悩みすぎな私の子育てライフ

ある主婦の生存軌跡を残すメモ

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今できる最善を尽くしてやれば間違ってもいい。

なんか、ここ最近ネガティブな記事ばかり書いていた気がする↓

www.hiekashi.com
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自己嫌悪ってやつ?
だけどさ、なんだか少し吹っ切れた。私は私でできることをやっていくしかない。
とにかく、このブログは力まずに自然体で、自分に素直になって書いていけたらいいな・・・なんて思う。

私はブログの記事を書くときに「間違った事はかいてはならぬ!!」

みたいな、自分にすごいプレッシャーをかけちゃってたのですよね。

「絶対に間違えない」なんてできるわけないのにさ。

いや、私だってちゃんと自覚はしているつもりですよ「私は間違える」って。未熟だもの。

でも、私の「まじめ&変に完璧主義」という性格がいつものように、地面に太い根を下ろすように「失敗するな!失敗するな!」と、私を縛り付けるのですよね。無駄に。

そうして、私はいつも足止めを食らう。

そして「間違えないこと」にこだわりすぎて、文章を書くのが辛くなってた気がするのですよね。文章を書きたいのに、書くのが辛いっていう。

きっと、とうの昔からなんとなく気付いていたのですがね。ブログを書く事は自分の未熟さをさらけ出して、残してしまうってことに。

そこをなかなか受け入れ難い自分もちょっとだけ存在するのですね。受け入れてたつもりなのにさ。

私は今の自分とは違う考えの未熟な内容の記事を沢山残してしまっている。

でもね、それってしょうがない。

いくら最善を尽くして書いたとしても、「その時の最善」にしかならないのですもの。

未熟な私がいくら一生懸命書いても、「完璧」には届かないわけです。

どうしても、後から読んだら間違ったことを書いてしまうのです。

例えばこの記事↓

www.hiekashi.com

のこの文章

今、学校教育を根本的に見直さないといけない時が来ているのではないでしょうか。オンライン動画を効率よく用いて、ネットの方が効率よくできる仕事はそっちに回せばいいと思うのです。先生に全てを任せるのではなく、みんながハッピーになれる効率の良い教育システムになればいいなと思うのです。

今の学校制度は変えた方がいいって話と『100分de名著』は本当に素晴らしいって話 - 悩みすぎな私の子育てライフ


この記事で「通常から小学校の授業オンラインでいいやん!」
みたいに言ってますが、子どもが実際今オンライン授業を続けてみて、弊害がちょこちょこあるのに今気付いてしまったりするのですよ。

例えば、オンライン授業は「目が痛い」「勉強についていけない子を先生が見落としてしまう」とかね。実際子どもも「学校に行って授業した方がいい」って言ってるのですよね。

まあ、要するに、この記事で書いていた事は今の私から言えば、「ちょっと短絡的に考えすぎや!」なのですよ。

今の私が他人だとして、この記事を読んだとき、記事に対してコメントで「いや、それはちゃう!」みたいな書き込みをしてもおかしくないわけです。

要するに今の自分からしたら、過去の自分は間違っていたわけです。

でも、それって仕方がない事なのだと思うのです。 

だって、この記事で書いてある事は、その時の私が思ったことを正直に赤裸々に書いた記事なのですから。

その時の私を反映した形として存在するのです。

要するに、当時の私は今の私と比べると「未熟」だったわけです。

でもね、それはしょうがない事だし、悪いことではないと思うのですよね。

もし、私が常に完璧で間違えのない文章を書けるのだとしたら、もう私は成長できないってことです。

寧ろ、未熟だと気づけることが成長している証なのです。

まぁ、そもそも「完璧な文章」なんて存在するのかって話ですが。まあ、この話は置いておきましょう。

私は未熟で、間違ったことをたくさん書いているかもしれないけれど、その時、自分のできる範囲で自分の最善を尽くして書いたのなら間違えてもいいのです。

これは私のブログですから。要するに私の精神的な思考の軌跡、宮沢賢治的に言うと「迷いの跡」なのですから。

「あ!あの過去に書いた記事のこの部分、今と考え方が違う!」とか言って気づくたびに修正していたら、訳の分からないことになってしまいます。

過去の記事は未熟な内容であたりまえ。

お金をもらって読んでもらうような類いの文章じゃ決してない。私のブログは。

「自分の精神の成長のために、その足跡を残す」ツールとして私はブログを活用しているわけです。

そして、私はそれこそがブログの醍醐味だと思うのですよね。

「生活に役に立つ実用的な内容のブログ」とは違うのです。

実は私は過去にそんなブログを目指していることもありました。

だけど、そのブログの道は捨てたのです。

出版したり、仕事として文章を書くのであれば、相当の覚悟やら、一部の人に対して不利益のないような内容を書かないといけないかもしれませんが。

そんな大層な社会的な商業的存在の文章とはかけ離れた存在なのです。私の文章は。

自由でいい。

私は最低限「人を苦しめたり悲しませるような文章は書きたくない」という自分のポリシーを守りながら自由に文章をかけばいい。

そう思ったら、もっと身軽に、気楽に文章が書ける気がしました。

間違ってもいい。間違いに気づいて、そのたびに、「あーでもないこーでもない」と軌道修正しながら、なんとか前に道を切り拓いて進んで行ければいい。

決して間違いを気づかないふり、見ないふりじゃない。未熟な過去の自分を優しく受け入れた上で、前進していけたらいいな・・・このブログとともに。

親が子供の失敗に寛容な姿勢をとって成長を促してあげるようにさ。自分に対してもそうしてあげたい。

と生ぬるいことを考えたのでした。

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