だと思ってるよ。

 

どこまでもマイペースでブログ道を歩いて行きたい。

 

正直、なんかよくわからない自分の無力感をひしひしと感じて気が滅入りそうになる時もあるけれど。

 

正直、時々自分の書いた内容を破り捨てて、全てを無かったことにしたくなる衝動も・・・全く無かったわけじゃないけど。

 

それだけは絶対にしちゃダメだとはっきり分かる。

 

今まで一生懸命コツコツと積み上げてきたものを・・・自ら破壊したくなんかない。

衝動的に破壊した後の、やばい虚無感をはっきり想像できる。

時々ニュースで、子育てに疲れた主婦が自分の子供を殺してしまうっていう、口にするのもおぞましすぎる事件があるじゃない。

あの衝動と同じ類いの行動だと思うよ。少なくとも私にとっては、このブログは子供のように大切な存在だ。

 

私は自分の書いた記事を絶対に大切にするよ。

 

私は私の書く文章を絶対に貶したりなんかしたくない。

 

だって、もしも私の文章が好きっていう人がいたら、その「好き」を貶すことになるから。

 

自分を貶すってことは、自分と同じような誰かも一緒に貶すことに繋がっていくから。

 

ま、でも向上はしなきゃいけないんだろうけれどさ。貶さずに向上したい。

 

私は・・・私だけは、世界に誰一人味方がいなくても、私の文章の味方でいたい。

 

私だけは、私の文章を見放したくない。

 

こんな文章を書いてるってことは、私がブログを書くことに対して少しネガティブになってしまってるってことを露呈してしまってる訳だけれど。

 

実はそんなことは、記事にはあまり書かないだけで何度も何度もあった訳で。

 

本当は私だって前だけを向き続けて力強く歩きたいのだけど、どうしても後ろを向いてしまう日もある訳で。

 

後ろを向いて、うつむいて体操座りしてしまう日もあるけれど、やっぱり書き続けたいから前を向いて歩かなきゃって思って前を向く。その繰り返し。

 

そんな感じで、他人からしたら何でそこまでしてブログを続けたいのか理解できないだろうけど、私は私のために記事を書き続けれたら、それでいいって思う。

 

他の人は、ブログをかく献身的な立派な理由があるのかも知れないけれど、私はどう綺麗事を並べようとしても、やっぱり自分の為にブログを書いているっていうのが根本で事実。

 

何だかんだいって、余裕があるから今までこんなに、実用的でない内容の記事が書けた訳で。私はとんだ贅沢者なのだから。自分の為のブログを今までこんなにも書ける余裕があったのだから。

うだうだメソメソ言わずに書き続けれる強さが欲しい。

 

・・・そして、やっぱり今回の記事も引き時が分からなくなり、長くなったのでありました。

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